不思議な日記
「淡島渚(あわしまみぎわ)の番やでー!……なんや、うちもってきたお菓子(おかしん)へってないなあ。え、梅はおかしんとちゃう? なにゆうてんの、この梅はお茶請けのやつなんやで? ハチミツ漬けやから渋いお茶とめっちゃあうねん! やから遠慮しやんとようけ(たくさん)食べなぁよ」
「前置き考えんのめんどいから起きたことそのまま話すわ。未来が先にわかったらええなーとか、思たことない? うちはあるで。ちっとかり前までは、未来が分からんかなてそればっか考えてたわ。今は考えてへんのかって? ……まーなぁ、未来を知るて、そがなええものやないて気づいたから。うん、これはそがな話なんじょ」
近所の文房具屋の在庫処分セールを開催していて、日記帳を買ったのが、事の始まりだった。小豆色みたいなの皮製で、小さな鍵が付いている日記。紙の質は少し悪かったが、それが逆にお洒落に感じて気に入ったのだ。
「なんてよ、うちが日記なんか書くんかって? あー、おかんに言われて書くことにしたんよ。ま、三日もたたんまに止まったけどな!」
それで、その日記は二日分の日常が書かれたまま放り出していたのだが……ある時ふと思い出して、ページをめくった。
「ほいたら、どうなっちゃーったと思う?」
何とそこには、渚が書いてないはずの出来事が事細かに書かれてあった。
「信じられへんやろ!? うちかて最初は信じられへんかったわ。けど、確かに書かれちゃーるねん。しかもそれは、あいた(明日)の分まで書いてあったちゅーわけよ。今日、まだ起きてへんぶんまできっちりな。例あげちゃろか? その日記の秘密を発見したんは夕方やったんやけど、」
『夜中、親戚のおばちゃんから電話がかかってきた』
いやいやまさかなとは思ったが、その部分を読んで何分もしないうちに、本当にかかってきた。
「これはあれやね、どっかのマンガで読んだことある、『未来日記』っちゅーやつかと思ったちゅーわけよ」
暫らくの間、その日記には大層世話になった。どうやら書き込まれるのは、日付が変わった瞬間だという事が判った。午後十二時にそれ見ると、その日起きる事が全て分かる。
「こがいにおもろいものはないよなー?」
「――あ、アンタはいつかのこと分かったやろ? そうそう、うちがやけにあんばい(ちゃんと)仕事すすめちゃーる時期あったやろ? うん、地味ぃな事務処理ばっか続いとったあのときな。傘を忘れへんし、仕事もきちっとやっちゃーったやろ?」
何たって、日記にやる事が書いてある。何か起きるあらかじめ分かっていたら、先回りは簡単だ。
でもあるとき、怖ろしい事が日記に書かれていた。
『自動車にはねられた』
……まさか! 最初の時より強く疑った。
自動車にはねられる可能性があるなら、外へ一歩も出なかったらいいのではないかとも思った。それでも、その日は用事があったから外出せざるをえなかったのだが……絶対に車にはねられないように、道や信号には心底気をつけた。
ああ、こういう風に使ったら事故も全部避けられる! さらに便利! とか思ったものだ。
……その日、飲酒運転で歩道に乗り上げた車にはねられるまでは。
幸い、怪我は大した事なかった。入院している時も未来日記は持ち込んだのだが、どんどん嫌な事や恐ろしい事ばかり追加されていく。
『お風呂でお尻から転んだ、肘も打った』
『スクランブルエッグを載せた皿をカーペットに落とした』
……もう、渚は心底ウンザリした。食事はともかく、入浴は避けようがない!
「ほんま、未来を知るっちゅーのはおもろい事ばっかりやないて思ったわ」
結局退院した後で、日記はすぐ焼やした。そんな不思議な日記、捨てるだけでは戻ってきそうな気がしたから。
「【予知】って聞こえはええけど、避けようないおとろしことまで知ってまうのはこらえられへんから。そえに今後、交通事故なんかよりもおとろしことが書き込まれちゃーったら、うちの心臓もたへんし。……未来っちゅーのはな、ぜんぜん分からんからおもろいんや。それを痛感したわー……」
「うん、お化け出てけえへん話で悪いんやけど、ほんまおとろし(恐ろしい)ことやろ? そう? ゾッとせーへんわ。ちょぉ考えてみなぁよ」
『今日、腕がふっとばされた……』
「とか書かれてたらどーよ?」
語り部より遠い席にいる彼は、まだ話す順番ではないので手元にも周囲も灯りが点いていて仄明るかった。
携帯の画面を盗み見る。一週間前からフォローしたアカウント、『和歌山弁訛りの女性が、未来日記について話していた』という呟きが投稿されていた。