215 原点回帰



日曜日の夜が憂鬱なのは高校生振りかもしれない。高校生の時は、このくらいの時間は夕食を食べ終えて週明け提出の課題を追い込みでやっていた気がする。

追い込む課題はないが、明日午前中に提出しなければならないタスクはある。

「わからない」「知らない」が溢れ、その中で臨機応変な対応を求められる職場に足を運ぶのは気が重い。







書き残す心の余裕と、読書によって掻き立てられた私も書きたいという意欲をもって、社会人になって1本目のnoteをはじめる(漢字で書ける語句をひらがなで書くことを「ひらく」ということを今日読んだ本で知ったが、私はこの言葉を知る前に度々漢字をひらいてきた!よく私のnoteを覗きに来る方がいるとするならば、心当たりがあるでしょう)。

今日のタイトルは原点回帰。どんな「原点」に回帰しようとしているのかというと、小学校時代に時を戻そう(ぺ〇ぱ)。





私は小学校在学中の4年間、毎年100冊以上の本を読んだ。当時習っていたバトントワリングで露出の多い華やかな衣装を着ることが多く、日焼けや怪我を防ぐためか、はたまた当時から友だちが少なかったのか(人並みの人間関係の構築が苦手だという自覚は歳を重ねるごとに強くなっていく)、多くの同級生は休み時間の度に外遊びに出かける一方、私は1年生の時から図書室での読書で休み時間を過ごすことが多かった。

1年生の3学期、年度が終わる時に、年間100冊以上の読書をした人が学年(か全校)の前で表彰された。

2年次からは、表彰を受け続けることがひとつのモチベーションになっていたことは否めない。本のジャンルとしては黒魔女さんが通る!!だの、若おかみは小学生!だの、怪談レストランだの、かいけつゾロリだの(同年代のみなさまについてはこれらのタイトルを数年振りに目にして涙が出るほど懐かしいことでしょう、私もタイトルを羅列しただけであの頃に戻りたいですもの)児童文学をシリーズ読みすることが多かったように思う。あとはジブリとか、心理学とかも読んだ気がする。

4年生の3学期に転校し、転入先の小学校では表彰システムがなかったため4年次以降は表彰を受けていないが、おそらく4年生でも100冊は読破したし、委員会活動や中学受験にも並行して取り組んだ5.6年生では100冊はいかないにしても、変わらず図書室に通った思い出がある。

2つの小学校の図書室は人生が終わる前に再訪したい場所である。

特に1校目の小学校に在学していたのは13年以上前でかなり遠い思い出にはなるが、ぼんやりと、でもあの場所での生活や思い出のほとんどがいい思い出として心の中に残っている。





話を戻すと私の原点は「本を読み漁る」ということ。10年の時を経て、ここに回帰しようと思う。

かなりと時を遡り、ちょっと壮大そうな雰囲気を出しているが、そんなことはない。読書習慣を再度つけようと思った理由は6つある。


1つ目は、表現の幅を広げ、語彙に知識、また話の引き出しや切り返しパターンを増やすため。ついこの間、私がsnsで発信する言葉をよく見てくれているであろうある大学の友人から「たくさん本を読んでいるイメージがある」ということを言われた。本を読んでいる人の表現の幅やワードチョイスは、話すにしろ書くにしろまったく読まない人とは大きな差があると思うので、そのように言われたのは嬉しかった。高校時代では勉学のため、大学時代では怠惰のために読書習慣を失ってしまっていたため、再スタートをして上記を身につけたい。私は人と会話を続けたり、会話を盛り上げることに対して苦手意識があるが、相手の話したことや話題に上がったことについて少しでも知識があれば、話を広げることができるし、相手や相手の専攻に対する興味の姿勢を示せるし、なにより相手が嬉しいと思う。その「交差点」を増やし、会話を円滑に進めるためにも本を読む。

2つ目は、集中力を取り戻すため。やはりスマートフォンが要因だろうか、小さな画面の中で様々なコンテンツを短いスパンで行き来することに慣れたために、ひとつの物事に対する集中力が以前よりも落ちたように感じる。それを、1冊の本とだけ、目の前の活字とだけ向き合うことによって取り戻したい。

3つ目は、漢字をパッと思い出す。こちらも文明の利器のもたらした弊害だろうか、ひらがな入力からの自動変換によって書く機会自体が少なくなり、いざ「書く」時に漢字を思い出せない場面が増えてしまったように思う。変換頼りでは脳の劣化が早い気がするから、漢字も取り戻そう。

4つ目は、デシタルデトックスとブルーライトの遮断。現代人は、いや私は、スマートフォンを見すぎである。電車に乗ると90%くらいの人はスマホを眺めている気がする。今こそsnsや、膨大な情報から半強制的に距離を置き、目と心を休める時間を意識的に取りたいのだ。

5つ目は、お金がかからないから。東京という街は、お金を使う場所もお金を必要以上に使わざるを得ない場所も多い街であるが、なんせ今の私は上京してきた社会人1年目、誰よりも節約モードを入れなければならない身である。カフェ、ランチ、買い物…ひとたび出かければ1日で数千円の消費は容易いだろう。あてもなく消費に出かけるのならば、図書館で本を読んでお財布に優しくしたい。

最後、6つ目は、番狂わせのちいさな一歩のため。デカい選択をミスった気がする今日この頃、方向修正をして、理想に近づいていくための手助けになってくれそうなのが「知識」であり「学ぶ姿勢」であり「積み重ねること」だと思ったから。












話が想像以上に長くなったが、以上の理由から読書を意識的に再開しようと思う。大学生では、時間があるのに、本もあるのに、読書という読書をしなかった。毎週1冊とは言わないから月に4冊は読みたいな。読書という行為が、まだまだ先の長い私という人間の力となることを願って。









本日のBGM:なし

読書の原点と同時に「書く」の原点も小学校時代にあり、小学校時代の読書は今の私の書く力と書く意欲にちゃんと繋がっている気がする。

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