求めているものは何か
仕事が忙しくなってくると、段々と疲れてきて、同時に不安にかられて、焦りから自分の力に頼って、さらに疲れ果てる…というのが私の過労になるルーティン。
みんなはどうなんだろうか。
私は不安と焦り、恐れ、同時に怒りなんかも混じった混沌とした心と頭に支配されることもしばしば。
おまけに、自分の力ではどうしようもない。なんともしようがない。
自分の「心」の前に、自分はいかに無力であることか。
なんと! 自分も他人もコントロールできないのが人間(自分)だとは(笑)
考えられない量の情報が飛び交うインターネットの世界に溢れている、人生や自分自身、心を、いかにもコントロールできるかのように教え導こうとする情報は、少なくとも私にはちっとも役に立たないことを自分史がはっきりと証明している。
いや…ひょっとしたらほとんどの人はわかっていながら、なんとなく安心するためだけにそういった情報に飛びつくのかも知れない。
人には、なにより「安心」と「安全」が必要だとつくづく思う。別にニュースや根拠となるデータがあるわけではないけれど、想像以上に多くの人がそれを求めていると私は感じている。
にもかかわらず…自分が一番欲しているものは、結局、「安心」と「安全」だと気づいている人は少ないのではないか、、、とも思う。
そもそも、自分が本当のところ何を求めているのか、知るのはこれまた難しいのかも知れない。確かに誰しも幸せを求めて生きている、と何かの本で読んだのを憶えているが、自分にとっての幸せが果たして何なのか、わかるには相当な時間と経験が必要だと思う。
お金、健康、異性からの人気、力強さ、格好良さ、プライド、名誉、地位等など…しかしその根底にあるのは安心、安全への希求ではないか…。
一時期「自己責任」なる言葉がもてはやされた時期があったかと思う。この言葉は私たちにとってどう響くだろうか。脅威にならないだろうか。
何が起ころうとも、何があっても、それは自分の責任だなんて、安心、安全とは正反対にもかかわらず、ちょっとした世間の風潮となった。
ベッドの上に横たわって、ゆっくりボーっと思い巡らせていて気づいたのは、私たちの最も根っこにあるのは「愛されたい」「大切にされたい」ということかも知れないということ。
安全、安心への希望は、その表面的な表れに過ぎないと思った。