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物理、数理に潜む、ネジレの数理マジックとコロナ



まず、このnoteは、他のブログにも貼り付ける為、これは、基本的に、数学、科学の分野の先生方に、特に、お読み頂きたく、上げたものでありますが、特別に、学術的難しい数式や、公式は、使っておらず、極めて日常的言語で書いているつもりでありますので、理解できるはずですが、ブログによっては、既に、読まれた方もある内容も含んでおりますが、新たな考察を含みますので、飛ばさずに読んで頂きたくある事を先に述べて置きます。


今回、出来るだけ全てお読み頂きたいので、目次は、あえて、付けませんでした。基本的には、ネジレに関する、おかしな体験と、次元に関する捉え方に関して、先生方に、お読み頂きたく、noteにしました。

なお、このnoteに2020/06/01/昼ごろ、#哲学で先週もっともスキされた記事の1つです。と表示されました。ありがとうございました。

まず、次元に関する捉え方に関して、先に、書かせて頂きます。
数字的に、次元と申しますと、現実的には、0次元から3次元が、現在の数理で、4次元以上については、物理の領域に当たると思いますが、それ以外の次元では、虚数の世界が、別の領域に当たるのかも分かりませんが、先に、0次元に関して、論理的に、理窟に合うのか、私から、言わせて頂くと、0が、量的にないのは、理解しますが、ないものが、集まって、どうして、あるもの、線、になるのか、と言う事に対し、0次元における点は、量的には、確かに0ですが、最低限、どこまでも、縮小可能な、領域を持っており、その領域は、「無に、質の違う閉じた領域が必要である」と言う考え方です。


まず、最初に、述べて置きたい事は、存在に「ない」は、存在しないと言う考えです。何故なら、「ない」が、あるなら、「ある」のですから、その「ない」は、真の「ない」を、表しておらず、別物であると言う事です。

それでは、私達が、日頃使っている「ない」とは、何かと言うと、一つは、ここにはない、今はない、現実にはない、何々の公約数にはない、等、とある世界に、存在しない事を言い、存在の中には、存在している事を意味します。
もう一つは、無になる。つまり、なくなる、と言う意味での無ですが、この無には、ひとつは、たとえば、無意識、無色、無地、の様に、何かが、無くなると言う場合の無ですが、これは、実質的には、その根源である、源、ソースの状態になる事を言い、真の「ない」とは、真逆の、全てがある状態へ変わると言うことであり、これは、状態である為、そこには、その状態にあるものと、時が、存在しますが、ここで、言う「時」とは、「時間とは、違い、今と言う時点であり、一方的に流れるものです。


全てが、ある状態が「無」と言う事を補足しておきますと、無意識は、意識が、全てある為、そこに、識別される存在がない為に、何もない状態になる事を言います。

無色と言うのは、厳密には、認識出来ない、状態であるのですが、大別して、闇と光があり、光は、無色透明ですが、分かれる事により、色が生じ、その全てがある時、無色透明となります。

しかし、まだ、光と闇があり、光が全て吸収されると黒く映ります。先程存在に、真の「ない」は、ない、と申しましたが、存在における「ない」であり、その「ない」は、真の「ない」とは、別物であり、この「ない」は、まだ、色の全てがある状態の前の、光から生じる色の全て以外を表しているに過ぎません。

本当に色の全てがある状態になると、無色透明を超え、色のない、つまりは、闇もない、視覚や、視覚的イメージすらない状態になります。何故なら、色の個別化した存在がなくなる為、視覚的識別がなくなり、認識不能となる為です。


無地と言うのは、いわゆる、2次元における、白紙の様な状態ですが、ここには、何も描かれていなく、何も存在しない様に、映りますが、ここに描きうる全ての形が、描かれる以前に全て存在しており、識別が、ない為に、白紙のままであるのであるが、本来、量なき点や線は、無および、0次元、1次元では、存在する存在となる事は、出来ず最低限、2次元の面が必要であり、2次元の世界で、質の違う2つの面で別れた境界線が、量なき線であり、質の違う3つの面で別れた分岐点が、量なき点である。

面とは、いわゆる、視覚情報であり、立体とは、触覚情報があって成立する、情報である。
そして、「時」とは、変化を感じる知覚情報であり、時間とは、その変化を記憶する、記憶情報によって成立する観念、又は、概念である。

かように、現象の世界でもあるこの世は、意識と理法の関係において成り立つ世界であり、意識を無視して成り立つ世界ではない。


しかしながら、存在には、それら全てが、我々が知る以前から存在していたから、我々は、それらを、知るに至ったのである。

たとえば、数理は、我々が、導き出す以前に、既に存在しており、我々は、ただ、それらを、知り、理解したに過ぎないのである。

ここで、「ある」と言う真と、「ない」と言う真を、比べた場合、実は、「ない」と言う真が、完璧であるのに対し、「ある」と言う真が、不完全である事を、述べて置きたい。

それは、「ない」と言う真は、その意味である「ない」と言う意味において、成り立ち、完全完結しているのに対し、「ある」と言う真は、その意味が、「ある」と言う意味であるのにも関わらず、その真逆の「ない」と言う概念を必要とし、その為、存在において、その「ある」と言う意味を理解させるべく、真の「ない」とは、真逆の「全てが、ある」事により、無と言う「存在」を置き、「ない」を演出して、「ある」を理解させると言う、マジックにより、成り立つ、本来、理知的には、破綻した壊れた世界であるのです。


実のところ、「ある」と言う真自体は、「ある」と言う真ですから、全てを含み「ない」はない。と言う意味において、「ない」が存在するのですが、存在と言う、生きた命の「ある」と言う世界が、元々、「理知的に破綻した世界」と言うだけであり、人間と言う、頭脳が、存在を存在のあるがままに受け止めて、存在が、そもそも、不思議な世界である事を理解せず、理知で全てが解き明かせると、思い込んでいる所に、人間の無知があり、理窟や理論、論理で納得した途端に、当たり前だと思う所に、人間のもったいなさと、残念さが、あるのです。

たとえば、テレビや、パソコンにしたって、理窟や、理論が分かっても、そもそも、電気、重力、化学反応、生物、全てに渡って、本来、不思議そのものであり、当たり前では、ないのです。



たとえば、「ある」と言うことは、本当に当たり前な事でしょうか?
本来、「ない」方が、完璧であり、むしろ、絶対的に「完全」と言えるのである、にも関わらず、存在である「ある」と言う真が、真理であったのは、不思議と言うよりほかにない事実なのです。

この、現象世界かつ、物理的で理法の働くこの世は、先にも述べました様に、意識と理法の複雑な関係から出来事が生じており、意識の状態次第では、その理法の有り様が変わり、通常有り得ない出来事が、生じる可能性も、あるのです。
こう述べますと、怪しまれる先生方もいらっしゃるとは、思いますが、それは、まだ、一元的なものの見方しか出来ていない為であり、存在と言う複雑な世界全体と言う視点に立って物事を見る視野に欠けておられるからであると思われます。別段、自分を、賢いとは、思っておりませんし、むしろ、数理や、物理的理論については、幼稚と言わざる負えない程、勉強、理解不足では、あるのですが、多角的視野、真理に対する理解力の点においては、引けを取らないだけの自分を自覚しておりますが、先生方の中には、途方もない理解力と知識が眠っており、ただ、常識や、外分、世間体が邪魔して、それらを、解き放てず、現在の次元の領域に留まっていると思われるのであります。

わたくしは、現時点において、総合的知能レベルは、小学5年生であるらしく、それに比べ、先生方が、もし、それらの能力を解き放ったならば、はるか及ばず高い次元の自己の存在に気付くはずであると、考えております。



何故、この様な、回りくどい話しばかりして、本題に、入らないのかと言うと、このコロナと言う感染病の流行る現代と言うのは、時代における特別な時代であり、目隠し状態にある日本では非常識な、たとえば、フリーエネルギーや、驚異的な長寿が出来る方法が既にあり、それらは、闇の世界の人間だけが牛耳る知識であって、早く日本が目覚め、世界を救うべく為に、コロナが時代に、待ったをかけたと、思われるからであり、早く日本の大人の先生方に、目覚めて頂きたく、遠回りして、ここまで、話しを伸ばして来たのであります。

私が、経験しましたネジレに関する数理的マジックとは、ここまでに、示した様に、通常の意識の次元でも成り立つかどうかは、分かりません。

それは、少し、複雑な、数理的次元で起きたとも考えられるからでありますが、とにかく、ジャンバーと言うか、オーバーと言うか、その着方を、今覚えている事は、左片方は、普通に通し、もう方一方を、逆さまから手を突っ込んだと思いますが、とにかく、その、おかしなネジレた着方から、完全には脱がずに、つまり、袖口だけは、脱がずに、普通の状態に戻そう、色々、苦心しながら、袖口を、回転させたりして、最終的に成功致しましたが、おかしな事に、右側の逆さまに手を袖口に突っ込んだ方の、ひじから、袖口までが、最初と違い、古びて、毛玉や、ほころび、が、ひどくあり、そこだけ、歳を取ってしまった様な状態に変わってしまっていたのです。

数理は、物理とは、直接的には、別物ですが、数理は、次元的には、4次元的世界にも関与しており、それを、解き明かす事は、タイムトラベルは、別にして、物や人を、若返らせる方法も、見つかるのではないかと、信じる次第でありますが、今と言う時間ではなく、時は、4次元における、点の様なものであり、この点の集積である、線や、面は、時間軸が織物の様に、織られた世界ではないかと想像します。

数理的次元が高くなれば、なるほど、全てが、複雑に関与して来る為、行動は、自由の幅や、目的までの手数が増え、難しい世界となるのですが、ブラックホールと言う宇宙のほころび、がこれ以上増える前に、この宇宙を回復させるべく使命が、この地球にはあり、それらのヒントと、このコロナの時代的意味について、つたなく、ある意味、馬鹿げた話しと聞こえる話しでは、あるのですが、下記noteをお読み頂きたく、なお、現時点2020/8/21において言える事は、ビッグバン宇宙が誕生する、ずーと以前は、宇宙は定常宇宙であったのですが、誤った数学により導かれた理論により誤ったタイムトラベルが可能となり、その為、ブラックホールが発生し、宇宙がビッグバン宇宙になった為に、宇宙が歳を取るようになってしまい、ただしい数学に正す事が求められていると知りました。下記記事は、古い為記載しておりませんが、そこに貼り付けた、存在に関する言語的定義における注意・・というnoteをお読み頂ければ、数学の根本的間違いがわかるかもしれませんのでお読み頂きたいです。

「コロナの時代的意義及び原因についhttps://note.com/zaimu102a/n/na82a7ceed3b9

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なお、このnoteと、コロナの時代的意義及び原因について。の方のnoteの関心と真剣度を上げる為には、スキの評価がやはり、必要であり、ご協力願いいたしたく、もし、同意する方で、noteに参加していない為、出来ない方がおられましたら、無料ですので、どうか、参加してでも、スキをして頂きたく、そのスキは、記事の下部サポートをする。の左下ハートマークをタップ、クリックして頂く事で出来ます。

わたくしは、この使命遂行にあたり、多角的に、すべき事や、学ぶ事があり、通常の意識のままに、やりたい事をやれる状態では、ないので、現在、かなり自由では、あるのですが、自由であれば、あったで、考える事や、成すべきことが、増え、思う様に、効率よくいきません。

又、全体の為に、成すべき事柄も、多く、問題は、ひとつだけではない為、予測としては、このコロナは、長期化する見込みが高いのですが、意識の上層部が問題を解決したのか、してないのか、わからず、絶対とも、言えないのですが、その可能性は、極めて高いと言わざる負えない状況があるのです。noteのシェアが参加せずに出来るのか、どうか分かりませんが、出来ましたら多くの方にシェアをよろしくお願い申し上げます。

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ザイム夢我無罪
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