「頑張れないって頑張れることより苦しいんです」
こんばんは。
今日はやっと、午後勤務ができました。
在宅勤務なので、起き上がってPCの電源をつけるだけ。
たったそれだけの動作が
この3日間は面白いくらいにできませんでした。
やっと今日、それでも手の震えや動悸はありつつも、
来週からの日々を考えて、リハビリも兼ねて。
なんとか午後の就業開始時間ギリギリに
PCの電源をつけて出勤することができました。
毎日、社会人であれば
何気なくやっていること。
会社に行く。電車に乗る。出勤する。
毎日、お風呂に入るのと同じように、
歯を磨くのと同じように、寝るのと同じように。
その繰り返しができている人を
私は、心底うらやましいと思います。
色々と考えすぎてしまうからこそ
つい立ち止まってしまう。
それが、社会からつまはじきにされて
まるで一人ぼっちで取り残されたかのような
大きな不安と焦燥感を生み出す。
今日の午前中も、ベッドの中でとにかく
自分の「薬」になるようなものが欲しくて。
今の自分を勇気づけてくれるような、
出勤へ心を向かわせてくれるような、
私を優しく包んでくれるような。
そんな文章や動画を探して、探し回って。
たどり着いた先に、この動画がありました。
SEKAI NO OWARIの深瀬さんの言葉。
読みやすく句読点をつけていますが、
この言葉、今ならすごく分かるなって。
頑張れてないってすごく苦しい。
頑張れてる方が、頑張れないよりも楽。
頑張れてるときは自分に自信が持てるし、
なんでもできるような気がする。
「頑張りさえすれば」
どんな自分にもなれる気がする。
頑張れてるときは何事にも前向きだし、
少しくらい失敗したって立ち直れる。
だってその先に「成功」があると信じているから。
頑張ればその努力は報われると思っているから。
でも、人はどうしようもなく
頑張れなくなる時がある。
頑張れない時は不思議なことに、
自分が何もできないちっぽけな存在に思える。
少しの失敗でも消えたくなってしまう。
たった一つの指摘でも怯えてしまう。
きっと自分は何をやってもダメな人間だ。
成功なんてできない、
みんなと比べて自分がダメに見える。
挙句の果てに、自分って何で生きてるんだろう、
なんて人生の"意味"を求めたりする。
そこにある事実は何も変わっていないのに。
自分の能力も、見た目も、積み上げてきたものも、
何ひとつ微塵も変わっていないというのに。
そう思うと、なんだか不思議ですね。
自分の捉え方次第でどうにでもなるだなんて。
ただ、頭ではそう分かっていても
気持ちの切り替えが上手くいかない時だってある。
今が、今まさにこの状況が、
苦しくてたまらない時だってある。
逃げ出したくて、消えたくて、
涙が出て止まらない時だってある。
少し前の自分はそうでした。
何なら今だって"消えたい"という気持ちを
うっすら抱えている自分がいます。
でも、この動画に出会えて
少し心が救われました。
この気持ちをなんて表現すべきか、
同じことで悩む人もいるんだ、
私、一人だけじゃないんだ、
ちゃんと私、社会の一員なんだ。
そんな所属感とでも言うんですかね。
少し、安心することができたんです。
ちなみに深瀬さんは、続けてこう語ります。
色んな人がこの考えに触れてほしい。
例え心の底から理解ができなかったとしても、
そういうこともあるんだな、くらいに
事実としては知っておいてもらえたら嬉しい。
普段、何気なく会社に行っている人たち。
毎朝、なんだかんだ言いながらも出勤できる人たち。
その人たちはもしかしたら、
今まで通ってこなかった道かもしれない。
悲劇のヒロインになりたいわけじゃない。
不幸自慢をしたいわけじゃない。
そうじゃなくて。
こういう人も実はいるんです、ということを
知っておいてもらえるだけでも。
ただ、それだけでも。
救われる心があるということに。
って、こんなことを言うこと自体、
わがままでエゴなんですかね。
まるで弱者であることを
ひけらかしているように感じるのかな。
なんだろう、どうしたいのかと言うと。
別に手を差し伸べてほしいわけではない。
結局、自己受容ができるかどうかって、
自分の考え方次第だから。
他の人にどうアドバイスを受けても
最終的には自分が自分を受け入れるしか、
この問題の解決方法はない。
それは、そうなんだけど。
でもその中で苦しんでいる人がいたら、
温かく見守ってくれるだけでも。
「なんだよ、あいつサボりやがって」
ではなく
「大変そうだな、そのうち心が安らぐといいね」
そう思ってもらえるだけでも、
ほんの少し、社会に復帰しやすくなる。
そんな気がするんです。
もちろん、自分の思い込みで
「なんだよ、あいつサボりやがって」
って思われてるんじゃないか、とか
そういう不安を抱いてしまうことはあるけれど。
いつ、誰がなってもおかしくない。
"心の骨折"だと捉えてもらえたら嬉しいな、と。
ふとこんなことを思ったので、
思ったままに吐き出しました。
社会を変えたいとか、
そんな大それたことではなく。
自分の周りにこんな理解のある人が
たった3人いるだけでも、
救われるなあ、と思ったんです。
私にはありがたいことに、
理解のある人が周りにいてくれています。
まあ実は、3人もいないんだけど。
でも、その人たちのおかげで
私は呼吸ができているような気がします。
心の骨折は、時間が経てば治ります。
ゆっくりかもしれないけれど。
その骨折の程度によって様々だけれど。
まずはしっかりと体を休めて。
体が休みきったら今度は心を休めて。
ここでいう心を休めるというのは、
自分の「やりたいこと」や「好きなこと」に
時間を使うことを言います。
それが心の栄養になると私は思っています。
体が休み切っていないうちは、
「やりたいこと」も「好きなこと」も
全然思い浮かばないんですよね。
それに体すら起き上げられない。
何もできない状態が続く。
だから、何もできない人は
どうか自分のことを責めずに。
頑張れないことは、頑張れることより苦しい。
そんなにとても苦しい中でも生きている。
そのこと自体が、すごいことだ思うから。
案外、私たちみたいな人間は
生命力が強いのかもしれません。
だって、人生ハードモードなのに
それでも生きているんだもの。
だとしたら、他の人たちよりも
生命力強いかも、って思ったりしませんか?
だからなにもできなくても、
今はそういう時期なんだと思って。
ゆっくりゆっくり自分を労わってあげて。
ふと意欲が出てきたら、その時は。
自分の心に栄養を与えてあげてください。
……色々と書いちゃいましたが、
ほとんどこれ自分への言葉ですね。(笑)
会社に行けずに泣きじゃくっている
自分へのエールです。
頭の固い自分を納得させるための理屈です。
こう考えれば心が楽になるかな、って。
そんな、頭の固い人間が
こねくり回した理屈ではありますが、
もし誰かの心が救われたのなら。
これほど嬉しいことはありません。
これからも、頭の固い自分なりに
自分の心と向き合うための「理屈」を
たくさん並べたてていきたいと思います。
これだけ頭が固くて変われない人間なら、
きっと、どんな反論にも言い返せるような
理屈が思い浮かぶような気がするから。(笑)
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今の自分への感謝の気持ちを込めて。
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