【メンタル】座禅で心のざわつきと向き合う@京都建仁寺両足院♯082
先日、京都建仁寺両足院での座禅会に参加をしてきました。
Voicyパーソナリティもされている伊藤東凌さんが副住職を務めてられており、Voicyを聴きながらいつか参加したいな、と思っていた座禅会でした。
伊藤東凌さんのVoicyでは、雑談でお庭の情景をお話されていたり、虫の音が聞こえてきたりとお庭の四季の様子が目に浮かぶ放送をされています。
実際に目にすると、言葉に表しがたい、お庭の美しさ。
見ているだけで心が落ち着くと言うか、日本画のような世界と言うか。
半夏生も満開でした。
さて、座禅ですが、僧侶の品部東晟さんに教えていただきました。はじめに座禅に関するレクチャー。そのあと、座禅に入ります。
品部さんは、座禅で心を鍛錬するうちに、蚊に刺されても何も反応しなくなったのだとか・・・かゆみという刺激を味わい尽くすとおっしゃっていました。そして蚊に刺されても何もしないのが一番早く痒みがひくことにも気づかれたのこと・・・!ただ、その苦痛や不快をとことん味わいつくすとおっしゃっていたことが、なんだかコーチングと似ているな、と思いながらお話を伺っていました。
「人は、自分の意思なく、生まれてきて、死ぬことも決められている。
コントロールできないことだらけだ。」ということを体感するのに、「何があっても思考をせず、5分間座禅をしながら過ごせるか」という実験もしました。なるべく心を無にしたものの、耳から何か聞こえたり、肌で何かを感じると、やはりその刺激について考えてしまう。そして5分間、じっとしてみると直近まで心配していたことがまた頭に浮かんできて考えてしまい、「ほんと、コントロールできないわ・・・」と実感。でも、その身体や心の反応をメタ認知していくことで、どんどん自分への客観性が養われることも気づきました。
そしてその行為が、自らコントロールできないものに対する苦を和らげるんだということもすんなり理解ができました。
私自身、恐らく10年、15年ぶりくらいの久々の座禅。
ちなみに大学時代、毎夏鎌倉建長寺で座禅をする機会があったのですが、
当時よりも深く座禅の時間を味わえるようになった自分にも気づけました。この1,2年、『反応しない練習』やコテンラジオ、松波龍源さんの本や講演、podcastで仏教思想の入口の知識が頭にあったからか、自分がコントロールできないものに抗わず、自分への刺激を味わい、ひたすらメタ認知する時間が心地よく、仏教や東洋思想の世界観を少しだけ感じられた気がします。
これは悟りへの入口なのでしょうか(笑)。
これが悟りなのかどうなのかはわかりませんが、いずれにせよ、それを言葉で理解するのではなく「身体」で味わうところがおもしろいな、と思います。
今回、お世話になっている鍼灸院の先生が企画されたプライベートイベントで、東洋医学を学ばれている方々、30名と受けた座禅会でした。普段から身体と心に向き合うお仕事をされている先生方だからか、座禅会の感想、質問もとても深く、その中でも、
「快と不快をジャッジしない」「世界のあらゆるものごとと調和する」といった感想を交換し合えたことが、印象的でした。
最近、仕事、プライベートで心がざわつくことが多く、疲れたり、感情がふれることがあります。
そして日々の睡眠不足で、毎日夕方にはどっと疲労感が・・・
おまけに、そのようなコンディションのなか、子供たち帰宅後「ママ―」「ママ―」とひっきりなしに呼ばれる様子にイラっとする日も多数・・・
でも、そういうときは座禅をする時間をつくってみようと思います。
あと、品部さんは、美しい景色を見た時に座禅することで、その景色をより味わえるとおっしゃっていました。なるほど。
時間に追われる日々のなかで何もしない、心を無にする時間を日常に5分だけでも取り入れてみる。
それが身体や心の安定につながるのかもしれません。