ジャカルタの猛毒の雨はやがて霧雨へと変わり、その中で揺れる、男性器をもった少女と、死んでしまった仔犬
連作:5
連作:6
ジャカルタの猛毒の雨はやがて霧雨へと変わり、その中で揺れる、男性器をもった少女と、死んでしまった仔犬
INDONESIA
NORTH JAKARTA
中華街
13
Diana Halim
22:00-24:00
わたしたちが食事とお酒を楽しんでいた個室のドアがノックされ、黒い長袖シャツを着た男性マネージャーが入って来て、Jeanに普通語で何ごとかを囁いた
Jeanは頷き、日本語に切り替えてわたしにこういった
——”さわまつさん、ここの個室は時間制で、すでに二時間を超えてしまいました。お店を変えて別に移ってもいいのですが——
JeanはそれからDianaを見ながらこう続けた
——”外はまだ小雨が降っていて、少し霧も出ているようなので・・・
・・・このままこのお店の、フロア席に移ろうと思っていますが、どうですか?”
もちろん、問題なかった
それぞれグラスだけを持ち扉へ向かう
朝5時まで営業しているというここ香港飲茶の老舗はざわめきに満ちていた
フロア席はすでに22時を過ぎていても尚、かなりの込み具合で色とりどりの服を着た、地元客や観光客と思しき老若男女で溢れかえっている
世界中の至る土地に、いわゆる中華街は存在していて、わたしもヴェトナム・ホーチミンの5区のCho Lonや、パリの中華街は好んで見てきたが、ここジャカルタの心臓部
”PIKエリア”はそのどちらとも異なるような凝縮されたエネルギーに満ちているようにわたしには感じられた
そしてここ心臓部に棲むひとびとのバイタリティは——
そしてここ”PIK”の住人
Jean——
&
Diana——
Dianaが両性具有者と聞かされ、その難解な英単語を解読したときには驚いたが、実はそのときそれだけだった
何しろ目の前にいるDiana Halimは、誰がどこから見ても女性だった
人間は結局、視覚から入ってくる情報にどうしても左右されてしまうのがよくわかったような気がした
たとえ彼女が上半身に女性の胸をもち、下半身に男性器をもっていたとしても、視覚から入ってくるひとりの美しい女性像からはどうしても結び付かない
何よりDianaの女性特有の柔らかな身体の線がそう思わせた
Dianaの小ぶりで、まるで青い果実を思わせるような小さく隆起する胸の線をそういいたいのではない
全身をして、男性のように筋肉質でがっちりとした骨格ではなく、女性特有の柔らかで華奢な線なのだ
たぶん、間違いないだろうがわたしと同じ状況下にいれば、誰しもがわたしと似たような感想を持ったに違いない
Jeanはやや意外そうな目でわたしを見、涼し気な顔でこういった
——”あまり驚かれないのですね?”
別に正面にいるDianaに対して遠慮して、派手におおげさに驚かなかったわけではなく、本当に、ただ、わたしの目の前にいるのはひとりの美しい中華美人の女性だったからだ
Dianaもやや意外そうな顔つきでわたしを見ていた
Jeanは重ねていった——
——”まぁ、ここでDianaが下着でも下ろせば話は別なのでしょうが”
するとDianaの顔色がサッと変わり、素早く白いナプキンで唇を何度か押し当てるとおもむろに立ち上がり、黒い細身のパンツのボタンに手をかけ最上部のそれをひとつ外して、一気に下ろそうとした
今度はわたしの顔色が変わる番
わたしは椅子から少し腰を浮かせ、慌てて
”ちょっ・・・”
と、口を開こうとするとJeanもDianaも声をあげて大きく笑い
Dianaは再びパンツのボタンをとめ、首を小さく横に振りながら静かに腰を下ろした
もちろんそれはこの夜に飲んだお酒が影響しているのは明白だった
ふたりとも顔をやや朱に染めていて、以前SemarangでJeanと飲んだときもそうだったが、基本的にかれの酒はいつも楽しい酒で、その幼馴染のDianaも同様のようだった
17歳も年下の小僧と”小娘”がこのわたしを手玉に取るとは・・・
しかしもちろんそれは気分の悪いものではなかった
そういえば——
Jeanがこの日初めて笑顔を覗かせたのはこのときだったのかも知れない・・・
そしてDianaが立ち上がった瞬間に、タイトな黒いノースリーヴが腹部に沿うようにもちあがり、そのとき左の腰骨あたりに小さな入れ墨が見えた
真っ白な彼女の肌に、黒い入れ墨は印象的だった
それはわたしには小さな黒い蜥蜴のように見え、しかも赤い舌先がチロチロと出ていたように思えた
蜥蜴——
蜥蜴か——
そのとき瞬間的にこう思った
蜥蜴って・・・
両性類か——
いや——
いやいや
それとも
爬虫類だったか——
Dianaにもう一度見せて欲しいと頼んで、蜥蜴は
両生類なのか爬虫類なのかを訊いてみようと思い
もしも両生類ならば、何かの暗示か護符、あるいは全く別の意味があるのかを尋ねようと思い口を開こうとすると、逆にDianaにこう訊かれた
——”さわまつさん、しかし〈androgynos〉の意味をよくおわかりでしたね。英語が母国語ではいひとには、いつもなかなか意味が通じません
けっしてpopular(な単語)ではありません”
質問しようとその出鼻を挫かれる形にはなったが
なぜそのような専門用語を思わせる英単語をわたしが知っていたかは
「縁」があって、アメリカの1973年に物故した
”アウトサイダー・アートの老王”
ヘンリー・ダーガーの作品を知り、それについて自分で調べていた過程で
この英単語と巡り合ったのだ
androgynos
世界一で最も長い長編小説と知られ、しかしおそらくは未だに刊行されない
「非現実の王国で」
その主人公の七人姉妹”Vivian Girlsたちは少女の肉体を持ちながらも男性器をもつ姿が、その世界一長い物語の表紙や
物語のあらゆる局面に挿入される形で描かれているのだ
そしてダーガーの死後
粗末なアパートのかれの遺品の旅行鞄の中から現れたこの長大な物語は
NYとPARISのキュレーターをまるで磁力の引き寄せ
やがて
世界中のひとびとの心を激しく揺さぶりはじめるのだ
そしてこの老王の存在とその作品をわたしが初めて知った場所は
Facebookの「過去の思い出」機能の通知に依れば、今から正確に10年前の
ヴェトナム・ホーチミンで
その存在を熱意をもってわたしに教えてくれたのは、当時20代中頃のある日本人女性だった
VIETNAM 2013
HO CHI MINH, District 1
MAJESTIC HOTEL
14
臆病で小さな緑亀なのか、それとも雨に打たれた白い仔犬なのか
当時わたしは、ホーチミンに常駐という形態ではなく、出張ベースで一か月のうち正確に二週間を主に1区で過ごしていた
そうした形態の生活を、実に約8年余り過ごし、ホーチミンでは多くのひとたちと知り合うことになった
仕事以外でも異業種の、そしてほとんど同世代の日本人男性で結成された交流会、”BIA HOI CLUB”という、週末に主に7区に集い、ローカル屋台でビールを飲むだけのささやかな会に参加するようになり、ある一時期はその会の中心メンバーのひとりとして様々な業種の日本人と知り合うことになった
ある晩、その会で知り合い今でも懇意にしている旧知の友人から電話で相談を受けた
それによると、その友人は日本出張で一時帰国の日程が決まっていたが、その帰国期間の間にバックパッカーで世界を放浪している女性の友人が隣のカンボジアから陸路でホーチミンに入ってくるらしく、その女性のHCMC滞在中のアテンドをお願いできないだろうかという内容の相談だった
それは別にわたしでなくてもよかったはずだが、当時のわたしの業務の性質のひとつは、日本から商談に来られた顧客を、商談が終わった足で市内のレストランや、ときに観光地に案内するということが頻繁にあり、ちょっとしたガイドのような真似事は簡単にこなせるということが大きかったのかもしれない
それにわたしの方も、相手がわたしよりいくらか年下の若い女性だということもあり、そこに小さな下心のようなものが全くなかったわけではなかったのだ
わたしはふたつ返事でその依頼を受け、ある土曜日の夜に彼女が数日滞在する予定の、世界中のバックパッカーが集まる
Pham Ngu Lao通りまでタクシーで向かったのだ
そうして、ピックアップに向かったGUEST HOUSEでその女性と会うも、会って五分もせずに、この話をもってきたBIA HOI CLUBの友人のことをを呪いたくなった
もちろん、その女性のことをとやかくいうつもりは全くないのだが、彼女は
究極の人見知り屋さん
だったのだ・・・
今振り返っても、この彼女クラスの人見知り屋さんには出会った経験がない
ショートカットでかなりの小柄、問答無用で保護したくなるような女優の石田ゆり子を思わせる仔犬顔で、小さなリュックを背ではなく胸元にかけ、それがまるで自身を外敵や悪党から守る「盾」のように抱きしめながらわたしの前に現れたのだ
それ自体はもちろん問題はないのだが、挨拶をかねて、わたしが何を話しかけても聞き取れないような小声でぼそぼそっと何かをいうだけで、彼女からの”YES”のサインは無言で小さく首を縦にふるだけ・・・
友人からは、彼女はバックパッカーでインドを放浪した後に空路で東アジアに入り、カンボジアを旅した足でヴェトナムに入ってきたらしいと聞いていて、わたしはよほどタフな女性のイメージを抱いていたが、眼前に現れたのはまるで臆病で小さな緑亀・・・いや、雨の夜道で震えているような仔犬だったというわけだ
当時のPham Ngu Lao通りの喧騒は、交通規制が入る前の時代だったこともあり、多国籍の多くのひとびとが行き交うすさまじいエリアだった
わたしはとりあえず彼女をGUEST HOUSEから連れ出し、ごったがえす人波をかきわけるようにして進み、当時よく通っていた通りの最も奥の、Bui Vien通りと交差する角の店〈Santa Cafe〉へと案内した
その店は欧米人のバックパッカーを当て込んだ安直の洋食の店で、通りまで簡易テーブルと椅子が並び、通りを行き交うひとをぼんやりと眺めながらビールを飲むのが常で、商談や会食のあとの深夜にひとりでもよく来たし、福岡から来た友人も案内したし、CLUBのメンバーとも来たし、本当に懇意にしていた同世代の日本からのお客様のみも、ときどき案内していた
要するに肩肘を張らずに、本当に力を抜いてリラックスできるような店だったのだ
仔犬の彼女は相変わらず何を考えているのかわたしにはさっぱり不明だったが、通りがかった定員にとりあえず虎が吠えているラベルのTiger Beerと氷を頼み、ヴェトナム方式とも呼べる氷を入れたグラス・ビールで、ふたりでとりあえずの乾杯をした
ちなみにFacebookの当時の記録によると、このとき飲んだビールが一本22,000VND、当時のレートで約90円という破格の安さということもあり、だから多くのバックパッカーたちが集まる、東南アジアのひとつの「聖地」でもあるのだ
そして乾杯の後は、その仔犬の彼女はメニューを、まるで小さな緑亀のように自分の顔を隠すようにしながら必死に料理を選んでいたのだ
わたしはどのくらいの時間それを待っていただろう
ビールはすでに飲み終え、追加でもう一本頼んでそれを飲んでもいてもまだ決まらない・・・
もちろんその間はお互いに無言・・・
そして突然ハッとし、仔犬ちゃんに訊いてみた
——”ごめんごめん。メニューはヴェトナム語と英語表記だから、ひょっとして全然わからなかったかな?”
そう。この手のバックパッカーが多く集まる店はメニューに料理の写真を載せるような親切心はなく、ただぶっきら棒にヴェトナム語と英語でしか表記されていないものが多かったのだ
するとその超人見知りな仔犬ちゃんは、本当に消え入りそうな小さな声でこういった
——”すっ・・・すいません。わたし・・・先に申し上げるべきだったのですが、まだヴェトナムの通貨のVNDをほとんど持っていなくて・・・”
やれやれ・・・
やれやれだ・・・
何が哀しくてバックパッカーの、しかもいくらか年下の、それも女性を相手に、わたしが彼女にお金なんかを出させることがあろうか・・・
少しばかりこれにはわたしもショックを受けた
——おれって・・・そんなにケチでセコイ男に見えるのだろうか・・・?
もちろんそれは、この仔犬の彼女の礼儀正しさだということはわかってはいたが、そのときは小さく苦笑して首を横に振るしかなかった
——”そんなことは何も気にしなくていいよ。1区にレートが最もいい両替屋があるから後で連れていってあげるよ”
そしてそこでお互いに何本づつかビールを飲み、この仔犬の彼女の顔に朱が差し始めた頃に、ようやくリラックスしはじめたのか、それともわたしに対する警戒心を解き始めたのか、じょじょに、ぽつりぽつりと話始めた
もちろんそれでも、会話が成立するというわけではなかったのだが・・・
ホーチミン1区の目抜き通り、Don Khoi通りの
SHERATON HOTELの通りを挟んだ向かいの両替屋にタクシーで連れていき、さてこの後はどうしようかとわたしは途方に暮れはじめていた
会話がほとんど成立しないのだ
ひょっとしてこの仔犬の彼女は、単独で市内を歩いて廻りたいのではないのだろうか
とりあえず友人の依頼通りにピックアップし、彼女もVNDを手したのだ
ひとりでホーチミンを味わいたいのであれば、あとは最低限の危険情報を彼女に教えてあげれば、もうそっとしておくべきなのではないか・・・
夜でも多くの観光客で賑わう通りの突き当りにあるサイゴン・リバーへ向かって何となくふたりで歩きながらそう考えていると、相変わらずリュックを胸元に構えた仔犬の彼女はわたしをチラチラと見上げながら、おずおずと、そしておっかなびっくり、わたしにこう話しかけてきた
——”あっ、あの・・・さわまつさんは沢木耕太郎にお詳しいとXXXから聞いているのですが・・・それは・・・本当でしょうか・・・?”
この雨に打たれたような石田ゆり子的な仔犬はいったい何を言い出したのかと一瞬怪訝に思ったが
その内容を理解してわたしは小さく声をあげそうになった
そうか!
その友人がわたしにこの仔犬ちゃんのお守りを依頼してきた理由は
沢木耕太郎だったのか
これで友人が名指しでわたしを指名してくれた理由がわかった
その友人とサシで飲むときは、お互いに沢木耕太郎の熱心なファンでもあるので新刊が発売されるとお互いに感想を述べあっていたのだ
だからかれはわたしに依頼してきたのだ
気がつくのが遅すぎたくらいだった
仔犬ちゃんはいった
——”あっ、あの・・・もしよろしければ”MAJESTIC HOTEL”に連れて行って頂きたいのですが・・・もし、よければ・・・でいいのですが・・・
さっ、さわまつさんはよく行ってらっしゃるとXXXからは聞いていて・・・”
仔犬ちゃんはかなり勇気を振り絞ってわたしに話しかけてきたに違いない
前にかけていたリュックを強く両手で抱きしめるようなしぐさだった
彼女の声はほとんど聞き取れず、わたしはやや前傾で膝を曲げ、彼女の口元に耳をもっていかなければ聞き取れないほどの小声だった
わたしはひとりで笑いながら何度も頷き、隣の仔犬ちゃんを見下ろすかたちでこういった
”MAJESTICでMs.SAIGON?”
バックパッカーたちの聖書ともいわれる一冊に、ノンフィクション作家の大家、沢木耕太郎の「深夜特急」がある
香港からインドのデリーを経て、陸路の、しかも乗り合いバスでロンドンまで旅をする紀行文の伝説的な一冊だ
沢木さんはそれ以外にも多くの紀行文の傑作を書かれているが、そのなかのひとつにヴェトナムを舞台にした「メコンの光」という名作がある
(ノンフィクション全集「オン・ザ・ボーダー」/「一号線を北上せよ」に収蔵)
それは2000年代初頭の沢木さんの旅を記録したノンフィクションで
1970年代のヴェトナム戦時下の生々しいルポルタージュを残してこの世を唐突に去ったジャーナリストの近藤紘一を追走するかのような旅でもあり
その近藤紘一が、やがて精神病の誘発に依る原因で、自殺によって失うことになる前妻とともに滞在していた追憶の宿、MAJESTIC HOTELに、沢木さんは滞在されるのだ
そしてその「メコンの光」のなかでもとりわけ印象深く描かれているのが、ホテルの屋上にあるオープン・エアの〈Breeze Sky Bar〉でカクテルの
Ms. SAIGONを飲むという描写が数回描かれていて、それを読んだバックパッカーや沢木さんのファンがまるで〈巡礼地〉のようにその場所を訪れ、そこで飲むMs.SAIGONを通称、わたしたちは
”MAJESTICでMs. SAOGON”
と呼んでいたのだ
もちろんいうまでもなく、わたしも何度も何度もそこへ行き
「メコンの光」を読みながら、沢木さんと同じように
Ms.SAIGONを飲み、ひとりで悦に入り、おおいに満足していたのだ
そしてそれに収まらず、わたしの両親が旅行でHCMCに来た際にもかなり無理をして自腹を切り、この五つ星ホテルでもあるMAJESTICに宿泊させ、やはり〈Breeze Sky Bar〉へ連れていき、熱意をもって、ここがどういう場所なのかをふたりに説明しながら、酒が一滴も飲めない父の分まで一緒にMs.SAIGON《ミスサイゴン》を頼み、半ば無理やり乾杯して一緒に飲んだのだ・・・
この夜は特別、沢木耕太郎に感謝した
この何を考えているのかさっぱりわからない人見知りで臆病な仔犬ちゃん
沢木さん、あなたを媒介してようやく共通点を見出すことができました!
フレンチ・コロニアルを濃く残す建物のMAJESTICに仔犬の彼女を連れて行き、木製の小さなエレベーターで屋上の〈Breeze Sky Bar〉まで案内して
Ms.SAIGONを頼んであげると、彼女はとても喜んだ
彼女もまた、わたしと同じく熱心な沢木耕太郎のファンだったのだ
その夜は遅くまで沢木耕太郎の著作についておおいにふたりで語り合い、仔犬ちゃんも警戒心を解いてくれて大いに盛り上がり
なんだ!変わったこじゃなくてよかった!
と自分勝手な感想までもった
仔犬の彼女はイラストレイターを養成する専門学校をでたあと、美大に入り直し、社会に出てからは親元からほど近い小さな広告代理店に数年勤め、その間に貯めたお金で、思い切って海外へ出てきたらしい
親には、専門学校の学費に加え、高額な授業料を払わなければならない美大まで進ませてもらい、そして人間関係に嫌気がさしてあっさり会社を辞めた経緯で、ご両親ー特に父親とはかなり複雑な状況下にあったらしい
それに対してわたしが彼女に何か具体的なアドヴァイスをしたとは到底思えない
ただ強く印象に残ったのは、すこしばかり酔いの勢いに任せて彼女が語り始めたアメリカの”アウトサイダー・アートの老王”の人生とその作品群だった
おそらく本当にアートや芸術が好きな女性だったのだろう
この夜のほとんど99%はわたしが話題を見つけて提供したが、残りの1%は仔犬の彼女が自分から語ったヘンリー・ダーガーの話だった
しかし、その1%が全てだった
彼女のスマートフォンに映し出されたダーガーの「非現実の王国で」のパステル画とコラージュを多用した独特の世界観は、しかし、わたしにも強い印象を残した
そしてこの仔犬の彼女がまるで「盾」のように前にからっていたリュックからスケッチブックを取り出すと、インドのガンジス河の霧が漂う朝の風景のスケッチや、動物園で見てきたベンガル虎の見事な線画、そして何枚も何枚も模写したダーガーの水彩画を、まるで思い切って自分の秘密を打ち明けるようにわたしに見せてくれたのだ
はっきりは覚えてはいないが、後になって調べ直すと、2013年当時の、その数年前に東京で初めてダーガーの展覧会が開かれていたはずだ
彼女はそこへ実際に足を運び、強烈な衝撃に小さな身体の全身を撃ち抜かれたのだ
その夜はお互いに二杯づつ、ミス・サイゴンを飲み、わたしはさらにフォア・ローゼズを一杯飲んだあとで、彼女をタクシーに乗せて再び
喧騒渦巻く深夜のPham Ngu Lao通りの彼女が宿泊していたGUEST HOUSEまで送り届け、わたしは予定通りに翌日曜日の朝の便で成田に帰国した
10年前のその夜に、なぜそのとき飲んだお酒の種類と数まで覚えているのかは後述することになる
この夜のことは後年、わたしの心に鋭く刻まれる夜となり、この夜を追走することができる〈記憶〉を、わたしはもちえることができたのだ
そして、この仔犬の彼女と会ったのはこの日が最後だった
もうお互いの人生が交差することは決してなく、本当に最後だったのだ
それから数か月して、久しぶりにBIA HOI CLUBのいつもの飲み会にでも行こうと思い立ち、7区のローカル屋台に着くと、その仔犬の彼女のアテンドを依頼してきた友人も来ていた
このBIA HOI CLUBのメンバーたちは、基本的に自由参加で、都合がつけば行くというような緩やかなルールの下に成り立っていて、同じメンバーでも数か月、あるいは数年会わないということもざらだった
それは基本的に当時30代のメンバーが多く、みな所属している会社の仕事の最前線で仕事をしていて、商談の後は顧客との会食をもつ者やわたしのように頻繁に日本とヴェトナムを行き来する者が多かったのだ
久し振りに再会したその友人に会うと、かれは他のメンバーに断わりをいれてこういった
——”さわまつさん、ちょっと向こうのテーブルで二人で飲もう”
いったい何事なのだろう
わたしも他のメンバーに小さく断わりをいれ、その友人と別のテーブルに座ると、普段は陽気な男が沈痛な面持ちでこういったのだ
——”数か月前に、おれがアテンドを頼んだバックパッカーのXXXのことなんだけど、実は・・・”
小さなリュックサックを前にからった仔犬の彼女の姿が脳裏によぎる
かれは続けた
——”実は旅を終えて帰国したほとんどその直後に交通事故で死んだんです”
えっ——
なんだって——
わたしと別れた後の仔犬の彼女の旅は、その後ヴェトナムを北上し首都HANOIを超えて、徒歩で中国国境を越えて、陸路の南廻りで上海まで到達したはずだ
それは以前わたしがバックパッカーで辿ったルートの、全く逆のルートでもあった
あの日会った際に、当時隆盛を極めたFacebookのアカウントを交換して
「友達」になっていたのだ
それによって彼女の足跡をわたしも追うことができ、帰国したのを
「見届けた」あと、たしかに彼女の投稿は一切なくなっていたが、わたしはほとんど気にも留めていなかった
当時の海外で知り合った友人たちの傾向のひとつとして、海外では頻繁にFacebookの投稿を繰り返すが、日本に戻るとパタリと投稿を止めるパターンが多く、わたしもそうした傾向が強くでていた
それは海外にいるということを、まるで何か特別視したかのような幼い虚栄心を投影させたような不思議な心理で、もちろん当時はそのようなことは自身で気がつくことができなかった
その友人が教えてくれたところによると、その交通事故はどうやら相手側の飲酒運転に明確な原因を求めることができる性質のものだったらしい
あの小柄で、まるで夜の冷たい雨に打たれ、問答無用で両手で胸に抱きかかえて保護したくなるような、仔犬のように可愛らしい、仔犬の彼女は、ほとんど即死に近い状態で突然この世を去っていってしまったらしい・・・
その友人から聞かされた事実の、この夜のことは10年経った今でも克明に覚えている
この夜にわたしが何を着ていて、その友人が着ていたポロシャツの色さえも今でも不思議と鮮明に覚えているのだ
原色の青色が目にきつい、屋台の安物のプラスチックの椅子の背もたれに全体重を預け、茫然とした
まさか——
そんなことが・・・
時折、ネットのニュースで飲酒運転事故の記事のタイトルが視界に入ってくると、いくつかの情景が唐突に脳裏に浮かび上がることがある
それらは全く脈絡がなく、また秩序もないもので
カクテルのミス・サイゴンとヘンリー・ダーガーの男性器をもつVivian Girlsたちが一瞬だけわたしの脳裏に浮かび上がってくるのだ
今日現在、全世界には約70億人の人間がこの地球上にいるはずだが、飲酒運転事故の報道を観て、ミス・サイゴンとVivian Girlsを瞬間的に連想するのは、その70億人のなかでも、このわたししかいないはずだ
一件脈絡のない無機質で無関係なものだが、わたしの内部ではある有機的な繋がりをもって、たしかに存在しているのだ
それはなにも、わたしが特別鋭敏で、また、繊細な感性を持っているといいたいのではない
一件の報道記事、あるいは一枚の絵、一曲の音楽、何かの手触り、懐かしい匂い
それはあるいは何かの味覚であったとしても、わたしたちが五感で感じることができる感覚の、それらが無意識下で突然沸き起こる過去からの追憶は
間違いなく70億通りの、ひとびとの心を瞬間的によぎる、それぞれ固有の情景が存在しているはずだ
生きている者で、それを持たない者はいない
だからわたしの場合も、ただの70億分の一にすぎない
ただひとつだけ、絶対的なものがあるとすれば、その瞬間的に浮かび上がる情景には決して「未来」は含まれないということだけだ
地球上の誰もが未来の記憶と経験をもたず、だから未来追体験することだけはできない
ただ在るのは、ときおり、うっと声を出して呻いてしまうような、中世のギロチンを思わせるような唐突さで断絶された冷たい過去だけだ
それは間違いない事実だった
だからという言い方はおかしいのかも知れないが、わたしの中ではヘンリー・ダーガーの作品群は、だからいつも身近にある存在でもあるのだ
ヴァン・ゴッホや、ダ・ヴィンチ、「地獄門」のロダンや、「バベルの塔」のブリューゲルのように、過去の遠い地点からやって来た芸術家ではないのだ
海外からほとんど毎日のように見る日本のYahoo!ニュースの裏側には
Ms. SAIGONとVivian Girlsが毎週のように透けて見えることがあるのだ・・・
この章で掲載した2013年当時のホーチミンの写真は、すべてわたしのFacebookの投稿から抽出し、この〈note〉に再度掲載したものだ
タイムマシンのように時代を2013年まで遡り、今回改めて俯瞰すると、そこにはもちろんあの仔犬の彼女の記憶も、まるで図書館の閉架書庫の書棚のように残されてあった
それはあの夜の顛末のおおまかなアウトラインだけを短く切り取ったもので、おそらくわたししか内容を把握できないほどに簡素化され、第三者が読んだとしても、そこに仔犬の彼女がいたということはわからない
なぜなのだろう
別に彼女の存在を「隠す」意図はわたしにはなかったはずだ
「隠す」理由が一切ないからだ
微かに訝し気に思って当時の記録を遡っていると、そこにはもう一つ、仔犬の彼女に関する別の記事があった
しかしそれには「閲覧制限」がかけられ、わたし自身しか読むことができないようにロックがかかっている
それでようやく理解ができた
その「閲覧制限」の記事は「下書き」だったのだ
それは記事にする前の推敲ともいうべきもので、当時のわたしは仔犬の彼女との短い交流をなんとか文章として定着させようと試みてはいたが、おそらくはまだ客観的な事実やそれに対する自分の内面を書き出すことができる技術、いや、感応する精神を持ち得ていなく、途中で断念したか、あるいは時間を作ってどこかのタイミングで何とか書き上げようと文章と構成を練っていたのか、そのどちらだったのかは、今ではもう思い出せない
しかし、いずれにせよ忘れてしまっていたことだけは間違いなかった
そして、その推敲の中には僅かに、仔犬の彼女の当夜の「肉声」が遺されていた
わたしたちの人生に、「もしも」は存在しない
もしもあのとき、という発想は空想と同義で、そこには微かな希望的な観測しか存在しえない
だから死者は死ぬべきときにこの世界を去り、それがたとえ陰惨な事故であったとしても同じで、仔犬の彼女が辿らざるをえなかった情熱の軌跡だと思うしか、この喪失の痛みから逃れることができない
だが、たった一度だけ「もしも」という仮定が許されるのであれば
遺された仔犬の彼女の「肉声」に対して、こう反論し、問うてみたい誘惑に駆られる
——”「孤独の中でしか生まれない芸術」などはない
それは「孤独の中でしか、生まれざるを得なかった芸術」と言い換えられるべきで、ヘンリー・ダーガー自身も、そのようにして生きる以外に自分の人生を生き抜く方法を知らなかったはずだ
そして、ダーガーのような生き方ができる人間は、この世界ではそれこそダーガー自身しか存在しえなく、わたしたちが真似することは絶対にできない
だから、歴史上で最も孤高で、最も偉大な芸術家のひとりであるはずだ”
と
そして、あの仔犬の彼女の死後数年が経って、わたしは本格的に英語を学び始めた過程で、ダーガーとVivian Girlsのことをもっと知りたくなり、日本語では限られた情報しか得られなかったこともあり、本国アメリカのサイトやダーガーについて英語で書かれた個人ブログを探し出し、その過程で男性器をもつVivian Girls、〈androgynos〉という両性具有者を指す
わたしにとっては馴染みのない英単語に巡り合うことになったのだ・・・
NEXT
連作:7〈完結編?〉
10月01日(日) 日本時間AM7:00
〈六か国語を操る華僑のゲイ〉と〈四か国語を操る華僑の両性具有者〉
〈お断り〉
前作の終わりで、今回の連作:6で完結のアナウンスを出させて頂いておりましたが、これを書く時点ですでに15,000字に迫るもので、このまま続けても良いのですが、やはり便宜上ここで一端カットし、次回、連作:7での完結に延長させて頂きます(たぶん)
だらだらと長くなってしまっていますがどうぞ最後までお付き合いください
この連作へと続く
前日譚
連作:1
連作:2
連作:3
連作:4
連作:5
連作:7〈完結編〉
次回へ続く