続・44歳、スカートを穿く
前編
続・44歳、スカートを穿く
JAKARTA
30.SEP.SAT.2023
<六ヶ国語を操る華僑のゲイ>、”怪物”ジャン・メスプレードは定刻どおり午後六時に、わたしが宿泊しているMERCURE HOTELのロビーに現れた
今日は車で来ていないということは、今夜、帰りにはここ中央ジャカルタのどこかで一杯引っかけるつもりなのだろう
ジャンはいった
”ひとまず食事に行きませんか。今日はちょっと仕事が忙しくランチを食べそこなってしまって、かなりお腹が空いているのです”
そうすることにした
時刻は午後六時を過ぎ、ジャカルタの陽は完全に落ちきっていた
ここインドネシアの夜は長く、基本的にモールをはじめとしたあらゆるお店は午後10時までは営業していて夕食をとった後でも買い物は十分可能なのだ
ふたりで並んで歩き、ホテルの真裏に広がるMangga Besar通りへ徒歩で向かうと、ジャカルタで最も治安が悪いエリアの筆頭と呼ばれるその通りには、早くも赤く、そして妖しい照明が灯り始めていた
そして相変わらず立ち込める、通りの屋台からの強烈なドリアンの香り
コブラ・サテの刺青男は紙巻煙草を吸いながらコブラの皮を剥いでいる
土曜日の夜のせいなのか、昨日よりも人口密度が高まっているようにも思え
二車線の通りはどちらも激しい渋滞で、クラクションが通りに鳴り響いている
昨日、晩御飯を食べた<俺の餃子>の前を通り、LAWSONの前で国語教師を思わせる女性から女性を斡旋されそうになったとジャンに話すと、かれは鼻先でふっと笑いこう続けた
”この通りはあらゆる性風俗が揃っている通りでもあります
女性は、下は未成年から高齢者までと異様に”選手層”が厚く、それだけではなく、女性専用の風俗、レズビアンやゲイの性風俗まであります
要するに何でもあるということです”
昨日、この通りの東西を貫くメイン通りを一時間程歩いてはみたが、そのような店舗の看板や、通りを歩いている人たちからはそうした気配は一切伝わってこなかった
しかしそれはあくまでメイン通りの話で、そこから細かく枝分かれする小さな暗がりや路地には確かにそのような妖しい雰囲気はあったようにも思える
そして、それも悪くないなと思った
ここ最近はジャカルタの高層ビル群の夜景を集中して撮ってきたが、飽きはしないにせよ、もう十分かなと思い始めていたのだ
確かに綺麗に撮れたとは思うが、ただそれだけだった
奥行きがないのだ
だから、そこから生じるような物語性が一切写っていないのだ
それに直近で<ジャカルタ七部作>を書き、その中でこの大都市ジャカルタの夜景の写真はふんだんに盛り込めたので、納得はできないにせよ満足はしていた
だから今後は、こうした決して煌びやかではない、妖しい光に照らし出される小道や路地が面白いのかも知れない
そして、そうした妖しい路地はわたしが暮らす街Semarangにも存在していた
ジャンはいった
”とにかくこの通りでそうした遊びは危険です。近年は店側と警察、あるいは警察の制服を着た偽警官が連携して、行為中に現場に踏み込み、脅されてあらゆる金品を巻き上げ、丸裸で外に放り出されるそうです
そして金品だけで済めばいいのですが・・・飲み物に睡眠薬などを混入されて・・・そのまま行方不明となる者もいるようです
店側も・・・愚かですよね
そのような事態が続けば客自体が激減するということが何もわかっていないのです
店側も、そして客側も深く考えずに目先のことだけを考えているのです
そしてそういう愚かな者同士が集まるのがこの通りなのです”
わたしは立ち止まりざっと通りを見渡したが、そのような異常で危険なことが発生しているような通りには見えなかった
見えなかったが、そうした噂が蔓延しているのがこの通りだった
ジャンは真顔で続けた
”あれは何年前だったか。確か日本人の男が未成年への売春容疑で逮捕されています。その事件はここジャカルタでも大きく報道され、その日本人は強制送還されましたが、この通りは相変わらずで、似たり寄ったりの事件が後を絶たないのです
そして日本人の男ってホント・・・”
それに対して日本人としてどのように答えていいのかはわからなかった
海外にいて、海外の友人たちと話していると、あらゆる話題に関わらずふとまるで「日本代表」として、意見を求められることがしばしばある
そして今回のこのジャンの話同様に、ほとんど似たような性質を持つ状況をわたしはスペインで経験したことがあった
その当時、わたしはスペインに駐在していて、それはいつもの何気ない昼休みでの出来事だった
当時、地元のナヴァラ大学から研修生の女性が数名来ていて、わたしはほんの僅かな時間だが彼女たちの講師を務めたことがあったのだ
オフィスで共に食事をとり、その後でわたしはいつものルーティンでデスクトップでYahoo!ニュースの記事をざっと読んでいると、研修生たちの中でも最も好奇心が強く、最も利発そうなひとりの女子大生からこう訊かれたのだ
”日本のニュース。日本では今は何が起きているのでしょうか”
わたしはざっと記事を俯瞰し、その中から何かを拾い上げて簡単に説明してあげようと思っていたが、その日は政治も経済も、スポーツも、芸能ニュースでさえも何も特別なことは起こっていなかったが、その日、やけに目についたのが、有識者による痴漢と公務員の盗撮の記事だった
わたしは一瞬、躊躇いながらも、こう答えるしかなかった
”いや・・・日本は今日も・・・平和だね”
まさか異国の女子大生に、国辱もののニュースを解説するわけにもいかず
このようにある意味で苦しい逃げ方をするしかなかったが、海外にいる日本人のひとりとして、心底うんざりさせられた瞬間でもあった
それらの加害者に対してはもちろんだが、メディアの報道姿勢に対しても強い疑問をもった
もう少しまともなニュースはないのか?
事件の質はもちろん、報道姿勢もどちらも程度が低すぎたようにわたしには感じられたからだ
このような状況で、このような報道を知るのであれば、まだ、たとえば
XX丁目のXXさんの迷子の子猫ちゃんは無事に発見され、保護されました
などの地域のハートフルな記事のほうがまだいくらかましだった
そして世界的にみても日本人、そしてお隣り韓国の男たちは性に対しては異様に閉鎖的だとは海外では稀に聞くことは聞くが・・・
それにしても海外の当地では、痴漢や盗撮がニュースにあがってくることはほとんど見聞きしたことがない
ジャンと一緒に通りを歩いていると、うっかりわたしだけが野良犬の糞を踏みそうになった
ジャンが案内してくれたのはメイン通りの最も奥まった場所にある、通り沿いの小さな中華屋だった
その名はずばり、<中華食堂>
もっとも本人も初めて入るらしいが、同じ華僑の友人から美味しいと噂に聞いていたようだった
店内は作りの小さな、素朴で、家庭的で居心地が良さそうなお店だった
テーブル席が六つあるだけで、そのほとんどが埋まっていたが、唯一空いていた最も入り口に近い席に座ると、どうみても小学生にしか見えない男の子がわたしたちに菜単を持ってきた
おそらくは家族経営の店で、息子がお店を手伝っているのだろう
インドネシアではこうした形態のお店は多かった
メニューを開くも、英語もインドネシア語の表記は一切なく、かすれた中国語が微かに理解できる程度という、なかなかすさまじいものだった
ジャンが何品かの料理を普通語でオーダーし、最後にビンタン・ビールの大瓶を二本男の子に頼むと、その男の子は素早く踵を返し、すばしこい小猿のように駆けて、冷蔵ショーケースから栓抜きと共にビールを取り出し、わたしたちのテーブルの上に置いて、また素早く立ち去っていった
ジャンはよほどお腹が空いていたらしく、瞬く間に鶏を器用に解体していった
その間わたしはモツ炒めの癖になる辛さと格闘していて、昨日の
<俺の餃子>にしかりこの<中華食堂>にしかり、ジャカルタで美味しい中華を食べるのであればこの通りで十分なのではないかとひとりで感心していた
わたしは追加でもう一本ビンタンの大瓶と氷を注文し、ジャンにどうするかと尋ねるとかれは首を横に振り、ビールの代わりに白酒をボトル(小瓶)で頼んだ
ジャンは男の子の店員に銘柄を指定していたが、普通語だったためにわたしには聞き取ることができなかった
白酒か
いわゆる中国版のウォッカとも呼ぶべき、穀物由来の蒸留酒だ(芋?)
アルコール度数は基本的に50度以上で独特の甘みと風味があり、中国人が好んでショットグラスで飲み大騒ぎするあれだ・・・
わたしも以前、中国出張の際に当地で現地人スタッフと飲んだが、この酒はわたしには極めて危険だった
口当たりは柔らかく、くいくいと飲んでしまうが、あくまで蒸留酒なのだ
爆発性を秘めている酒なので、少量でも飲みすぎると、忘我の淵を彷徨うことになる・・・
わたしは小酒杯で一杯だけ付き合い、グラスで少量を一口だけ飲むとその滑らかな美味しさに驚嘆した
うまい
ジャンは手酌でくいくいと飲み進め、料理を旺盛に平らげていき、〆には麺料理を一品頼んだ
”怪物”ジャンとはこれまでに何度か酒を飲んだが、酔ったところはこれまで見たことがない
よほど強いのだろう
白酒の小瓶をほとんどひとりで空けても、様子は一切変わらなかった
食後に一息ついて、暖かい烏龍茶を飲みながら今夜これからの予定について話し合った
”買い物”
ジャンはいった
”Thamrin Cityを皮切りに、PLAZA(INDONESIA)とGRAND(INDONESIA)を廻りましょうか”
その三つの巨大なモールは近接していて、徒歩でも十分に観て廻ることが可能だ
そしてPLAZAとGRANDはこのジャカルタの象徴ともいわれる巨大な高級ショッピングモールだった
そしてそこで”スカート”を?
ジャンは頷いて、スマートフォンを取り出し何かを打ち込んで画面をわたしに見せてくれた
これは——
”HEDI SLIMANE”か——
わたしは思った
ジャンから”スカートを買いに行きたい”といわれたときは、確かにその瞬間は驚きはしたが、それが女装のための衣装だとは到底思えなかった
そのような趣味は、この”怪物”ジャン・メスプレードは持たない
その代わりジャンが言わんとすることは、あるいはイスラム教徒、それも男性が神に祈りを捧げる際に着用するスカート、”SARUNG”だと当たりはつけていたが、しかしまさか、本物のスカートだとは思わなかった
いや、HEDI SLIMANEの手がけた歴史的なこのスカートは、どこか突き抜けたような、超越的なスタイルを提案するものに違いない
女装だスカートだのの概念ではなく、もっと別のものだ
なぜならば20年前に発表されたこの作品は、画面越しに見ても古臭さを一切感じさせないどころか、まだ新鮮さを保っているようにも思えるからだ
そしてHEDI SLIMANEが手がけた作品は一般的に長い寿命をもつといわれていて、それもそのはずで、着用した際のシルエットこそが第一と考え、そこに繊細な装飾を僅かに施すだけの作品が多いのだ
つまりそれはシルエットがまず普遍性を与え、装飾が現代的な芸術性を与えて、それらを見事に融合させたのがこの天才の仕事なのだ・・・
そこにかれが発表した後で、世界中のデザイナーたちがこぞって模倣して世界中に拡散されていく
そしてこのスカート
もちろん、着る者を、逆にスカートの方が選ぶのだろうが・・・
ジャンはいった
”さわまつさんもこの国に丸二年いるのでよく理解できるとは思うのですが、ここインドネシアで男性がスカートを穿くことは日常なのです。何もおかしなことはありません。問題があるとすれば・・・”
その”問題”は明白だった
ジャンが見せてくれた赤いタータンチェックのスカートは、HEDI SLIMANEが約20年前に手がけたDior Hommeのものだ
この”百年に一人”といわれる天才デザイナーのデビューがこのDior Hommeで、そこから<少年性とロック>を主題に掲げたかれの繊細な作品群は、SAINT LAURENT PARIS、CELINEを経ながら20年以上もモードの頂点を独走状態で、世界中に熱狂的なコレクターをもつ
ランウェイで採用するモデルの多くは、パリを歩いていた市井の無名の若者を積極的に採用しモデルの世界にも新たな潮流を生じさせたのもかれだ
また高名な写真家の貌も併せ持っていた
色を一切使わないモノクロームの写真群に定着させた、主に世界中の若者のポートレイトも世界的に有名で、自身のクリエイトした作品には自らが撮影した写真を広告として使用し、その写真の完成度も実に素晴らしかった
かれの衣服の作品の中でも”名作”の名を冠するこの赤いタータンチェックのスカートや、白地の細身のシャツの左胸に血を思わせる細かな装飾を施した”ハート・ブレイク・シャツ”はもう事実上入手が困難なはずだ
ジャンはいった
”問題は、この画像は20年前のエディのデザインなので、新品を入手するのはオンラインオークションでない限り無理でしょう。そしてぼくは何度かこれをオークションで探しましたがやはり見つかりませんし、見つけても状態がすごく怪しかったのです。
それに・・・一度誰かが着用したものを買うのは・・・避けたい
だからこの際、これからジャカルタの生地屋を当たって仕立ててもらおうと思っています
ここはイスラム教徒の国で、伝統服の”BATIK”はもちろん、”SARUNG”用の生地も豊富に手に入ります。仕立て屋も星の数ほどあります
既製品の”SARUNG”でもいいのがあれば買うつもりでいます
さわまつさん、どうです?
一緒に買いにいきませんか?”
わたしはすでに、スカートを穿く気まんまんだった笑
そこからは大車輪だった
<中華食堂>を出て通りで流しのタクシーを捕まえて、そのまま土曜日の夜の喧騒渦巻く中央ジャカルタのThamrin City Mallを皮切りに、合計三つのモールをジャンとふたりで駆け抜けて、そして、主に有象無象のBATIKショップを制覇・・・いや、”制圧”した
最後に昨日ラタン・バッグを購入したSarinah Mallに寄って少し休憩をとることにした
とにかくこのSarinahは立地がいいし、コンパクトなので無駄な徒歩移動を極力さけることができるのだ
エスカレーターで三階の、昨夜も来た酒屋<Bottle Avenue>のテラス席にて、光化学スモッグと排気ガスが混入されたジャカルタの空気を吸いながら、ウィスキーを一本とソーダ水、カットフルーツを買い、ジャンと作戦会議を行うことにした
戦利品——
結局のところ、一番初めに寄ったThamrin City Mallで既製品の”SARUNG”をわたしが三枚、ジャンが五枚だった
高級モールでも主にBATIKを取り扱うショップを中心に見て回ったが、やはりどこも宗教色が強いどこか魔術的な柄が圧倒的に多かったのだ
HEDI SLIMANEが手がけるような<少年性とロック>を彷彿とさせる生地は、この夜に見た限りではどこにもなかった
しかし頭の冴えている<六ヶ国語を操る華僑のゲイ>は、Thamrin CityからGRAND INDOESIAへ移動する際にはすでに作戦を変更していた
見て回ったBATIKショップの店員をつかまえては
・生地の持ち込みは可能かどうか
・可能ならば加工費と納期はどのくらいかかるのか
の二点を聞き出してはスマートフォンに音声でメモを取り出したのだ
ジャンは別にオンラインで生地を買い、その加工先を含めて検討していたのだ
残された問題点はもちろん仕上げの丁寧さで、この点を中心に実物をふたりで見て検証し、ジャンはわたしの意見を聞き、わたしはジャンの意見を聞き、条件を満たしたお店を数件ピックアップしておいたのだ
ジャンはいった
”今夜の収穫としてはまずまずといったところでしょう
後はオンラインでぼくが生地を探して購入し、どこかで加工させます
必ず、素晴らしいものを作り上げてみせます
もしも良いものが完成したら、さわまつさんにも一着プレゼントしますよ”
”怪物”ジャン・メスプレードならば、必ず自分の理想に合うものを、確実に手に入れるのだろう
そしてジャンはマルボロの赤にマッチで火をつけ、わたしも一本もらって火をつけ、クラクラくる久しぶりの強いニコチンに眩暈を覚えていると、最後にジャンはこういった
”11月・・・あるいは12月に再び仕事でSemarangに行く予定にしています。次回は<SPIEGEL>で再会しましょう”
そして地下にある外資系のスーパーマーケットでお互いにビンタン・ビールの六缶パックとバリ島産のピーナッツを購入して、それぞれ表通りでタクシーを拾って別れた
翌朝、早朝五時に目が覚めて、とりあえずバスタブになみなみと湯を張ってゆっくりくつろいだ
この旅行では沢木耕太郎の新刊をもってきていたが残りのページはすでに残り僅かでここで読み切ると帰りの機内で楽しめないので、湯船で読むことは避け、代わりに村上春樹のエッセイ「村上ラヂオ」を読むことにした
そして——
昨夜にジャンと一緒に買いに行った”SARUNG”——男性用のスカートを早速穿いてみることに
なっ、なんなんだこの開放感は・・・
というのがわたしが抱いた、正確に覚えている最初の感想だった
普段はSKINNYではないにせよ、SUPER TIGHTのデニムを好んで穿くという習慣がそうさせるのかも知れなかったが、とにかくスカートのこの開放感に、まるで何かの呪縛から開放されるような清々しさがあった
そこからわたしは意味もなく何度も何度も部屋を歩き回り・・・ひょっとして頭のどこかが壊れてしまったのかと思うほど、広い室内を歩きまわった
少し動揺していたのかも知れない笑
このままこのSARUNGを穿いたままで下の会場へ朝食をとりに行こうかとも思ったが、その前にふと思い立ち、スマートフォンをサイドボードから取り出し、今ではもう結婚や子育てで忙しく、立派なママとなり、だいぶ数が少なくなってしまった女性の友人たちへ”カミングアウト”調のメッセージを送って、ちょっと反応を探ってみることにした
<中学校の同級生(福岡)>
<昔からお洒落な友人(福岡)>
<昔からやや天然ボケの友人(福岡)>
<親戚(東京)>
<臨床心理士の友人(東京)>
そして、母とわたしと、妹、弟の家族LINEでは
一切、誰からも返事が来なかった・・・
そして、この記事を執筆している十月中旬の段階で、わたしのスカート”SARUNG”はすでに六枚に増えていて、今後も精力的に購入するつもりだ
<六ヶ国語を操る華僑のゲイ>、”怪物”ジャン・メスプレードと
<四ヶ国語を操る華僑の両性具有者>、”怪物”ディアナ・ハリムとの共通のチャット・ルームでは、複雑なアルゴリズムを持つ〈PGP〉と〈hideram2.0〉を意図的に二重に介した、第三者には絶対に解読不可能な暗号通話のオンライン回線の中で、ほぼ毎週末に”MEETING SARUNG”が開催され、以下の要望を取り入れたオリジナルをジャンが中心となってジャカルタで作り上げる予定だ
そして超厳重なセキュリティとは裏腹に、話している内容は無害で微笑ましいものが多かった笑
〈MEETING MINUTE〉
・<少年性とロック>を踏襲する生地であるということ(逆に宗教色NG)
・踝丈までのロングタイプが望ましいということ
・プリーツは絶対に必要だということ(D.ハリム)
・可能な限り薄手の生地でなければインドネシアでは穿けないということ
・合わせるトップスは何が良いかということ(D.ハリム)
・合わせる靴は何が良いかということ(D.ハリム)
・ついでにフリル・シャツも作りたいということ(D.ハリム)
・ついでにパッチワーク・シャツも作りたいということ(D.ハリム)
・ついでにオリジナルTシャツも作りたいということ(D.ハリム)
・いつか三人でジャカルタでスカートで集合するということ
・年内に完成させること
おそらくは完全主義のジャンからは、もはや生地そのもの、ゼロからデザインを起こそうかと提案が出始めているが、それはそれで面白い
”怪物”ジャン・メスプレードは、オンラインのPCの画面の向こうで
声をあげて笑いながらこういった
”うまくいけば、三人で起業してもいいでしょう。デザインと資金調達と資材調達はぼくがやるので、さわまつさんが品質と流通と広告戦略を管理し、ディアナは営業です。彼女には自然と人を惹きつける習性・・・というよりかは不思議な魅力があるので、必ず成功するでしょう。
そしてそれでひと稼ぎしたら素早く潰して、その資力でまた別の事業を始めても良い。・・・何にせよ、組織には”中心”が必要なので、ぼくが——”
ディアナはいった
”怪物たちが手を組めば、そこに不可能はない”
ファッションはやはり奥が深く楽しいというか、この”怪物たち”の発想が面白いのか、それともあるいは、ここインドネシアが面白いのか・・・
そのいずれにせよ、この国と縁があって、駐在することができて幸せだ
END
BGM
11月以降公開予定
短編/エッセイ/現在/スマラン
”雨期が始まり、またすべてが水に溺れ始める”
短編/エッセイ/過去/スマラン
”11月は友人を亡くすのにふさわしい月ではない”
短編/エッセイ/過去と現在/スマラン
”自殺者たちの宴”
短編/エッセイ/夢の中/スマラン
”肉の門、骨の山、涙の河”
短編/エッセイ/現在/スマラン
”土砂降りのスマラン、”雷鳴”を従えて現れる
〈四か国語を操る華僑の両性具有者〉
あるいは、上記5作を1本に繋げ、字数上限や公開日、読み手の反応などは一切斟酌せずに、大長編として書きたいだけ書いてみるという方法を試験的に採るかも知れません
あるいは、全く別の話になるかもしれません
よろしくお願いいたします
END