44歳、スカートを穿く
INDONESIA
舞台は再びJAKARTAへ
Semarang
SEP.2023
今年の9月はわたしにとって、公私共にとても忙しい月だった
仕事では日本向けに出荷する大型案件の製造管理に追われ続け
その2週間はほとんど毎日、朝7時から夜9時まで働き、それでも仕事が片付かずに休日出勤
<note>ではJakartaの人工島を舞台にした華僑の友人たちとの一夜の交流を描き出した連作にも取り掛かっていて、くたくたになって帰宅した後に深夜まで執筆、そして早朝に起きだして昨夜書いた内容を一度ざっと洗い直し、書きかけのまま再び出勤というサイクルだった
ようやく仕事には目処がつき、一息つけた昼食の席で、日本人CEOがひとつの提案をしてきた
それは9月の最終週にあるここインドネシアの平日の祝日を一日後ろへずらし、週末と繋げて3連休へと洒落込もうかという魅力的な提案だった
ちょうどそのとき東京から会長もこちらへ来られていたので、すぐに決断は下され、わたしたちの前に3連休が突如として持ち上がったのだ
それにしても苦笑せざるをえないのが、わたしを含めた3人の行き先だった
会長ーSemarangから遥か東のPlau Sumbaへ
CEOーSemarangから南に下ったJogjakartaへ
わたしーSemarangから遥か西のJakartaへ
全員バラバラ
それもまるで、お互いがお互いから遠く離れたいように真逆の方角へ
会長の行き先はバリ島よりさらに東、そしてコモド島の南の、いまだに槍を持った現地人が暮らすという原始の島で、一瞬、治安の懸念や身の回りのお世話で同行したほうがいいのかなとも思わなくもなかったが、会長はインドネシア語は社内の誰よりもぺらぺらで、何よりトラブル対処の経験も豊富なのでわたしは単身、再びJakartaへ行くことにした
ちなみに後日談で、スンバ島から戻られた会長から聞いたところによると
現地の島民は真剣に、本当に、道端の草を食べていた、らしい
そして、草しか食べるものがなかった、らしい
だからわたしたちに、絶対に行かないほうがいい!と何度か釘をさされた
もちろんそれは、好みの問題ではあると思うのだが
わたしは即座にJakarta行きの往復航空券と宿を押さえて、今回は中央ジャカルタへ主に、前回の滞在でやり残した、買い物メインの二泊三日の旅行を組むことにした
そして——
まさか——
この旅行で——
スカートを穿いて帰ってくることになるとは・・・
もちろんこの時点では想像もつかなかった
JAKARTA
29.SEP.FRI.2023
今回の旅行では中央ジャカルタの四つ星、MERCURE HOTELを押さえておいた
以前、Jogjyakartaに旅行した際も当地のMERCUREに宿泊したのだが、その滞在は散々だった
ここに不平不満を書いても仕方がないので、唯一よかった点を挙げると、このMERCUREにはインドネシアでも極めて珍しく、全室にバスタブが完備され、しかも熱々のお湯を張ってゆっくり浸かることが可能なのだ
基本的にシャワー文化のここインドネシアではバスタブ自体が非常に珍しく、また仮にバスタブはあったとしても温いお湯しかでないホテルもあり、その点このMERCUREは
たとえ、朝食バイキングが、なぜか焼きビーフン推しであったとしても
たとえ、鶏肉料理は煮込み過ぎて形が崩れかかっていても
たとえ、こちらから指定しない限りは半熟というよりほとんど生卵のオムレツであったとしても(生卵苦手)
たとえ、クロワッサン?と首を傾げてしまうようなクロワッサンであっても
たとえ、白湯のように味のしない珈琲であっても
たとえ、朝食会場は常時満席で窓側の席に座れないことが多いにしても
それを補って余りあるバスタブという絶対的な利点があるのだ
朝食は外で食べることもできるし、スタバの店舗も多くある
何よりわたしは9月前半の仕事の疲れを癒すためにゆっくりとバスタブに浸かりたかったのだ
そして今回はジャカルタのスカルノ・ハッタ空港から中央ジャカルタに向かうまで、ついにわたしも”世界最悪の渋滞”につかまってしまい、通常40分程度の移動に約3時間もかかり・・・
もちろん渋滞にはまってもBLUE BIRD TAXIの料金は加算され続け・・・
MERCUREに移動中の車内で何度か寝てしまったのかも知れない
料金メーターの悪夢に魘されところどころ記憶が途切れているが、最後に支払った金額だけは明確に覚えていた
今夜は夕食のグレードをいささか落として帳尻を合わせるしかないと考えながらチェック・イン
部屋自体は可もなく不可もなく、わたしたち日本人の感覚からすればいささか広すぎ(広すぎると冷房の調整が難しい)、しかし中央ジャカルタの高層ビル群を臨む、14階のなかなか悪くない部屋だった
もしかしたら素晴らしい夜景を撮影できるかもしれない
JAKARTAのMERCUREは決して悪いホテルではなかった
まずは渋滞の疲れを癒すために早速広い浴槽に湯を溜めて、先ごろ発売されたばかりの沢木耕太郎の書評エッセイ集「夢ノ町本通り」をDLしておいたタブレットを持ち込んで湯船にゆっくり浸かることにする
ここのバスタブで読むためにまだ一頁も読まずにとっておいたのだ
案の定、沢木耕太郎の世界に深く引き込まれてしまい、途中で全身を濡らしたまま部屋の冷蔵庫から(なぜかガラスボトル入りの)ミネラルウォーターを取りにいったり、湯加減を水で調整したりしながら約1時間、身体がのぼせあがる寸前まで入浴を楽しむと、巨大なガラス窓の向こうではすでに陽が落ち始めていた
ジャカルタの夜は早く更けていく
とりあえずホテルの近場で夕食を食べて、それから買い物に繰り出そうか
ホテルのほとんどすぐの真裏が、ジャカルタの”危険エリア”の筆頭とも呼ばれるMangga Besar通りだった
もちろんそのことはMERCUREを予約する際に確認はしていたが、この通りには以前何度か訪れていて僅かながら土地勘を持っていたのだ
この通り一帯は多くの華僑たちが集まって形成された土地だが、いわゆる
中華街の風情は、このわたしにはほとんど感じられない
道路は一応は舗装されてはいるが凸凹で埃っぽく、通りの両側では道路にはみ出すように屋台が肩を寄せ合うように軒を連ね、ドリアンの強烈な匂いが通り全体に立ち込めている
屋台の裏の暗がりの露天ではなんと新品のROLEXがひとつ2,000円で売られており、太ったおばさんがわたしに執拗にCALVIN KLEINの3枚入りブリーフ(約700円)を勧めてくるがそのどちらにも全く用がなかった
そしてここMangga Besar通りは性風俗が異様に突出したエリアといわれ、だから暗がりには中華系のマフィアやインドネシア系のストリート・ギャング、イスラム系のテロリストたちが常に目を光らせているとはよく聞くが、いくらここが”世界屈指のメガ・シティ”、ジャカルタの、欲望を剥き出しにしたようなエリアであったとしても、こちらからそうした風俗店にでも足を運ばない限りは何も危険がないようにも思える
そして残念なことに、日本人男性、特に観光客はそうした店に群がる傾向があるらしく、大小様々なトラブルを生み続け、噂となり、それがまたこうして、この国で働いているわたしたち駐在員も「同類」と断定されて、やれ
”日本人は変態が多い”とか、”しつこい”とか、”でも金払いはいい”などの悪評が一人歩きし始めるのだ・・・
わたしはこの通りに入り、まずは名物のコブラ・サテ(毒蛇の串焼き)の屋台を探しだし、それを捌く屋台の人間と、ショット・グラスに注がれるというウオッカ入りの生き血でも写真に撮ろうかと思ったが、止めておくことにした
上半身が裸で、両腕にびっしりと刺青が入った屋台の年配の大将にかなりしつこくコブラ・サテを勧められたが
生き血を飲め?
冗談じゃなかった
もしそれでお腹を壊せばこの3連休などは簡単に吹き飛ぶことになる
それになにより、檻の中で何十匹ものジャワ・コブラが絡まりあうように蠢いている姿をみて怖気づいてしまったからだ・・・
ちなみにこの界隈ではコブラの調理中に料理人がよそ見している間に噛まれてしまい、よく救急車が出動する事態になるらしい笑
東西を貫くMangga Besar通りを一時間ほどかけてゆっくり歩き、結局食事は通りの入り口近くにある「俺の餃子」に入ることにした
この店には以前、ホーチミンから出張でやってきた日本人の友人と一緒に来て、その夜は数年ぶりに再会できたこともあり、深夜までふたりでビールを飲んだ店だ
店名に”餃子”が入るだけあって、とにかく餃子の種類が豊富(約20種類)で
いかにも中国人のやり手を思わせる業突く張り、いや、太っ腹なオバサンが、不機嫌そうに
——”(餃子は)焼くの?茹でるの?”
とまるで喧嘩腰のカタコトの日本語で尋ねられ
——”焼きでお願いします!!”
となぜだか妙にはきはきと答えてしまうのだ笑
結局この二品と、瓶ビールはバリ島のBALI HAIを一本と氷をもらい、タブレットで読書しながらゆっくり時間をかけて完食
そしてこの<俺の餃子>は確実にひとりで来るお店ではないということが改めてわかった
量が半端ではなく、基本的にシェアして楽しむ店なのだ
食後、ほとんど真隣りにあるLAWSONでミネラルウォーターを一本買い、店の外に出ると、入り口付近にいた長身で白のワイシャツを着たどこか国語の先生、いや、それも古典の先生を思わせるすっと背筋の伸びた年配の女性から、囁くように
女を買いませんか?
とかなり流暢な英語で言われたが、わたしは軽く首を傾げ、得意技の英語は理解できませんの表情を作って無視し、通りで流しのタクシーを捕まえる
”君子、危うきに近寄らず”、だぜ、と呟きながら
Mangga Besar通りから中央ジャカルタのSarinah Mallまではタクシーで約10分、料金は約400円くらいだ
その短い道中に、ジャカルタの象徴でもあるモナスの巨大なオブジェや煌びやかなバベルを思わせる高層ビル街を抜けることになり、信号待ちの間にウィンドウを下げてカメラの望遠レンズで夜のジャカルタを切り取っていく
そして結局、ジャカルタに滞在中は何度もこのSarinah Mallには来ることになる
何しろ便利なのだ
PLAZA INDONESIAや、GRAND INDONESIAのような巨大なモールとは異なり、Sarinahはそれらの高級モールに比べるとコンパクトで、高級メゾンのショップよりもインドネシア人の若手デザイナーの作品を多く揃え、階下には外資系のスーパーマーケットも入っているので帰りにホテルで飲む缶ビールを買って帰りやすい
(インドネシアは酒類の調達が極めて困難)
また飲食店やカフェも充実していて、買い物に疲れたらたとえば3階の酒屋でビールを一本買い、その場でグラスに注いでもらいオープンエアのテラス席で、光化学スモッグに覆われた星も見えない真っ暗な大都市の夜景でも見ながら疲れを癒すことができる
周辺も便利だった
徒歩圏内にはわたしがジャカルタ旅行で最もよく使うデザイナーズホテルの"KOSENDA”や”ARTOTEL”があり、それらホテルのルーフトップ・バーへも簡単に行けるし、カフェ"GREY HOUND”もゆっくり読書しながら様々な種類のビールを飲むことができる心地良い場所だ
そしてSUBWAYやSTAR BUCKSも徒歩5秒という便利さ(特にSUBWAY!!)
ジャカルタ滞在には常に渋滞に気を配る必要があるので、このようにSarinah近辺を拠点に後は徒歩移動で満喫するのも効果的な休日の使い方なのだ
入り口で身体検査とバッグの中身を検められ、わたしが銃器類や爆発物、麻薬を所持していない無害で善良な日本人だとわかると、屈強な警備スタッフの嘘寒い笑顔に微笑みを返しながら中へと入る
陽が落ちてもジャカルタの高温多湿の気候は半端ではないので、モール内の行き届いた空調が冷ややかで心地よい
この日は金曜日の夜だということもあり、多くの、主に若者で賑わっていたが、まずは1階のフロアからゆっくりまわることにする
1階——
ここはThamrin通りに面するようにガラス張りのお洒落なカフェとレストランが並んでいて、それぞれの店内から若い恋人たちの嬌声がホールに反響して溢れかえっている
さらに進むと、ひとびとでごった返す高級パダン料理店があり、ショーケースの向こうには今日も美味しそうなお惣菜が所狭しと並んでいるが、わたしはそれを見て思わず苦笑してしまった
なぜ苦笑してしまうのかは、それはわたしがこのお店に苦い思い出を持っているからであり、それは初めてジャカルタ旅行に来た際にまでさかのぼる
パダン料理とは、インドネシアのパダン地方の伝統料理スタイルで、要は自分が食べたい総菜を自分で自由に選び出し、それを白米が乗った一枚皿に載せて、数種類の唐辛子を混ぜ合わせたサンバルソースを絡めて指でかき混ぜて、指で食べる方式で、当時わたしも自分が食べたい総菜を次々と指定し・・・
その総額が・・・
なんと・・・
約4,000円にまで跳ね上がってしまい、その夜は枕を濡らして寝たのだ
1Fをさらに奥まで進むと、今度はインドネシアの伝統服”BATIK”を取り扱う高級店が数店舗並んでいる
この店もよく来るが、これまでは基本的にウィンドゥショッピングだった
通路との仕切りが一切ない店内のスペースに入ると、魔術的な柄を多用した”BATIK”が男女別にかなりの数が吊るされているのがよくわかる
”BATIK”をざっと冷やかして、しかし、やはり洗濯するのが大変そうだなと思いながら店内を奥へ進んでいくと、今度は陳列棚にバッグ・コーナーを見つけた
今回の買い物の目的のひとつがバッグだった
それも家具、たとえば椅子の座面にも用いられることが多い素材でもある
ラタンを使用したバッグに強い興味があった
仕事では定期的に使用している素材でもあり、ここインドネシアはその世界的な産地でもあった
ラタンは日本で自生することはないヤシ科の蔓性植物で、その表面の象牙質の繊維は植物の中でも最高の硬度をもち、同時に、軽い
腕のよい職人によって加工された家具やバッグは何世代にも渡って使い続けることができ、だから経年劣化で独自の風合いがでてくるのだ
かなり以前、記憶は濃い霧の中だが、NHKの「美の壷」という主に工芸品や美術品を紹介する番組で、演技派の女優が愛用のラタン製のハンドバッグやトートバッグの魅力を語りつくす回があり、十年以上は愛用しているらしいそのバッグ類は画面越しに見ても、その完成度と美しさは本当に見事で、風格さえ漂っていて、わたしの記憶の引き出しの中に、強い印象を残したまま封じておいたのだ
今こそ、その引き出しを開け放つときが来たのかもしれない
そしてそのラタンの性質は、わたしのひとつの買い物の基準である
”タフでなければならない”を踏襲できる素材なのだ
そうした素材を、もちろんインドネシア人の若手デザイナーたちが放っておくわけはない
何しろこの国を代表する世界的な伝統工芸品なのだ
それは必ず存在する
若い感性が生み出したに違いない、普遍的なデザインのラタン・バッグが
だから探そう
ここはSarinah Mall
ここから徒歩圏内には、主にヨーロッパのきらきら輝くような高級メゾンの店舗が多く入ったPLAZA INDONESIAや
GRAND INDONESIAが、この国に熱波のように押し寄せる巨大な資本主義の要塞のようにそびえている
それら高級メゾンに、この近場の距離、それも正面から立ち向かって宣戦布告をするようなインドネシア人の若手デザイナーの野心的な作品を買うのだ
高級メゾンの歴史に、実力だけで真正面から戦いを挑み、デザインの世界地図を塗り替えるようなデザイナーを見つけようか
以前、JAKARTAの人工島”PIKエリア"で
<六ヶ国語を操る華僑のゲイ>と<四ヶ国語を操る華僑の両性具有者>の友人たちとの食事の際に、ラタン製のバッグの話をすると、ふたりが即座に挙げてくれたのがここSarinah Mallだった
しかも、1Fの、このお店——
ふたりの怪物が口を揃えていうのだ
間違いないはずだ
わたしは、だから、まずこの店に来ていたのだ
やがて20代前半と思える、やはり美しい、裾が踝まである流麗な中華服を思わせるBATIKを着た女性スタッフが現れ、何か御用はございますか?と尋ねられたので、ラタン製のバッグを見たいと告げると、そのスタッフは柔らかく微笑みながら奥の陳列棚まで案内してくれた
壁面収納の棚には様々な形状と材質のバッグ類が置かれてあったが、最上段のそれを見つけると、わたしには、ああ、これを買いにここまで来たのだなということがはっきりとわかった
色はワインレッドとライトブラウンの二色だったが、ここはもちろんワインレッドだろう
実際に手に取ってみるとやはり驚くほど軽量で、縫製もかなりしっかりしている
悪くない
ぜんぜん悪くない
問題点はこのバッグは構造上、閉じることができないという点で、たとえば飛行機の収納棚ではもちろん横倒しで・・・中身が飛び出す可能性がある
が・・・取り敢えずは別売りでスカーフでも買い、それを持ち手に巻きつけておいて紐代わりに代用すればそのうち何か名案が浮かんでくるだろう
名案が浮かばなければ職場の”相棒”Listianahに相談してもいい
食欲旺盛な彼女に鳥の丸焼きでも一羽差し入れれば、このわたしのために小骨を折ってくれるはずだ
わたしの買い物は基本的に即断即決が多く、それはもちろん目利きができるとか、いわゆる審美眼があるというわけではなかった
しかし、買い物においてはこれまで日本を始め世界各地で失敗してきた苦い経験があるということと、少なくとも”タフでなければならない”ものは自身の経験で明確に識別はできるようにはなっていた
値札をみると手持ちの現金では全然足りなかったが、ここインドネシアはあらゆるお店でカードが使える
わたしにとっては高額な買い物であることは間違いないが、使用予定年数で購入価格を割ればおそらくは逆に安い買い物だった
そして使用予定年数は無制限だった
下手に安物を買うよりかは、長く使用できる高級品の方が良いということは経験則で熟知していた
何よりタフ仕様は、経年劣化でともに歳をとっていく喜びを味わうことができる
デザインは極めてシンプルで、縫製レヴェルにも一切問題がない
ただ、ラタンは初めて購入することになり未知数の部分は確かにあるが
万が一破損やメンテナンスの必要が生じた際は、やはりListianahに追加でもう一羽鳥の丸焼きを進呈するか、帰国時に彼女に福岡の銘菓「博多通りもん」でも一箱プレゼントすれば、彼女も、彼女の言葉を借りれば、”稼ぎの少ない甲斐性なしのぐうたら”亭主も、彼女の4人の幼子たちも喜んでくれ、わたしたちの間のギブアンドテイクの関係は成立するはずだ笑
結局、このラタンバッグを実際に手に取って約10秒で購入を決めると、付き添ってくれていた若い女性スタッフが、とても喜んでくれ、このバッグについての様々な情報を与えてくれた
ふと気がつくと、その彼女からの、このバッグは30代のインドネシア人の女性デザイナーの作品であるということや、完全ハンドメイドだということなどの説明はすべてインドネシア語で受けていたが、いつの間にかだいぶスムーズに現地語を聞き取ることができるようになっていて、我ながら少し驚いた
そして彼女はそのバッグを手に取り、あらゆる方向からバッグ全体を再度確認すると、ワインレッドのレザー部分に何かにぶつけたような小さな打痕を認め、わたしに対して、それでも購入に問題はないでしょうかと親身になって対応してくれた
もちろんその小さな打痕にはわたしも気づいていたが、この程度のことは何も問題ない
やはりListianahに、彼女が仕事中にエプロンの中に隠し持って貪り喰っているひまわりの種を一袋進呈するか、隠れ喰いの犯行現場を押さえて、一度だけ見て見ぬふりしてやると告げれば、彼女の熟練の腕でこの程度の傷を治すことは、たやすい
わたしは店員の彼女に、何も問題ありませんよ、と再度購入の意思を伝えると、彼女は近くの内線電話の受話器をとり、誰かと何事かを話し始め、最後にこういった
”せっかくご購入頂けるのに、このような打痕があり大変申し訳なく思っています
せめてもの対応として、表示価格より5%お値引きをさせて頂きます”
このバッグは三色展開で、完全手作り
それぞれ三個づつリリースされていたらしいが、要するにわたしが買い求めたのは売れ残りで最後のひとつだったのだろう
お店側も売り切ることができて、この親切な彼女のセールスの成績も僅かに満たすはずだし、何よりわたし自身も満足していた
彼女の、というよりお店側の好意に甘えることにし、わたしはこのバッグを5%OFFで快く購入することにした
買い物を終えた足で、わたしはエスカレーターで3階へ上がり、角の酒屋
<Bottle Avenue>でBALI HAIを一本買い、店員からグラスを受け取って外のオープン・エアーのテラス席に座り、のどの渇きを癒すことにする
タフ仕様のレザートートを開けると、中でスマートフォンが明滅していた
WAを開くと、<六ヶ国語を操る華僑のゲイ>
”怪物”ジャン・メスプレードからのメッセージを受信していた
今回のジャカルタ旅行に際しても、もちろんこのジャンと
<四ヶ国語を操る華僑の両性具有者>
”怪物”ディアナ・ハリムには事前に連絡を入れておいた
しかし、この三連休はわたしが勤める会社独自の休暇であり、それも数日前に急遽決まったことでもあり、インドネシアの世間一般は通常のいつもの週末なのだ
それに加えてかれらはここジャカルタで、それぞれの分野の仕事で間違いなく第一線で活躍しているひとたちでもあるのだ
忙しいのは明白で、だから無理に都合をつけることだけはしないで欲しいとは合わせて事前に連絡しておいたのだ
ジャンからのメッセージは、ジャカルタ滞在はどうですかというような当たり障りのないもので、それに対して先ほど階下で購入したバッグをスマートフォンで撮影した画像を彼に送り、買い物は順調、というより、もうほとんど終わりましたとメッセージを送信すると、意外にもその直後に直接電話がかかってきた
ジャンはいった
”素晴らしいバッグですね。ぼくもそれと全く同じものが欲しくなってきました”
残念ながらワインレッドは売り切れたのだと伝えると、ジャンはこう続けた
”ライトブラウン色は、ワインレッドを売るための犠牲でしょうね・・・”わかりますよね?”
往々にして若手デザイナーの・・・補佐をするような人が使う方法論のひとつです・・・”わかりますよね?”
古典的ですが、強い効果のある有益な販売方法です・・・”わかりますよね?”
ライトブラウン色は・・・最終的にはまだかなり値が落ちると思います
今が”買い”で・・・それをぼくがすぐにでも購入して、どこかで色を染め直させても良いかもしれません・・・”わかりますよね?”
もう一色は・・・そうですか・・・やはり黒か・・・
完売しているのですね?
ただ、黒は普遍性が強すぎて面白くも何ともない・・・
さわまつさん?
ワインレッドが正解でしょう
明黄色や深緑もあれば売れたのでしょうに・・・”わかりますよね?”
買い物か・・・。今夜はまだ仕事中なのでお付き合いできませんが、明日(土曜日)の夕方以降ならば・・・”
”怪物”ジャン・メスプレードと会話をする際のわたしは極端に忙しい
電話口で”そう・・・だね”とか”あっ、ああ・・・”と相槌を打ちつつ、頭を高速回転させて返答を重ねなければならないからだ・・・
”別に無理にスケジュールは合わせてくれなくていいよ”
それに今回はいきなり満足した買い物ができたこともあり、そのせいなのか単独で動き回りたい気持ちがあった
それに、買い物はやはり気兼ねなく、ひとりでするに限る
ジャンは軽い口調でこういった
”いや、最近、実はスカートに興味があって・・・近々買いに行こうと思っていたところなのです。だから良い機会なのです
さわまつさん・・・スカートってご興味ありますか?”
なんですと!?
いや、本当に意味がわからなかった
ジャンの性的志向はゲイであるということはほとんど知り合った時点で開示されてはいたが、女装の趣味はないはずだった
ジャンにもう一度いって欲しいと尋ねると、彼は間抜けな生徒に熱心に教える英語教師のようにこういった
”S・K・I・R・T、スカートです”
そしてジャンはすでにここ中央ジャカルタですでにいくつかお店をピックアップしているらしく、こう続けた
それは彼の口調では珍しく、最後は断定調の力強いものだった
”明日、18:00にMERCUREのロビーで待ち合わせましょう”
”怪物”ジャンと落ち合うと、いつも必ず、別の次元・・・別世界・・・
いや、別の惑星へと降り立つような想像を絶する体験をすることが多い
また、「何か」が起き始めようとしている
そしてもう帰り道がわからない魔的なスカートの世界への扉が開く
続く
BGM
NEXT
2023年10月29日(日) 日本時間 AM 7:00
”続・44歳、スカートを穿く"
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