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時々不意に思い出しては、心がささくれ立つ記憶がある。 別に忘れたいともがいているわけでもないし、今の私が揺らぐわけでもない。 だけど、ピースサインを携えて笑ってくれたあの子を見て、割ともがいていたじゃないかとちょっと笑う。 夕暮れの空に安堵し、翌朝が変わらず巡ってくることが本当に嫌だったあの頃。 私はずっと、そういう風に毎日を送ることを当然と思っていた。あの頃の自分に喝を入れることで、今の私になったと思っている。 あの頃、またやって来た変わらない朝だ。 背中に重くのしかか
と、いうわけで。書くしかないひとたちによるエッセイを広く募集します。 たくさんのご応募お待ちしております。 【書籍名】 仮題:書くしかないひとたちによるエッセイ集(#書くしか) 【発売時期ほか】 2025年春ごろを予定。春の文学フリマ東京が先行販売の目安。 ISBNコード付の商業書籍。判型・A5。全国の書店・各種WEBサイトで購入可能。(リンク先は、当社公式通販サイト) 【#書くしか・応募要項】 【応募資格】 小説家/歌人/俳人/シナリオライター/エッセイスト/
「春の夢なので、三十六度がちょうど良いでしょうね」 茶師に言われて頷いたけれど、お茶のことは何も知らない。 霞がかった空色を広げる晴れた午後に、店にいる客はわたしだけだった。L字型をしたモルタルのカウンターには炉が備えられ、据え置かれた鉄釜からほのかに湯気が上がっている。そこへ音もなく柄杓が沈められると、汲み上げられた湯は白い陶器にそそがれた。みっつ並べられた湯さましの、いま湯の張られた右側の器を茶師が手に取り、真ん中に全て流し切ってから器を持ち替え、左側の器へと移してゆく
十八歳。世界が散った。 誕生日には毎年、ケイちゃんのお母さんがプレゼントを送ってくれた。ケイちゃんは私が関西に住んでいた頃の友達で、と言ってもそれは三歳までの話であり、正直、私はその顔すら思い出せない。しかし母親同士が仲が良く、住む土地が離れてからも「ケイちゃんはブラスバンドを始めたらしい」だとか「ケイちゃんが中学受験に受かったらしい」だとか、数年おきにちょくちょく情報がアップデートされていた。その度私は脳内で顔が黒く塗りつぶされたマネキンに管楽器を持たせたり合格通知を受け
春の夢。 私が目覚めると笹の茂る中に無造作な形で横たわっていました。 これは夢だと頬に手をやると太い筒のような爪。 立ち上がっても四つん這い。両腕から下を覗き込むとフカフカのしっぽが目に入ります。 リスに化けている…… 「ここはどこ?」考える間もなく不穏な獣の鳴き声はけたたましく林を裂き、やがて銃声が轟きます。 「今はまだ猟期なのね」 私は人間であり、これは夢なのだと笹の茂みに座っていると、 「リス鍋は美味いぞ。マンガで見たんだ」男達の声が近くなります。 茂みを割って
わたしは、鳥です。 大きな梅の木、そのてっぺんが、わたしのお気に入りの場所です。 おじいさんとおばあさんが住む古い家の庭に、その木はあります。 わたしが木のてっぺんで羽を休ませていると、おじいさんとおばあさんは木の下でお茶を飲んだり、おにぎりやおまんじゅうを食べたりします。 「今年もきれいに咲いたなぁ」 おじいさんとおばあさんは、梅の木を見上げ、満足そうにほほえみ、顔を見合わせます。 わたしは、木の上から、そんなおじいさんとおばあさんを見るのが大好きでした。
自治体の方々と話す機会をいただいた 各部署の主軸となられる方ばかり わたしひとりの力では到底辿り着かなかった けれどそこへ導いてくれる仲間がいた 色んな形で支えてくれる仲間がいるからわたしはがんばれている ここnoteでたくさんのことを投げかけて来たけれど それは社会を動かすほどのパワーなどなく ただの呟きでしかない けれどBeauty Japanというコンテストをきっかけに わたしがちゃんと本気になったから目の前の世界が変わり始めた 手を取ってくれる仲間が現れ 導
僕の尊敬する人物の1人に手塚治虫がいる。 戦争の時代を経験し、中学は大阪の名門校に通い 、その後、大阪大学医学部で医学を学んだ。 昆虫採集で鍛えた足腰で、中学では学内のマラソン大会で1位を取った記録が今でも残っているらしい。 まさに文武両道の人だった。 その後、医者にはならず、漫画家として後世に名を残すことになる。どんなに締切りが迫っていても、あらすじ案を考えることに関して妥協を許さなかったという。まさにプロ中のプロだったと言えよう。 しかし、そんな執念はもはや異物なの
――昔、私を見込んで下さった先生が家に来て、私の母に言いました。 「お母さん、琥珀君に書く事をやめさせないで下さい」 やめたことはなかったけれど、私の「書くこと」は進学や就職や仕事に伴い、いつしか途切れ途切れなものになった。 書いたり書かなかったりが当たり前になり、数年間書かないブランク期間すらあった。 本気になっても一瞬で、それはまるでマッチを一本シュッと擦っただけの拙い灯り。 あの時先生の言った「書く事をやめるな」は、バケツやホースで水をぶっ掛けられても消えないような
「花吹雪」と題した文章を、こんな風に締めた。 そんなことを書いてから約一か月半が過ぎた。まだ生きている。まだ書いている。妻と買い物に行く際には隙あらば手を繋ぐような間柄だが、桜吹雪の下は歩かなかった。お互い花見に行くほどの気持ちを桜には抱いていない。命はどうにか繋がっている。就労支援の相談も来週から始まる。夜勤の時間を延ばす予定だった妻は、結局体調が戻らず長く会社を休み、先日退職が決まった。 一番の仲良しの子と離れてしまうので、息子の小学校入学後の孤立を心配していた。
もうすぐ僕のイラストを使って下さった本が5/19文学フリマ東京で販売されます! (本文下部に記事リンクを貼らせて頂いてます🙇♂️) 1つはたくさんのnoterさんが書いた童話を集めた童話集。 挿絵もたくさんの方が描かれていて、そのうちの1人が僕です。 もう1つはおだんごさんのnoteをまとめた本の表紙を描かせてもらいました。3冊も😊 僕のイラストが紙に印刷されて販売される。 『まさかこんな日が来るなんて!』 素直にそう思って感激しています🥺 ———————————-
Ryéさんから『#アンディ・ウォーホルがキャンベルのスープ缶を描いた本当の理由』についてコメントをいただきました。彼女と私は、米英食や世界中の華僑が作る中華料理に対する評価が非常に似ています。#ファストフードに味覚が損なわれている方には理解し難いかも知れませんが、今回は『旨い#イギリス料理が存在しない理由』を一風変わった観点から解説してみます。 地球上にイギリスが存在しないという衝撃の事実 日本では多くの方々が#英語を学習し、#イギリス留学を夢見ています。私自身、#イギリ
1冊の本を読み終えるとは、いったいどのような状態を指すのだろうか? 最初から最後のページに目を通せば、一般的にはその本を読んだと言われる。しかし、その中身をちゃんと理解しないまま読んだ気になっているだけかもしれない。 古典とか不朽の名作と呼ばれる作品は、いい意味で曖昧なものが含まれている。きちんと読んだつもりでも、あとになってから読むと、最初に読んだ時の感想とは異なることがある。というかむしろ、二読、三読するうちに、思わぬ発見や読み手の気持ちが変化するからこそ、名作
花吹雪渦巻くとき、わたしの誕生 紅梅や桃、桜の花びら散る花吹雪は悠久の一瞬 儚さと愛らしさを紡ぎ合わせた 2人の象徴が新しい いのち 冬の寒さを知らぬまま 冷たい土地にひそむ胎動 いま、春の陽気に満たされ母をせがむ 心を揺さぶる花吹雪 べに色の花びら、白い花びら 黄色に揺蕩うミモザの束 多彩な色彩が絡み合う季節 春の生命の息吹と混ざり合い 鳥の歌声が響けば 辺りの美しさは、より一層 命の奇跡を輝きに変える花吹雪 生まれくるまでも死の間で揺れ動き 季節の彩りに宿った産