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脈打つ秋

 書きたいことがとてもたくさんあるようなのに、どうしても書ききらないうちに消してしまうので時間が空いてしまっている。それで自分のなかでもう咀嚼しおわって消化すらしたような気がするので、春から夏に毎日楽しんだゲランのアクアアレゴリアから「ウード ユズ フォルテ - オーデパルファン」の話をしよう。

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 いま夢中になっている進行形の香りは正体を明かすのが好きではないので、長いことこの香りの話をしてこなかったのだが、この数日急に「あ、もうこれじゃない」と思うようになった。春夏はさわやかさが、秋冬は濃厚な重量級の香りが一般に求められると思うが、どうやらそういうわけでもない感じがしている。たぶん、毎日毎日この香りだけをつけてきて距離が近くなりすぎたのだと思う。なじんだというのでもちょっと違って、香りの持つ多面性をなんとなくもう理解した感覚がある。あ、そっか。

 書いていてわかったけれど、「つかみきれない正体不明の香り」が好きなんだ。だからなんとなく把握できてしまいそうなほど近づきすぎてしまったことで、やや興味が遠のいたのだ。けれどそれはそれはやさしくさわやかでありながら、ほんのスプーン半量ほどの憂鬱をうまくマージした香りであったのだ。「ウードユズフォルテ」は。

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 ゲランって、お買い物すると製品を入れたショッパーに、好きな香りをふきつけた薄地のペーパーでくるんでくれるんですよ。それで、私はもともと「夜間飛行」とか「シャルマー」などのきわめてクラシックな香りが好きであったことをいつもの店員さんがおぼえていてくれて、あるとき3つの香りをムエットに吹き付けて選ばせてくれた。3つの香りはいずれもアクアアレゴリアからで、昨今のトレンドに則ったとてもナチュラルでいきいきとした香りが実にフレッシュであった。そのうちのひとつが、それでも重め好きの自分にヒット。要するにウッディな要素がそれこそ、スプーン半量の憂鬱だったのだ。香りに憂鬱さを求めるなんて変人もここに極まれり、だ。

 その、スプーン半量の憂鬱はウードウッドが代表的に表現しており、伽羅にも似たオリエンタルな甘苦さが香る。けれどそれらをふんわりとやさしく後ろから抱きしめて包み込んでしまうようなセンシュアルなきらめきが柚子の香りなのだ。想像がつかないと思うが、この柚子が信じられないほどいい仕事をしている。忘れられない香りであり、すぐにこれもまた買い求めたのだった。

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発売したばかりの秋の始まりの頃に出会い、つい先日まで1年ほど毎日毎日一緒だった。これまで好んでつけていた香りたちと違って、香害を懸念するほどの強さや持続性がなかったものだから、実に気負わずどんなときも一緒に出掛けた。そのときどきに強い記憶も思い出もその香りは残さなかった。良い意味で存在を隠し、その代わり必ず「それどこの香水ですか?」と聞かれるような、じんわり後ろ髪を引くような印象を残す。

 柚子のオリエンタルなシトラス感は、レモンやオレンジのどこまでも明るい太陽の子どものような無邪気さはなく、晩秋から冬の到来に備える気高き暗さがある。それでいてそこはやはり柑橘だけあって瞬間的な爽快感をもたらす。ああ、どれほどこの子に助けられた日々だったろう!

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 一昨日、ふと「あ、もうちがう」と思った。それは別離や卒業を意味するのではないが、いま自分が欲するくどいほどの複雑さが足りない。そうして戻ってきたのがなんとこれだった。

 「これ」と私はしばらくは相思相愛、ひとときも離れられぬというほどに愛し合ったあとに、突如相手の何もかもに虫唾が走ると言わんばかりの喧嘩別れをし、そしてまた仲直りをしては喧嘩をし…というような食傷気味になりそうな間柄だったと今にして思う。だけどまた、冴えた空気の下でひどくこの香りが馴染みフィットするのだ。

 ……

 ああそうか、喧嘩別れのあとの何度目かの仲直りなわけか。
 そう思いながら、ひどく鋭角的で都会的なボトルから吹き付けられる香りはまたしても私を瞬時にインスパイアする。



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