みたびの「ラブリー・ボーン」
たまに雑誌や新聞の書評で気になった本を買う。この本も当時読んでいた雑誌の書評で知って買い求めた。「ラブリー・ボーン」だ。本自体はなかなか面白かったし、けっこう衝撃的だったので20年近く経っても印象深く残っている。映画化された作品も封切り頃に観て、昨夜これまたずいぶん久しぶりに観た。だいぶ忘れていることがあると思ったのと、書き留めておきたい気分なので二日連続でnoteを更新している次第。
(画像出典:https://tower.jp/article/feature_item/2010/07/02/4969)
★ネタバレするので以下は自己責任でご覧ください
冒頭から主人公のモノローグによって、彼女がもうこの世の人でないことを知る。14歳で殺されてしまったことを。
あまりに突然命を踏みにじられてしまった、未来への夢ばかりつまった少女はもちろん無念に過ぎる。それゆえに現世と天国の間の世界にさまようのだが、その映像世界が文句なく素敵だ。とくに、少女の父親の趣味である「ボトルシップ」が、父の絶望を象徴するようにファンタジックな世界でぶつかりあい、破壊されていく様子は胸がひび割れるような悲しみがある。
魂となった彼女に守護天使のように付き添うアジア系の少女も、のちに同じ犯人にかつて犠牲になった少女だとわかる。死して知る、同一犯人は多くの少女を蹂躙し闇に葬ってきたこと、そしていまだなお捕まることなく次の衝動に突き動かされようとしていることを。
とにかくこの、現世と天国のはざまの世界の光景が美しいのだ。少女のみずみずしい感性がそのまま映像に昇華したかのようで、この世界の美しさだけでも一見の価値があると思う。
ラストが何とも言えずよくて、勧善懲悪的に父による私刑でもなく、法的な罰でもなく、なんともいえないものの力によって犯人は絶命する。母などはこのラストがいやだと言っていて、きちんと警察に捕まってほしい!と言っていたが、この終わりの方がよっぽどドラマだと思う。
作者、アリス・シーボルトについて調べてみると実に「事実は小説より奇なり」を地で行く人生であって、少し複雑な気持ちが残る。作者が18歳の大学1年生のころ、レイプ被害を受ける。その裁判の過程をつづったのが「ラッキー」という作品だそうで、これを読んでみたいなと思っていたらなんと、後年この作品の映画化が進むなかである冤罪事件が発覚する。
作者のシーボルドは謝罪声明をしている。
この件と「ラブリー・ボーン」の素晴らしさは別に考えたい。