優しさの縛りがストレスの元なのか?我が儘放題の生き方を考えてみると
ストレスだらけで窮屈な社会を生きている私たちですが、誰でもが優しい心を持っているだけに、その優しさが自分の行動を縛り、さまざまな制約を生み出していることに気づいているのではないでしょうか。
優しい人は他人からも優しくされたいと思っているにもかかわらず、その気持ちを表現することに無意識のうちに抵抗を感じているのかも知れません。
さらに言うなら、その本人自身がその無意識の抵抗を意識していなかったり気づいていないということも、少なくないように思います。
もし私たちが、自由で我が儘な生活を送れるのなら、どんなに楽だろうか。
でも我が儘放題に生きるなんてことは、現実的ではないと思い込んでいるために、思い通りにならないことがストレスの原因になっている、という気がします。
そうやって我慢を重ね、ストレスから健康を損ない、病気になってしまうくらいなら、我が儘放題に生きた方がいいかも知れませんね。
ただし、我が儘放題に生きるためには、他の人に迷惑をかけず、傷つけたりトラブルを引き起こさないようにすることが、前提条件になるのですね。
その前提条件のもとであれば、好き放題に生きることも可能になるのではないかと思います。
もちろん、その条件を無視して我が儘放題に生きるとすれば、犯罪行為につながる可能性もあるわけですね。
居住している自治体の迷惑条例に違反する程度ならまだしも、刑法に触れるような行為や行動を取ってしまえば、個人として生きるための最低限のルールを踏み外すことになりますもんね。
なのでそこは最低限のルールを守りながら、自由な生活や我が儘放題に近い生活を送ることができるなら、ストレスも大幅に減らせるのではないかと思います。
制約の中でどのように生きるか、どのように楽しむかが重要だと考えているのですが、欲求や願望が叶わないからといって乱暴に行動したり、欲望に身を任せることは避けるべきですよね。
その代わりに、妄想の世界で自由に遊ぶことで、周囲に迷惑をかけることはないので、思いっきり妄想を逞しくして遊べば良いと思うのですよ。
自由な生活を送るための最低限のルールとして、自己を律しながらも道徳観や価値観、人生観を歪ませずに前向きに生きることが大事だと思います。
周りに迷惑をかけないように注意しながら、自由な生活を楽しむ限り、周囲の人々も優しく見守ってくれるのではないでしょうか。
もし優しい見守りが得られない場合、それは自分自身に優しさがないからだと考えて、他人から優しくしてもらうために、まず自分が他人に優しくできる存在になることから始めるべきですね。
他人に優しくすることで自分も優しくしてもらえると思うので、まずは自分が他人から優しくされる存在になるように、人に優しくすることです。
ただ、優しさと優柔不断を混同してはいけません。
優柔不断な性格だという自覚がある人は、優しい人とは違うことをはっきり認識して、強くて優しく決断力のある行動を心がけるといいですね。
優柔不断のままじゃ自分の人生を切り開くことは難しいので、自分が優柔不断だと自覚しているのであれば、まだまだ時間はたっぷり残っています。
決断することや考えてばかりいずに行動することを意識して、小さなことから覚悟を決める生活を送ってみると、目の前が大きく拓けてくるのじゃないかと。
ストレスを生まず溜め込まず、余計なストレスを感じないためには、自分の意思で自由に生きることが大切であるということ。
そして、その自由に生きるという一見したら、我が儘放題な生き方の行動の軸が、ちゃんと世間の常識の範囲に収まって、地に足が着いているのならばもう言うことは無し、ってことですかね。🤣
ってことで、今回は
「優しさの縛りがストレスの元なのか?我が儘放題の生き方を考えてみると」という優しさの縛りを設けることがストレスの元かもという話。😅
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
ストレスの 元は優しさ のほほんと
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