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2021年2月の記事一覧
自分自身を作品として考える
物心ついた頃から、想像することが好きだった。
思い返してみると、絵に描いたような貧困母子家庭に生まれ、自分自身は入退院を繰り返す病弱な幼少期。貧困かつ病弱という二重苦の中、厳しい現実から逃避するために自然と想像の世界に逃げ込んでいただけなのかもしれない。
幸い家庭内では多大なる愛を受け、存在としての重要感は満たされていた。三重苦をまぬがれ、母のおかげで(また、よき友人たちのおかげで)殺戮系サイ
さよなら、Clubhouse
Clubhouseから距離を置くことにした。キッパリやめるほどのつもりはないが、毎日続けるほどの動機もなくなった。昔から、私は飽き性らしく、何かに急激にハマっては急激に冷めてしまうところがある。
自分がバカになっていく感じがするClubhouseで自分が開いていたルームに毎日滞在してくれた常連さんや、日々訪れる新規の方などとても刺激的で嬉しい、楽しい、だいすき、ドリカムだった。けれど、それは膨大
有料課金に込めた思い
「あなたはエンタメが苦手と言っていますが、noteで月額課金の有料マガジンを販売していますよね。それにはどういった意味があるのですか?」
とても興味深い質問だった。
私のnoteは、人を楽しませるための娯楽としての課金だと思われてしまっているのかもしれない。
誰かを楽しませるつもりなど想定していなかった。けれど、それについて説明したことはない気がする。
今日は私のnote有料マガジン「脳内
サイコパスだからって優しくないわけじゃない
サイコパスとプロフィールに書いていると、はじめてコミュニケーションする人から「サイコパスなのに優しいですね」みたいに言われることがよくある。けれど、共感性がないことと優しくないことは決してイコールではない。
共感性はインプット、優しさはアウトプットだと私は考える。
いわゆる共感(情動的な共感)は、誰かの感情というインプット情報に対する反応である。サイコパスの場合、相手の感情に対し、自身の感情は
分かるときには分かる
「すべき」という考えにとらわれて苦しんでいる人をよく見かける。それに対し「すべき」ではなく「やりたい」で考えたらいいよと伝える人をよく見かける。
その結果、相手が「やりたい」で考えるようになった例を、私はまだ見たことがない。
人は、分かるときには分かるし、分からないときには分からないものだ。
分かるときには風が吹いただけで、ちょっと外を歩いているだけで分かる。分からないときには何回言われたっ
とあるサイコパスの見分け方
自分がサイコパスであることを自覚してから約1年、他者の見方が変わった。
「自分には共感能力がないのだ」という前提に立ち、むやみやたらに無慈悲な(に見られる)言動や態度をしないよう心がけるようになった。
また、それとは別に、サイコパスかサイコパス以外か(サイコパシーが高いか低いか)を意識して観察するようになった。
とりわけ、他者の「感情と論理を切り分ける力」の高さについて注意深く観察してきた。
強くて弱い、弱くて強い存在
前回、人はなぜ傷つくのかについて書いた。
その話の延長で、「あなたは強いのだ」と言われた。それがしっくり来ず、「決して、そうではないよ」ということを説明したのだが、なかなかうまく伝わらない。
他者と認識を共有するのは人類の永遠の課題だろう。せっかくだから、もう一度ここで「強さと弱さ」について言語化してみたい。
傷つくことに対するサイコパスっぽい見解私は傷つかない。客観的事実と評価者の主観と受
人はなぜ傷つくのか?
人はなぜ傷つくのかについて語り合った。
語り合って気づいたのは、私は傷つかないということだ。みんなの傷ついてきたストーリーを聞いても、いまひとつピンと来ない。
「やっぱ、サイコパスだわ」とあらためて実感したのだが、「サイコパス」の一言で片付けてしまうと単にウヤムヤになってしまうだけなので、あらためてここで言語化しておこうと思う。
傷つかない「傷つく」というのは、心に痛手を負うとか、心が損なわ
引き出しを増やす、引き出しから引き出す
話題が豊富な人を「会話の引き出しが多い」などと言うように、バリエーションの多さを引き出しにたとえて表現することがある。会話の引き出しが多ければ、かゆいところに手が届くというか、どんな相手にも合わせていける柔軟性につながったりする。
同じように、一つひとつの仕事もまた引き出しを例に考えていくと、見えてくるものがある。