サイコパスだからって優しくないわけじゃない
サイコパスとプロフィールに書いていると、はじめてコミュニケーションする人から「サイコパスなのに優しいですね」みたいに言われることがよくある。けれど、共感性がないことと優しくないことは決してイコールではない。
共感性はインプット、優しさはアウトプットだと私は考える。
いわゆる共感(情動的な共感)は、誰かの感情というインプット情報に対する反応である。サイコパスの場合、相手の感情に対し、自身の感情はほとんど動かされない。ただし、情動的な共感はできなくとも論理的な共感はできる。気持ちこそ動かないが、理屈では目の前の人の感情が理解できるのだ。
論理的共感というかたちのインプット情報を元に、自分の頭で考えて優しい何かをアウトプットすることはきっとできる。
優しさとは何か。一応、辞書には以下のように書かれてある。
優しい:①穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。②思いやりがあって親切だ。心が温かい。③上品で美しい。優美だ。 (出典:大辞林)
情動的に共感できなくとも十分アウトプット可能な範囲に思える。
共感性(情動的共感)と優しさはイコールではないのだ。
「共感できない奴はヤバい」と決めつけがちだが、共感している人もそれはそれでヤバい。
共感というインプットが優しいアウトプットに役立つかと言われると案外そうでもないように思う。時に、共感性が人を凶暴にすることもあるよな、と。
たとえば、仲間がひどい目にあったからと言って、過度に自分ゴト化し報復に出ようとする人がいる。共感してしまったがゆえに、他者の問題に介入し過ぎてしまうことがある。共感のなせるわざだ。
気持ちが反応したからといって、論理的に理解できていないのでは、ただのお節介になってしまいかねない。
実は、論理的に相手の状況をよく理解できたほうが、思いやりがあって親切な行動を適切に取れる可能性は高まるのではないだろうか。
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