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分かるときには分かる

「すべき」という考えにとらわれて苦しんでいる人をよく見かける。それに対し「すべき」ではなく「やりたい」で考えたらいいよと伝える人をよく見かける。

その結果、相手が「やりたい」で考えるようになった例を、私はまだ見たことがない。

人は、分かるときには分かるし、分からないときには分からないものだ。

分かるときには風が吹いただけで、ちょっと外を歩いているだけで分かる。分からないときには何回言われたって、怒鳴られたって分からない。

これは「分かる人には分かる。分からない人には分からない」とは異なる。

人ではなく、時だ。同一人物であっても分かるときには分かるし、分からないときには分からない。

その人の存在、人生全体をあきらめるのではなく、「今は分からない(分かるときがもし来れば分かる)」という物の見方である。私は、自分や他者をいつもそのように見ている。

面と向かってコミュニケーションするとき、相手とよほどの信頼関係がない限り、相手が受け止める準備できている(と私が思える)ことしか伝えないように気をつけている。分かるときには分かるし、分からないときには分からないという仮説に基づけば、分からないときには何を言っても時間の無駄だ。命の無駄遣い。むしろ、準備ができていないことを伝えると感情が発火し、怒りやパニックに陥れることさえある。

何をどのように伝えるかばかりが意識に上がるが、「いつ」伝えるかを間違うと台無しである。明日とか来週とかそんな時間軸ではなく、30年、70年後の可能性も考慮するとよい。分かるであろうときに伝えることが大切だ。

しかし、ちょうど分かるタイミングで相手に会えるとは限らない。やはり、毎日毎日ガミガミ言い続けるしかないのか。そんなことはないだろう。

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