させられない幸福
「させられる」ことに対して、ずいぶん敏感になった時代だなと思う。
ちょっと誰かにさせられるだけでモチベーションがダダ下る。本当はさせられたくなんかない。「やりたいことをやりたいんだ」と心は叫び、身体は黙ってさせられている。
そんな人々に伝えたい。
「タイミング、ちょっと悪い」と。
しなくてもよい仕事
現代社会を見渡すと、物質的な意味での需要はほとんど満たされている。別に、やらなくてよいことを「仕事」と思い込んで暮らしている。この茶番をまず理解しなくてはならない。
たとえば、コピー機を売っている営業マンがいるとする。彼がコピー機を一生懸命売ろうが、売るまいが世界は何も変わらない。彼の営業成績がダントツ1位だからといってコピー機業界に激震が走るわけでもないし、また営業成績がゼロだったからといって「SDGsです」と言ってのけるほどのインパクトはない。
売らなくてよいものを売って暮らしている人が8割はいると見ている。
「コピー機はいらないのか?!」と言いたくなるかもしれないが、「たくさんはいらない」と私は思う。がんばって売らなきゃいけない時点でモノが溢れているのだ。
それでも、コピー機を売っているのはなぜなのか?
コピー機が大好きで、1人でも多くにその魅力を伝え届けたいのであれば、どうぞその熱い思いを胸に抱いて生きていってください。「させられていない」から、きっと幸福だと思うから。
しかし、現実にはこの世になくてもよい仕事、もしくは自分がいなくても何も問題のない仕事などと思いながらも「生活費を稼ぐための手段」と割り切って、しんどい思いをしながらがんばって働いている人は多いのだろう。
させられているような気分で仕事をしている人も少なくないのではないかと思う。
タイミングがずれている
私の知る限り、現代の日本には奴隷商人に売られて強制労働をさせられている人はいない。
少なからず、自分の意思でそこにいることを選んでいるはずだ。それなのに、どうしてさせられているような気分になるのだろう。
それは、タイミングがずれているからだ。
会社が言ってくる、上司が言ってくる。それは会社のタイミングであり、上司のタイミングだ。決してあなたのタイミングではない。
あなたのタイミングでコピー機を売ることができれば、それはさせられていない。もちろん、売るとなるとお客様のタイミングもある。自分のタイミングでお客様に売りつけるのでは、ただの迷惑行為である。
売りたいタイミングと買いたいタイミングが一致することで、初めて売らされていない上に買わされていない状態になる。もっと言うと、会社のタイミングと上司のタイミングも一致することで、みんながさせられていない状態になる。
これが理想的である。
しかし、言うまでもなくこれは無茶苦茶ハードルが高い。不可能だと思う。
いつも誰かがさせられている状態にある。
それがこの社会だと理解したほうが話は早い。
死刑にならない
「自分のタイミングを大切に」
私から言えることは、それだけだ。それだけなのだが、それを貫くことでさせらていないメンタルで人生を歩むことができる。
自分のタイミングに敏感になろう。
ノルマ、締め切り、全部破ったところで死刑にはならない。
こんなことを言うと怒り出す人もいるが、なにも締め切りを破ることを推奨しているわけではない。
実際、締め切りが近くなってくると、約束を破って信用を失うか、締め切りまでにやるかを天秤にかけ始める。
そのとき、もし「信用を失いたくない」とか「仕事を続けたい」という思いが自然と湧いてくれば、させられることなく自らの意思で仕事に取り組めるはずだ。
もちろん、どうしてもやる気が起きなければ締め切りなんて無視すればよい。その結果、受ける評価までセットで考えておくことは重要だが。
誰かのタイミングでやろうとするから、させられているように感じるのだ。
私はさせられている。私はしている。後者のほうが幸福度は高そうだと思わないだろうか。
自分のタイミングを見つけること、そこになるべく合うように環境を調整していくこと。小さな工夫から、大きな決断までできることは山ほどある。
させられることを人生から減らすことは可能だ。
まとめ
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