迦葉瀬津香

思いついたこと等を気ままに投稿したい。主に景観や都市、空間と人間の関係性について興味がある。今はサウンドスケープ、街についての興味がある。

迦葉瀬津香

思いついたこと等を気ままに投稿したい。主に景観や都市、空間と人間の関係性について興味がある。今はサウンドスケープ、街についての興味がある。

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最近の記事

「君たちはどう生きるか」を観て。

映画にここまで心を動かされたことは、いまだかつてあっただろうか。 「君たちはどう生きるか」 この映画は、僕の人生をほんの少し、いやだいぶ変えてしまったのではないかと思う。鑑賞後1日が経っても胸の高鳴りは抑えられないし、「地球儀」を聴いた後の気持ちは今も変わらずに残っている。そして、何かを創りたくてたまらない自分がいる。 生きなきゃ、と。 そう強く思わせてくれる映画だった。 生きて、自分の想像力を最大限に生かして、想像に助けられながらも、時には裏切られながらも、そして

    • 誰にも迷惑をかけず、また誰からも好意的に生きることは可能なのか?

      予定のブッキングが多すぎる。どの予定が自分にとって一番重要か、というところが予定を立てるときの選択基準になると思うが、どの予定をとってもどの予定も重要な気がしてくるから選ぶことは困難を極める。 例えば最初に入っていた予定をキャンセルせざるを得ない事態が生じる。この場合は自分の意志とは無関係に強制的に決められた予定を優先する場合が多い。自分の意志とは無関係な勝手に決められた予定は強制力があるのに告知が遅い。自分をなんだと思っているのか。こちらにだって前々から建てていた予定があ

      • 日本語をもう少しうまく使っていくために、アウトプット量を増やすことを決意した。

        最近思ったように言葉が伝わらない、言葉を選択できない頻度が増えてきている。また敬語を使った文章の作成が苦手だ、と感じることも増えてきている。 人に伝わる日本語を使うことが大変苦手だ。 そう感じることが増えてきた。周りの人たちはもっとうまく日本語を使うし、会話のスキルもあるから話していて飽きない。対して私はどうなのだろうか、と自己反省をしてみる。自分のみしか定義づけできていない言葉を使うこともあり、話の流れから逸脱した話をすることも多く、またオウム返しのような発言も多い。そ

        • 2022年の総決算と2023年の抱負

          今は2022年の12月28日。あと3日で今年も終了してしまう。ルージュの伝言がテレビから流れてくるのを聴きながらこの文章を書いている。 課題もほとんど終了し、暇になって、不安になったためこの文章を書いている。そんな背景はどうでもいい。 今日は1年の総決算を記していこうと思う。 2022年の始まりに書いたnoteを見返すと、私は2つのことを目標に立てたようだ。 本を読むことと、映画を観ること。そして、外に出ること。 3つの目標を立てていないかと思うけれども、この目標が達成

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        • 3フレーズのつぶやき
          5本

        記事

          オープンワールド、どこまでもいけそうな気がした。夜。

          オープンワールド、どこまでもいけそうな気がした。夜。

          上下左右のない世界、孤独、縛り

          上下左右のない世界、孤独、縛り

          明日、怠惰、気のせいだと思いたい夜。

          明日、怠惰、気のせいだと思いたい夜。

          所信表明というよりはやりたいことの列挙。

          最近、時間ができたせいもあって怠惰な生活を送っている。ドラマを見て、ゲームをして、寝て、食べて。勉強もあるのだが、どうにも後回しにしてしまう。そんな1月を過ごしていた。 このままでは、今年何もできずに終わってしまうな、と思ったのでこの記事を書いている。何かをしたい、という気持ちを文章化できれば創造的な頭が働くのではないのだろうか。そんな気がした。 ただ、どこかで 「何かになろうとしている人はもうやっている」 的な言葉を読んだ気がする。その通りだと思う。何かをやろうと思

          所信表明というよりはやりたいことの列挙。

          平安時代、マスク世代、どちらも顔が見えない

          平安時代、マスク世代、どちらも顔が見えない

          忙殺、恋愛、夜の空

          忙殺、恋愛、夜の空

          理想と現実の擦り合わせ。

          理想を追いかけるのは無駄だ、現実を見ろ。現実を認識しろ。 このような言葉を聞く機会は誰にでもある。 お前にはできない。それは理想にすぎない。駄々をこねてるだけだ。大人になれ。 夢を追いかけている途中、自分の可能性に懸けて全力で取り組んでいる最中で言われるかもしれない言葉の数々。 しかし、理想を求めて現実を生きることの何が問題なのだろうか。現実を見ろ、と言われても現実というのは自分の中にしか存在していないのではないのか。少なくとも私はそう思う。 そのような言葉を言う人

          理想と現実の擦り合わせ。

          心にいつもミニミニ炭治郎を持とう

          自分でも意味不明なタイトルだなあと思っている。今回はそんな意味不明な話を書いていきたい。 これは、今日私が友達との会話の中で思いついた言葉だ。 鬼滅の刃は世界的なブームを起こしていてつい先日、無限列車編も放送された。私は映画館で見て号泣した類の人間であるが、テレビで見ても泣きそうになってしまった。 無限列車編の中で無意識領域の描写がある。この領域は人の心の本質を表していて、炭治郎はウユニ塩湖のような澄み渡った青空をしていた。 このような心を持っている青年って少ないよな

          心にいつもミニミニ炭治郎を持とう

          季節感のある街って、どのような景色が見えるのだろう?

          最初に季節感や四季が感じられにくくなっているな、と最近感じている。夏は暑いだけの季節。冬は寒いだけの季節。春は花粉の季節。秋は食の季節。マスメディアもこれらのことに注目して報道しているようにもみえる。そして、中秋の名月も、そのことを感じる人が少なくなってきたのではないか。都会では周囲がビルに囲まれており、月が見えない。見えたとしても、街の明かりよりも儚い月光は見ることが難しい。 本当はもっと、情趣を感じることができるだろうと私は思う。もっと日本に住んでいる人たちは四季を、季

          季節感のある街って、どのような景色が見えるのだろう?

          無駄な時間、有益な空間。

          ポケットモンスターの最新作の発売日が決定された。リメイク版、最新作ともに関係があるのはシンオウ地方だ。 シンオウ地方にはシンオウ神話が存在している。 シンオウ地方の伝説のポケモンは、ディアルガ、パルキア、そしてギラティナである。それぞれ、時間、空間、破れた世界をつかさどる神である。(ギラティナの扱いはここでは難しいが、世界の歪みを修正する神といったほうが良いのかもしれない) その上に創造神たるアルセウスが存在しているのだが、ここでこの話をしてしまうと長くなるので割愛する

          無駄な時間、有益な空間。

          雨、真夏の東京。

          今日も雨が降っていた。そして気温も低い。雨がこんなにも降り続けるのは珍しいことであると感じる。夏なのか、梅雨なのか。季節感が失われていく気がする。明日からはいつもの夏がやってくるそうだ。(といっても新型コロナウイルスの影響は衰える気配がないので、いつもの、を完全に取り戻すにはまだ時間がかかる) 雨が降る東京、と聞いて何が思い浮かぶだろうか。 私は、「言の葉の庭」や「天気の子」といった新海誠作品が思い浮かんだ。そのような映画を見るのもいいだろう、と思った矢先、ふと、聖地巡礼

          雨、真夏の東京。

          雨の中、街を歩いてみて。

          連日の大雨によって、梅雨に季節が逆戻りしたのではないか?と感じられるようになってしまった。夏とは思えない気温にもなっている。 そんな中、私は朝散歩を毎日のようにしている。そんな中でふと、街の風景が晴れた日と雨の降った日では印象が違うように感じられた。晴天時は解放感を覚えるような空を望める公園であっても、どんよりとした空気にはかなわない。どこか哀愁を感じる。街にそびえたつ灰色のビルが非常に雨模様の天気とマッチしていて、悲しさをも覚える。 雨音に耳を澄ましながら歩いていると、

          雨の中、街を歩いてみて。