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季節感のある街って、どのような景色が見えるのだろう?

最初に

季節感や四季が感じられにくくなっているな、と最近感じている。夏は暑いだけの季節。冬は寒いだけの季節。春は花粉の季節。秋は食の季節。マスメディアもこれらのことに注目して報道しているようにもみえる。そして、中秋の名月も、そのことを感じる人が少なくなってきたのではないか。都会では周囲がビルに囲まれており、月が見えない。見えたとしても、街の明かりよりも儚い月光は見ることが難しい。


本当はもっと、情趣を感じることができるだろうと私は思う。もっと日本に住んでいる人たちは四季を、季節の移り変わりを感じることができるはずなのに。


東京や横浜などの都会に住んでいると、季節が分からなくなる。ショッピングセンターは年中快適な気温に設定されているし、地下設備では外を感じる要素すらない。新宿や渋谷では広告が毎日のように雑多に流れているし、人は気温に合わせてしか服装を変えていないように見える。


もっと、感覚的に訴えてくるものがあったはずだ。


暮らしたい未来のまちに大切なこと

私が暮らしたい未来のまちには、「季節感」というものが大切だと思う。利便性よりも、である。

しかし季節感といったものを感じ取れるのは心に余裕のある人たちだけかもしれない。精神的余裕がなければ今も生活にいっぱいいっぱいになって周りのことにも目をくれず、自分の今の生活にしか興味を向けない。

自分たちの暮らしやすさを決めているのは、自分たちの心の持ちようなのではないか。今世界ではインターネットがあらゆるモノに接続されていて、スマホを持っている人間は常時あらゆる他人とコミュニケーションだったり様々な情報を得たりすることができる。

それは、窮屈さを同時に生み出してしまうのかもしれない。

心の余裕がなくなってしまうのだ。

心の余裕が生まれれば、季節を感じることができる。五感をフル活用して街を楽しむことができる。このような、季節感を感じる街は私が過ごしてきた街のなかでもほとんど存在していない。

現代の都市

現代の都市は利便性、時間の短縮への欲求、欧米への強烈な羨望などによって人間排他的なまちになってしまっている。欧米はもともと整形式庭園にもみられるように自然を人工的に支配しようとしてきた。しかし、日本はそのような文化的背景はないように思える。だから、日本人にとって窮屈なまちが出来上がっていっていしまう。

だからこそ、季節感だ。ふとした瞬間に紅葉やイチョウが見れたら、もしくはきれいな夕焼けや朝焼けを見ることができたなら、また、春夏秋冬で移り変わる美しい雲や空を見ることができたなら。


心にちょっとだけ、余裕が生まれるのではないだろうか。


スマホの画面に憑かれて街を歩くのではなく、通勤や通学の時間にも季節、いや、自然を感じることができたなら。

季節感を感じることができる街は、そこにあるはずだ。


まとめ

ここに書いているのは、日本という特殊な地域に住んでいる私たちが考える、日本に住むにおいて暮らしたい街とは?ということである。文化的背景、気象条件が違えば季節感なんてそもそも存在しない地域だってある。しかし、私はいま日本に住んでいる。日本で育った。だから、この地域性を生かした暮らしやすい街にしていきたいと思っている。

捉え方の問題であろう。また、私が海外に行った経験がなく日本のことしか考えられないのも影響しているだろう。

しかし、観光的に訴えてくるものや、季節感でなくても心の余裕を感じる瞬間というのはどの地域においてもあるはずだ。

このような情趣を大切にする街が、暮らしやすい未来の街になっていくのだと私は考える。また、このような街にしていくためには空の大きさだったり、窮屈さを感じさせないような都市設計だったりと大規模な開発が必要だ、ということはあまり言いたくない。


暮らしたい街、そして暮らしやすい街を作っていくのは人の心なのだ。


心に余裕が生まれる街。それが暮らしたい未来の街である。





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