無駄な時間、有益な空間。
ポケットモンスターの最新作の発売日が決定された。リメイク版、最新作ともに関係があるのはシンオウ地方だ。
シンオウ地方にはシンオウ神話が存在している。
シンオウ地方の伝説のポケモンは、ディアルガ、パルキア、そしてギラティナである。それぞれ、時間、空間、破れた世界をつかさどる神である。(ギラティナの扱いはここでは難しいが、世界の歪みを修正する神といったほうが良いのかもしれない)
その上に創造神たるアルセウスが存在しているのだが、ここでこの話をしてしまうと長くなるので割愛する。また、その下にユクシー、エムリット、アグノムという感情をつかさどる神々も存在しているので話がややこしい。(ヒードランは、洞窟をはい回ってたらしいが…真相は定かではない)
ここで書きたかったのはシンオウ神話の考察ではなく、時間と空間についての自分の考察だ。
時間は有限、かつ空間も有限である。その限られたものをどう生かしていくか。
無駄な時間を過ごしてしまった、と思う日もあるかもしれない。有益な空間を見つけた、というときもあるかもしれない。その両者に共通しているのは、感情である。無駄だ、有益だ、と思うのは個人の感情が影響している。誰かにとっての有益は、誰かにとっての無駄であるときだって存在している。
その有益さをもたらすのはうまい空間づくりと、有益だと思わせる時間の活用方法を提案する仕組みだ。と私は感じている。
日本橋を訪れたときに、私は何だこの場所は!と驚きを隠せなかった。日本的な印象があるけれど、高層ビルが立ち並び、また百貨店が多く存在している。歩行者は車を気にせずに自由に歩き回ることができる。その一角に、神社が存在していた。
上部の写真の神社である。サラリーマンの方が丁寧にお辞儀をしている。日本の宗教観というのがこの写真に見え隠れしているように思える。
このそばにある公園で私はおにぎりを食べた。ゆったりとした時間が流れていた。田舎ではないけれど、都会にいながら都会ではないような時間の流れ方を感じられた。
このような時間の感じ方をする空間が今の現実社会に必要なのではないかと思える。今の人たちは忙しなく動き続けている。そのような中でも、休息という面でこのような空間が彼らを支えてくれたら。それはいい社会ができるのではなかろうか。
その様な空間づくりをこれからも考え続けていきたい。
本題からはだいぶそれた締めくくりになった…
ではまた。
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