心にいつもミニミニ炭治郎を持とう
自分でも意味不明なタイトルだなあと思っている。今回はそんな意味不明な話を書いていきたい。
これは、今日私が友達との会話の中で思いついた言葉だ。
鬼滅の刃は世界的なブームを起こしていてつい先日、無限列車編も放送された。私は映画館で見て号泣した類の人間であるが、テレビで見ても泣きそうになってしまった。
無限列車編の中で無意識領域の描写がある。この領域は人の心の本質を表していて、炭治郎はウユニ塩湖のような澄み渡った青空をしていた。
このような心を持っている青年って少ないよなあ、と思っていた時にふと思いついたのが、タイトルにもある「心にいつもミニミニ炭治郎」である。
確か、友達とは未来がどうとか若者には何ができるだとか的な話をしていたと思う。若者は自分のことが可愛すぎて他人への興味がないのでは的な話をしていたとも思う。確かに体感ではあるが、他人よりも自分の評価を気にして動いている人間は多いのではないだろうか。特に若いと積み重ねた歴史が浅いので、自分というものが分からず、自己防衛という意味もあって結局自分のことしか考えていないといったこともあるのかもしれない。
無条件で他人にやさしくできる炭治郎みたいな人って今の若者世代にはいないよな。だから炭治郎的な心を持てば世の中変わるのかなあ。そんなことを考えていたはずだ。
でも自分を投げ捨てて他人のために動くっていうのはハードルが高すぎる。そんな自己犠牲マンは今の社会では生きていけないのかもなとも思う。
だからこそ、「ミニミニ炭治郎」だ。ミニミニ炭治郎とは、炭治郎とまではいかなくても、自分を守りながらも、少しでも他人のために行動できる心のことだと思う。そんな心があれば世の中よくなるよなと感じる。
要は、「自分のことだけでなくて他人にも少し興味を持つために、少しでもいいから寛大な、他人を思いやる暖かい心を持とう」ということを言いたいのかな。
なかなかに支離滅裂な文章だなと思うけど、いつかこの記事を読み返した時にあの時はこんなこと考えていたんだと思えるように、あえて公正をせずに載せてみたいと思う。
批評待ってます。