誰にも迷惑をかけず、また誰からも好意的に生きることは可能なのか?

予定のブッキングが多すぎる。どの予定が自分にとって一番重要か、というところが予定を立てるときの選択基準になると思うが、どの予定をとってもどの予定も重要な気がしてくるから選ぶことは困難を極める。

例えば最初に入っていた予定をキャンセルせざるを得ない事態が生じる。この場合は自分の意志とは無関係に強制的に決められた予定を優先する場合が多い。自分の意志とは無関係な勝手に決められた予定は強制力があるのに告知が遅い。自分をなんだと思っているのか。こちらにだって前々から建てていた予定があるので、キャンセルする場合の周りへの影響だったり他人への申し訳なさを感じたりすることを考慮していないのか、と問い詰めたくなる。

予定のキャンセルには他人の迷惑となる事態が必ず発生する。そのような事態を避けて生きていくことは不可能なのだろうか。また、誰からも自分の行動を好意的にとらえられて生きることは可能なのだろうか。

答えはNOだ。誰もかれも誰かに迷惑をかけて生きているし、迷惑をかけない生き方なんて社会的な生き方ではない。また、誰から、お好意的にとらえられる事象なんてこの世には存在しないし、人の好みなんて千差万別だ。

迷惑をかけた後の申し訳なさが嫌いだから、予定のブッキングはなるべく避けたい。最初に入った予定を優先したい。この気持ちは普遍的なものではないか。でも、そんな自分の気持ちとは裏腹に社会は自分に予定の強制を迫ってくる。自己判断なんていらない、お前はこの通りに生きて、選択していればいいんだと、そう語りかけてくる。

その様に生きるのはとても楽なことだ。自分で選択しなくていいというのは責任が自分に無いと責任転嫁できるからだ。

しかし、そんな生き方は楽しくないし面白くない。自分で責任を負って、自分の選択に後悔が無いように進んでいく。そんな生き方をしていきたい。

そのためには胆力が必要だ。
精神力を鍛えなければいけない。自分のしでかしたミスを大きく取り返せるような魅力的な人間にならないといけない。

そのような人間になるのはとても時間がかかると思うが、今年1年頑張っていきたい。

(ただ、迷惑をかけまくっていいということではない、社会的に認められる範囲で迷惑をかけて生きていこうということだ。)



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