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花に嵐の映画もあるぞ(邦画編)。

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わたしの好きな映画を、「褒めること」意識してつらつら書いていきます。 取り上げる映画は、時にニッチだったり、一昔前だったりしますが、 そこは「古いやつでござんす」と許して、ご容赦…
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2020年5月の記事一覧

30年間封印された「ブラック・サンデー」。 眼鏡で小太りの少佐の声が聞こえてくるよう。

足掛け十三年も続いた「午前十時の映画祭」がこの3月にひっそりと終わった。 と思ったら、2021年の復活が決まった。 仕切り直しだ。  2010年、「午前十時の映画祭」第一回オープニング当時の「熱さ」を今でも覚えている。もういちど劇場に「味のある傑作」を取り戻そうという、熱意。 「大脱走」「ショーシャンクの空に」「ニューシネマパラダイス」「サウンド・オブ・ミュージック」ほか、古今東西の定番ばかり押さえていたのだから、受けないはずがない。 翌年の第2回では「ディア・ハンター

政治はペテンだ。80年前に言い切ったマルクス兄弟の秀逸な喜劇「我輩はカモである」。

30年代アメリカにおいて、ナンセンス・ギャグで一世を風靡したマルクス兄弟。 上半身を前に倒し 、お尻を突きだすようにしながらせかせかと歩きまわり 、ナンセンスな言葉を饒舌に吐きだし続ける、お髭がチャーミングなグルーチョ。 (のちにドリフターズの「ヒゲダンス」に受け継がれた、強烈な外見。) 言葉をまったく発せず 、自転車についているようなクラクションでコミュニケーションを取りながら 、隙があればひとの膝に足を載せ 、なんでもお構いなしに隣り合った人間のものをかすめ取る、上着から

どうせ死にゆく恋ならば。4つの心中、「近松物語」「みじかくも美しく燃え」「Cold War」「遊び」。

何かにつけ不自由な時代には、「自由でありたい」と願う物語が好まれる。 たとえば、イノチを賭した恋物語が。 一時代前、その定番が心中もの であった。 時代が、周囲が課した枷によって、互いの仲が引き裂かれるのを、互いに案じて、追い詰められていく。 「一緒にいたいだけ」 その衝動に突き動かされるようにして、最後にはふたり手をつないで死を選ぶ。 もはや遠いものになったからこそ、やはり死にゆく恋は美しいと思う。 死の選び方も、心中のかたちによって様々だ。 ここでは、とき・ばしょを問

再会の果て、精神の荒野。無常の映画「飢餓海峡」。

オー・ヘンリーの短編に「二十年後」がある。国語の教科書で読んだこともあるだろう、あらすじは一々書かない。なんと言っても最後の一文に尽きる。 手紙はむしろ短かった。 『ボブへ。おれは時間どおり約束の場所に出向いた。おまえが葉巻に火をつ けようとマッチをすったとき、おれはその顔がシカゴで手配されている男の顔だと気づいた。なんにせよ、おれの手でおまえを捕らえるのが忍びなかった。だからおれはその場を去り、後の仕事を私服刑事に任せたのだ。ジミーより。』 再会というものが持つある種の

鳥たちが天地に自由に舞う二つのCGアニメーション。「ブルー」と「ハッピー・フィート」。

せめて翼があったらな、遠くに行けたらな、と Apple  Arcadeでインディーゲーム「Fledgling Heroes」をプレイしている。 ステージ制の強制スクロールアクション。画面をタップし、自機を羽ばたかせて、高度を調整し、障害物を避けるだけ。 片手でもできる。 インコ、ペンギン、フクロウ、始祖鳥、カッコウと、色とりどりが自機。 シンプルだが、南海、北海、遺跡、砂漠、と様々なステージが用意されていて サクサク進めると、世界を回ってる気分がして楽しいのだ、これが。

全国各地、私の好きな映画館。ミニシアター巡礼、その二。

地方のミニシアターに足を運ぶ際、まず躊躇われるのは それが、繁華街(場によっては風俗街)の真ん中にある ことでしょうか。 郊外型ショッピングセンターのライフスタイルに慣れていると忘れがちですが、そこが昔、まちの中心地だったことを、如実に言い表しています。 映画のついでに買い物、映画のついでに食事、映画のついでに遊技、 夜の回、最終上映後には、不夜城な酒場に繰り出す。 それが昭和のライフスタイルでした。 そして、人が少なくなった今でも、生き残ったミニシアターは その地で、「地

1956年東ベルリン。なにも変わっていなかった。「僕たちは希望という名の列車に乗った」

1953年、スターリンが死んだ。(ついでにベリヤも殺された) 東側諸国では「非スターリン化」に向けた機運が高まった。 ハンガリー人民共和国も例外ではなかった。 1956年10月23日、ブダペストで大規模民主化要求デモ。翌日、前首相であるナジがハンガリー首相についた。彼は大衆に人気があった。10月27日 ナジが新閣僚を発表、四人の非共産党系大臣を任命した。11月1日にはハンガリーの中立化をラジオで表明する。 これを、ソ連は「ハンガリーが社会主義陣営をはなれるかもしれない」予兆

相米慎二監督「お引越し」「台風クラブ」ほか一本。 子供も大人も純粋でエネルギッシュ。

「ワンシーン・ワンカットの長回し」が代名詞。 喜びや痛みを発散させながら躍動する肉体を、ありのまますくい取る だから、どの映画にもガツガツとしたパワーがある。妙なバイタリティがある。 そんな相米慎二作品といえば、「セーラー服と機関銃」ばかり語られる気がする、しかし、それだけで語るのは、もったいない! 妙に気が沈んでしまう今時分、観れば元気付けられる、相米慎二の傑作を今回は三本、紹介したいと思う。 マグロに取り憑かれる父の魂、「魚影の群れ」。舞台は本州最北端、下北半島

暗い雨。叫んで、変えろ。青春映画「リンダ リンダ リンダ」。

鬱屈として、閉塞して、互いに肘を突き合い、根本のところで、ある種の沈黙を強いられるいまの世の中。 むしょうに、叫びたくなる。 2004年公開の「スウィング・ガールズ」の大ヒットに便乗して? ガールズバンドを主役にした2005年公開の本作。 タッチはまるで逆。 高校生活最後の文化祭_ただ、何かを 刻みつけたかった。 との公開当時のキャッチコピーが、すべてを言い表す。 高校生活最後の文化祭のステージに向けて、オリジナル曲の練習を重ねてきたガールズバンド。ところが本番ま

「万引き家族」の先行者たち。60年代は大島渚の「少年」、80年代は工藤栄一の「野獣刑事」。

いつどの時代にも「社会的弱者」をテーマにした物語は必要とされる。 一概に社会のせいとも、自己責任とも、他人事と排斥することのできない、複雑さを持った物語が。 2010年代の邦画における代表格が、言わずと知れた「万引き家族」だろう。 経済発展から取り残された世界を舞台とした、貧困、そして親と子どもの相克をテーマとした映画。 日本において、その歴史は意外に古い。 1969年には大島渚が創造社において、実際に発生した当り屋一家事件をモデルに田村孟脚本で「少年」を製作しているし、1

サイレント映画「東への道」 伝説的な氷河渡の救出行 だけは見ろ。

漫画「栄光なき天才たち」第2巻で紹介されたのが、映画の手法を試行錯誤しつつ生み出していったデビッド・W・グリフィスの神話であった。 彼のキャリアは「イントレランス」で終わったように、描かれる。 だが、この後も彼のフィルモグラフィーは続く。 1919年、自由な映画作りを目指し、チャップリンらと映画製作会社ユナイテッド・アーティスツ社(後に「ロッキー」「007」「ウエスト・サイド物語」を製作・公開)を創設、自身は引き続き、「國民の創生」や「イントレランス」と同じくリリアン・ギ