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再会の果て、精神の荒野。無常の映画「飢餓海峡」。

オー・ヘンリーの短編に「二十年後」がある。国語の教科書で読んだこともあるだろう、あらすじは一々書かない。なんと言っても最後の一文に尽きる。

手紙はむしろ短かった。
『ボブへ。おれは時間どおり約束の場所に出向いた。おまえが葉巻に火をつ けようとマッチをすったとき、おれはその顔がシカゴで手配されている男の顔だと気づいた。なんにせよ、おれの手でおまえを捕らえるのが忍びなかった。だからおれはその場を去り、後の仕事を私服刑事に任せたのだ。ジミーより。』


再会というものが持つある種の残酷さ、
趣は違うが、それをひしひしと感じさせる邦画の名作・古典こそ
「飢餓海峡」ではないだろうか。

解説
時代劇の大家・内田吐夢監督が現代劇に挑む長篇サスペンスドラマ。「東映W106方式」と呼ばれる実験的な作風が、戦後の混沌とした時代と事件の裏に潜む人間の執念を浮き彫りにした。三國連太郎が過去を背負う男を鬼気迫る演技で表現。左幸子の情の厚さ、喜劇俳優・伴淳の堅実さも強い印象を残している。日本映画史上に燦然と輝く傑作。
物語
北海道・岩内で質屋一家が惨殺された。現場を離れる3人の男たち。その頃台風が青函連絡船を襲い、500人以上の死者が出た。引き取り手のない2つの遺体、この2人こそが質屋一家の犯人だった。3人目の犯人はどこに消えたのか?執念の刑事・弓坂(伴淳三郎)の追跡が始まる。しかし3人目の犯人・犬飼(三國連太郎)の足取りは掴めないまま10年の歳月が流れる。

午前十時の映画祭 公式サイトから引用

三時間の長尺もあって、見所はたっぷりあるが
ここでは、たった一度の逢瀬の恩を返すため、犬飼を探し求めるヒロイン:杉戸八重(演:左幸子)の視点に立って、物語を追ってみたい。
十年後の再会が悲劇を招く。犬飼のせいで。 ここに絶望的な悲しさがある。

物語は昭和22年に始まる。


①最初の出会い:犬飼太吉と杉戸八重


杉戸八重は下北半島の寒村出身である。村からは森林軌道車の線路が近くの町:川内まで通じている。軌道車は材木を運ぶが人も乗せる。
トロッコの様に軽快に、がたがた揺れる車内で八重は、犬飼太吉と出会う。
太吉は「何かに追われている」様に、警戒心強く、周囲を窺っている。
八重が冗談まじりに話す、先祖の霊を呼ぶ恐山のイタコの話にすら、ビビる。
飢えているから全てが恐ろしく見えるのだ、可哀想、と
八重は弁当のおにぎりを太吉に分けてやる。

線路の終着点で別れて数時間もしないうちに
次に二人が逢ったのは、遊郭「花家」の店先。杉戸八重は「千鶴」と名乗る遊郭の娼婦だった。

花家に上がった犬飼は久しぶりに風呂に入り、髭をそる。
それを見た八重は、大柄の男、太吉の変貌振り、凛々しさに、目を見張る。そして、彼の拇指に、へちゃけた大きな傷跡があるのも、見つける。

彼はまだ何事かにびくびく怯えているように見えた。
その不安を癒すべく八重は犬飼にその身を預けた、彼も八戸の優しさに甘えた。
抱かれた後、八重は、身の上話をしながら彼の爪を切ってやる。ついでに彼を花家に泊まらせようとするが、犬飼は帰るといい、料金をきく。
彼は雑のうから金を一掴み取ると、傍の新聞紙にくるんで八重の前に置く。
「いくらあるか知らんが、あんたに上げるよ」八重はぎょっとする。「何も悪い金やない、闇商売で儲けた金や。好きなようにつかいなよ」
そういうと犬飼は店を出て行く。

八重は、新聞紙に包まれた金を震える手で数え始める。_三万四千円もあった。震えながら立ち上がった時、足の裏に痛みが走った。
大きな犬飼の爪が足の裏に刺さっていた。
八重は爪を抜き取ると、大事そうに胸に抱く、「犬飼さん……」と呟きながら。

父母の借金を返すべく、八重は娼婦として働いている。
これだけ大金があれば、自分も父母も先行きの不安から解放される。
太吉は、命の恩人だ。
八重は、たったひとつのことを心に決める。太吉にもう一度会おう、と。
おたがいがどんな立場になっていようと、どんなに遠く離れていようと、かならずまた会おうと。そして彼に、この三万四千円に値するお金を返そうと。

他方、犬飼は貧しい八重の身の上の同情から、どうせもう会うことはないだろうからと、強奪した金の一部を、八重にくれてやっただけだった。それが後に意外な結末を呼ぶとは、つゆ知らず。


②修羅のごとく生きた、八重の十年。


太吉の足どりを追う弓坂が、花家にやってくる。
八重は、「正反対の見た目・性格を伝えて」嘘をつく。 彼を守るため。

弓坂が再訪する可能性もあると、実家の借金を返した八重は、東京に出る。
東京に出てしばらくは、まだ終戦直後の混乱にあった池袋ガード下で違法の客引きを行い、「池袋ジャングル」と言われる闇市の飲み屋で酌婦をする。
本人としては、太吉のためにも二度と身体を売るまい、と必死だったが
偶然の悪戯のために、再び、娼婦に身を落とすこととなる。
隅田川べりでひとり、八重は「ごめんなさい」と太吉に心の中で謝る。

亀戸の遊郭「梨花」に勤めて、5年、6年と、あっという間に時は過ぎ去っていく。毎年一月の亀戸天神の「鷽替え(うそがえ)の神事」に買った「鷽」も年の数だけ増えていく。その中で八重は節制に努め、こつこつとお金を貯める。

自分以上に、うまくやっていてほしい。杉戸八重の願いは変わらない。
自分が立ち直れていたのは犬飼さんのお陰、
いつか犬飼さんに会ったら、心からお礼を言いたい、その一心で生き続けた。
肌身離さず持つ太吉の爪は、その恩を決して忘れぬための、おまもりだ。

「鷽」がちょうど十個になった昭和31年、5月に売春防止法が成立して、八重は商売が続けられなくなった。そんな時、新聞を読んでいた八重は、三面記事の写真に釘付けとなる。「舞鶴の篤志家・樽見恭一郎さんが刑余者更正事業資金として三千万円を寄贈」という記事と一緒に掲載された顔写真だ。
いてもたってもいられず、八重は舞鶴行きの列車に乗り込む。爪も離さず。
最終幕が上がる。


③再会、十年後。


八重は、樽見京一郎の屋敷に通される。
樽見京一郎は犬飼太吉に顔も声も所作もそっくりだった。
八重はこみ上げる懐かしさに思わず「犬飼さん、お久し振りでございます」。
京一郎は「私は樽見で犬飼なんて知らない」と、素知らぬ顔をする。

出会い頭に一発。八重は、はぐらかされて惨めな顔。
きらっと涙を浮かべて京一郎を咎める。それも京一郎は、はぐらかす。
八重、悲しみの目でなおも縋り付く。
京一郎、感情を押さえて、八重の追及をかわす。
京一郎の拇を握り締めた拳が微かに震えている。
八重、絶望する。 耐えきれず、ハンカチで顔を覆うと
「樽見さん……あたし、何のために生きていたのか……お礼も言わせて貰えないなんて、張りも何もなくなってしまう」そう、途切れ途切れにいって、静かにすすり泣く。
京一郎、唇が痙攣する。動揺を隠すよう、奥に向かって「お茶だ!」と呼ぶ。

一呼吸おいて、京一郎は八重をこう諭す。

八重さんとかいいましたな。あんたは心の綺麗な人だ。十年前に世話を受けた人に礼をいいに、態々遠い所まで来なさったあんたの心に私は打たれた……人違いも不思議な因縁といえぬこともありません。わたしは他人のように思えんのです。また、こちらへ来る機会があったら、ぜひお立ち寄りください。

八重、静かに俯いて、紅茶を一口、口につけて立つ。
そして、恐ろしいほど静かな声で

樽見さん、取り乱して御免なさい。おじゃましました。

と丁寧に頭を下げて、行きかける。
そのしおらしい後姿に京一郎、たまらなくなる。
思わず呼び止めて、「八重さん!」八重、振り向く。京一郎の愛の篭った目。握り締めた拳がはずされ、へちゃけた指がのぞいている。
八重、はっとその拇指に気づく。
「犬飼さん!」


八重は、堰を切ったような声を上げて、がばと犬飼の胸に抱きつく。
京一郎、思わずその八重を抱きすくめる。
だが言葉は裏腹に

「犬飼じゃない……わたしは犬飼じゃない……」


十年という年月は、二人をまるで変えていなかった。悲劇的なほどに。
罪深い男:太吉は、本当の自分を認めることが出来ず、彼女の首に無意識に手をかけて…。

太吉は車で彼女の死体を棄てにいく。容赦なく前方窓に降りかかる雨。車中で顔を歪める太吉の顔に涙はない。しかし、心の中は空模様と同じだろう。


罪に濡れた男、罪で流される女。


刑務所から脱獄して殺人の過去を隠し、名前を変えて生きる実業家。
「罪過」のために一所に留まれず、常に不安でしょうがない、仮面を被った罪深い男:犬飼太吉=樽見京一郎がいる。

方や、無垢な、しかし慈悲深く寛容な娼婦である杉戸八重がいる。
それは「梨花」で働く他の娼婦たちも、同じだ。
(五社英雄の映画よろしく)互いにライバルとして陰に陽にしのぎを削ることはなく、みな姉妹のごとく描かれている

それは、原作者・水上勉の実体験:彼が寺を脱走してから京都五番町の遊郭に通い詰めていたこと、満州に渡ったときそこの遊郭の娼妓と気持ちが通い合ったことから、遊郭は家庭的で温かい所であるというイメージを持っていたことによるものだ。

虚構の生活が打ち砕かれた瞬間、罪人が、無実の人間を、手にかける。
あまりに深すぎる業の為せるわざだ。


ともあれ、
若かりし日の高倉健演じるが「いずれ冤罪を起こしかねない」強引かつ迅速な捜査で樽見京一郎=犬飼太吉を追い詰めたとき、太吉は自身の過去を語る。
(ここは、実際に貴方の目で確かめてほしい。)

なぜ八重を拒絶しなくてはならなかったか。彼言わく「貧乏人の生きる論理」=「必要悪」を貫徹しなくてはいけなかった、仕方のなかったことだと。
そこに甘えることすら許さない、太吉を追い続けて苦節十年、舞鶴にたどり着いた弓坂の次の台詞が、重い。

あなたには、わたしのことを信じられない。わたしにも、あんたが二人を殺していない、八重をも殺していないと言われても信じることができないのです。誠に悲しいことです。お互いに人間と人間とが信頼し合えないなんて……あんたは八重さんさえも信じなかった。八重さんは殺さなくてもあんたの秘密は金輪際口にしなかったでしょう。そんな八重さんを何故あんなむごい事を……私はあんたが憎い、本当に憎みますぞ!樽見さん、あんたの歩いてきた道には草も木も生えんのですか!

そして弓坂は、彼にとっての「爪」を太吉に突き立てる。
この言葉を聞いて、太吉が取った態度は、そして結末は…。

彼のいう通り、この映画はすべてにおいて荒廃している。
下北半島に上陸した犬飼太吉がからからの恐山を彷徨うシーンや、
伴淳が出世も投げ打ち弓坂を追って不毛に終わ(りかけ)た十年間や、
16ミリフィルムを32ミリにブローアップした粒子の荒い画面が
ザラザラと、乾いた感じを与える。
その中で唯一八重だけが、荒野に咲いた花だ。
それを根っこから太吉はへし折ってしまう。

人間の罪とは。人間の業とは。 何より、再会が生む哀しさとは。
この週末、「何か身になるモノが見たい」方、ぜひどうぞ。


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ドント・ウォーリー
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