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買って良かったモノ・本・漫画2023

この記事を書き始めたのは12月29日、夜の9時。2023年の年の瀬です。
大掃除もひとまず終わり、お正月に必要なものもあらかた用意し、新年まで少し余裕ができたので、今年最後の記事に着手しました。
「今年最後の〜」というと大仰ですが、タイトル通り2023年に買って良かったものを紹介する記事ですので、気楽に読んでいただければ幸いです。

買って良かったモノ POKETLEさんの120mlの水筒

外出中にちょっと喉が渇いたとき、いつもペットボトルを買っていたのですが、嵩張るし、お金もかかるし、結局飲み残してしまう…ということで水筒を探していました。
小さめのバッグを愛用しているので、それに入るミニサイズの水筒が欲しかったのですが中々見つからず…ついに出会ったのがPOKETLEさんの「ポケトル120S」!
名前の通り、容量120mlの小さな水筒で、直径は女性が片手で握れるくらい、高さは13cm程度でしょうか。軽くて持ち運びやすくて保温力もバッチリ。この水筒のおかげでお出かけの際の小さなストレスから解放されました…!

水分をたくさん摂る方や夏場のお出かけにはちょっと足りないかもしれませんが、近所の散策などちょっとしたお出かけの際におすすめです。


買って良かった漫画 panpanyaさんの『おむすびの転がる町』

「近所の散策やちょっとしたお出かけ」に関連して、続いてご紹介したいのがpanpanyaさんの漫画。
以前から描かれている方なのですが、私は今年、GINZA  SIXの蔦屋書店で初めて出会い、以来すごく気に入ってしまいました…!
どこの書店にも必ず置いてあるというわけではなく…色を抑えた装丁と精緻な背景から、一見してちょっとハードな、通向けの内容を想像してしまったのですが、読んでみるといい意味で裏切られた、という感じ。

収録作品は比較的短い短編やショートショートが中心です。
なんてことのない日常の中でふとしたことを疑問に思う。ちょっと街に出る。ちょっと調べてみる。そんなところからいつの間にか物語が始まるのですが、なんというか…あまりに自然でどこからが“物語“なのか、どこからが作者の“嘘“なのかよくわからず「本当にこういう街があるのかも」と思わせてくれる作品群なのです。

例えば(なるべくネタバレにならないように注意して書きますが)『おむすびの転がる町』に収録されている短編「筑波山観光不案内」。

タイトルの通り、主人公(※この方の作品では、主人公はいつも同じビジュアルの女の子で、ときに小学生だったり、ときに社会人のようだったりします)が筑波山に旅行に行くお話です。私は以前数年間つくば市に住んでいたこともあり、「おお!」と懐かしくページをめくっていきました。

物語の表紙は、カエルのオブジェが目立ついかにも怪しげな風景。でもこの怪しい感じ、「筑波山ガマランド」という実在する遊園地にそっくりです。
つくばエクスプレスや筑波山へのシャトルバスの描かれ方は、本物とはちょっと違う。でも筑波山のおみやげ屋さんや参道の様子、ケーブルカーや山頂からの景色などは「そうそう、こんな感じ!」と嬉しくなるくらいあの場所の雰囲気がそのまま描かれています。
そして、「だんだんとフィクションの世界に入ってきたな」と思いながら読み進めていくのですが、後半のガマの油のくだりで「あれ、これってホントのこと!?」と混乱させられてしまいます。フィクションではあるけれど、史実に基づいて描かれているのでは、と思わせる不思議な説得力があるのです。

panpanyaさんの本に最初に出会って以来少しずつ楽しみに集めている最中。
読んでみれば、私のような方向音痴な方も「うっかり迷子になったとしてもそれはそれで面白いのかもしれない」なんて思えて街歩きが楽しくなるかもしれません。


買って良かった本 大江健三郎『同時代ゲーム』

さて、最後にご紹介したいのが大江健三郎氏の『同時代ゲーム』です。

『同時代ゲーム』は1979年、新潮社から出版された書簡形式の長編小説。「妹よ」で始まり、以後幾度となくその呼びかけが繰り返される、熱量の高い小説です。
それまで彼の小説はいくつか知っていましたが、私が『同時代ゲーム』に興味を持ったのは筒井康隆氏の『読書の極意と掟』(2018年、講談社)を読んだためでした。

この『同時代ゲーム』という小説は、その奇抜さからか評価が分かれ酷評も多かったと言われています。大江健三郎氏本人も、後に『私という小説家の作り方』(1998年、新潮社)の中で「あの小説を評価してくれる批評家が少なくて当然だったろう」としつつ、批評家の小林秀雄氏からの次のようなエピソードを紹介しています。

軒並み低い評価への、さらなる総評とでもいうか、こういう批評の声が思い出される。…(中略)…批評家小林秀雄によって直接声をかけられたのだ。決してまったく好意的でなかったとも思わないが 、—あのような小説が批評家に受け入れられると思っているのか?それならきみはノンキ坊主だ、おれは二ページでやめたよ!読者からも、よく迎えられた、という印象はなかった。私としては、これが自分にとってもっとも重要な小説だと、防戦これつとめたのであったが……

大江健三郎『私という小説家の作り方』(2001年、新潮文庫、p.95-96)

このように随分厳しい言われようなのですが…これに対し、『同時代ゲーム』を当初から激賞していたのが筒井康隆氏。ちょっと長いですが、この小説のあらすじも含め、彼の評価を引用してみましょう。

 『同時代ゲーム』は作者の故郷である四国の谷間の村の歴史を神話化して、生地を聖地にまで高めた傑作だった。「妹よ」で書き出されるその近代史は文化人類学のトリックスターや両性具有や伝承などの理論を援用した奇想天外の物語である。ぼくが魅せられたのは何といっても登場する多彩なキャラクターにあった。神主をする傍ら村の歴史や神話を研究している主人公の父。アメリカ大統領とも接触していた主人公の妹。脱藩して川を遡行し、谷間に村=国家=小宇宙を作った創建者たちのリーダーである壊す人。天体力学のの科学者であるアポ爺、ペリ爺という愉快な双生児。冬眠機械を作ろうとする鉄工所の主人で施盤工のダライ盤。壊す人の妻で百歳にもなり、復古運動をし、権力と性的魅力を伴って巨大化するオシコメ。壊す人の対極にある路上の莫迦または気ちがいとしての、尻から眼が覗きペニスの先に藁をくくりつけたシリメ。藩権力に対して一揆を企て、神格化されてメイスケサンと呼ばれることになる亀井銘介。大日本帝国の権力機構に対して奇想天外な計画を立て、のちに牛鬼と呼ばれて祭の習俗にもなる政治思想家の原重治。木から降りん人と呼ばれている、樹木から樹木へとつたわって歩き絶対に地上には降りないという老人。この老人を虐殺したのは村に侵入してきた大日本帝国軍隊だったのだが、その指揮官である無名大尉。この中隊長は村との五十日戦争でさんざんな目に遭う。
 魅力的なキャラを列挙しているだけで終りそうだが、これ以後のとんでもない人物の続出、さらには痛快無比な五十日戦争をはじめとする波乱万丈の展開には、作者の爆発的な想像力にただ感服するばかりである。そして村=国家=小宇宙という視点からは、琉球王国であった沖縄への大江さんのこだわりも理解できるのだ。この小説を「二頁で読むのをやめた」と言った小林秀雄の読解力の不足、つまり濫觴らんしょうからいかに凄い話になるかを予測できない能力の不足ということになるが、これにはただただ呆れるしかない。

筒井康隆『読書の極意と掟』(2018年、講談社、p.194-196)

最後の小林秀雄批判はなかなか痛烈でなんだか苦笑してしまいますね。

それはさておき、当の大江健三郎氏はやはりこうした評価について忸怩たる思いもあったのでしょう。
「この小説の全体を異化して、もうひとつの小説を書かねばなるまい」という思いに責め立てられ(大江健三郎、2001)、『M/Tと森のフシギの物語』を書き上げました。そしてこれが後にノーベル文学賞受賞の対象作品にもなるのです。
(なお、「異化」とはロシア・フォルマリズムの芸術理論で、ものを自動化の状態から引き出す手法なのだそう…中々難しいですね)

2019年に講談社から刊行された『大江健三郎全小説〈8〉』には「M /Tと森のフシギの物語」と「同時代ゲーム」が収録されておりますが、そちらにはやはり、というか、筒井康隆氏が解説を寄せていて…。

皆さんご存知のことと思いますが、大江氏は今年(2023年)の3月に逝去されました。

私がそのニュースを耳にしたのはちょうど彼の小説を読んでいる最中のことでしたので、とても寂しく感じ…。どこかで彼のことを書けたらと思っておりましたので、なんとか今年中にここでお話しできて少しほっとしています。
まだまだ彼の作品は未読のものも多いので、来年も少しずつ読んでいけたらと思います。

思いのほか長くなってしまいましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。
どうぞ暖かくして新年をお迎えください。




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