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フロイト・アドラー・マズロー・ロジャーズ・セリグマン【心理学まとめ】人が幸せであるために。

みなさんいかがお過ごしですか。トビタケです。

心理学は奥が深いです。三つの流れがあって、大きくは精神分析・認知行動・人間性心理学という系譜があります。これはそれぞれ合流したり、折衷的に使われる考えになっていますが、今回は基本的な考え方をご紹介したいと思います。フロイトの精神分析、ロジャーズ(来談者中心療法)とマズローの人間性心理学、アドラーの個人心理学、セリグマン・チクセントミハイのポジティブ心理学から、人が幸せになるための人間観を探っていきたいと思います。


※内容のまとめです。

自分のホンネを感じて、やりたいことをやりましょう!というのがメインのメッセージです。
ただ、現実的にやりたいことだけをやるってこともできないので、状況設定を言語化しながら適応的に自己実現する方法を探っていきましょう!というのが2つ目のメッセージ。

そして、そのためには現実で色々と体験を重ねていきながら(具体)、自己分析をしていく(抽象)必要があって、その具体と抽象の行き来を繰り返すことで、本当にやりたいことを社会の中でやれるようになっていけるはず。というお話です!

偉大な心理学者の言葉を論拠として挙げています。


本編

基本的な考え方として持っておきたいのが、
時間・発達的な観点(根本の仕組み)
空間・外界的な観点(根本の仕組み)
どんな状態を良しとするか(理想)
という三つの観点です。

まず、フロイト

①生のエネルギーが人生の節目でしっかりと満たされてきたかどうかで、人が健全に発達しているかを判断しました。例えば、トイレを一人で済ませられるようになる時期(各通過点で過不足なく欲求を満たす)など、複数の通過点を経て、人は成長すると考えました。

②自分を支配するのは、本能的欲求(イド・エス)であり、これを快楽原則と呼びました。そして後天的に身に着けられるのが自我(その都度「現実原則」に適応できるようにエスを調節する)と超自我(自我の判断が必要ないように無意識化された処理装置)としました。
ここで、学習されるのが環境に対する反応(防衛)の仕方なんですが、高校の社会で習う有名な「防衛機制」(例えば抑圧や抑制、昇華)などがおこなわれるのだとしました。

無意識を意識化すること、つまり無意識のうちに「抑圧」してしまっている自分の欲求に気づいたり、自分の内的な過程についての気づきを得ることで社会の中にいる自分の状況が改善されると考えました。


次に、ロジャーズ

人は自己実現への傾向をもっていると言いました。つまり、よくなる力・知恵が本来備わっていて、一個体・生きものとしてその方向へ向かっていると考えました。ここには、エド(破壊的な衝動などを含む欲動)や自我・超自我などの「自分」を分割したような概念はなく、一個体・生きものとして適応的に自己実現(自然と生来の性質を発現)をしていく全体としての欲求を持っているのだとしました。

②③自分が自分をどう捉えているかを重視しました。登場人物は三人です。
・思い込みの自分(事実と自己概念が一致していない)
・健全な自分(事実と自己概念が一致している=自己一致)
・あるがまま(事実)の自分
ロジャーズは、生まれたそのままの自分こそが素晴らしいんだという方針が強かった。つまり、「自分が自分をどう捉えているか=自己概念」が、事実(自分が本来持っている性質や客観的に起こった出来事)とイコールであると認識することが、自己実現につながるのだと考えました。精神分析の「エド=欲動」は破壊的なものも含みますが、ロジャーズの「自己実現へ向かう人間の力・欲求」についてはおそらく自我や超自我の調整が効いた結果、自分全体として適応的に社会の中で自然と力を発揮できることを想定しています。しかし、そこには自己一致(あるがままの自分を自己概念として捉える)ことが必要となるとしました。


次に、マズローはロジャーズと同じように人間性心理学で、

人の可能性が実現されることが、自己実現であると考えました。そして、本性に逆らえば病気になると言いました。本性とは、段階的に現れてくる欲求であり、生理的な欲求、安全の欲求、つながりの欲求、認められる欲求、そして自己実現の欲求です。これが毎日サイクルを回し充足されることが健全であると言います。連続的な成長の動機が人間にはあると考えました。

②③マズローはこう言っています。わたくしの研究してきた普通の至高経験では、すべて時間や空間について非常に著しい混乱がみられる。これらの瞬間には、人は主観的に時間や空間の外におかれているというのが正しいであろう。創作に熱中しているとき、詩人や画家は、かれの周囲を忘れ、時間の経過するのも覚えていない。かれがめざめたとき、どれほどの時間が経ったかを判断することは不可能である。かれは、まるでまどろみから脱け出したところでもあるかのように、どこにいるかを見出すために頭を振らねばならないこともしばしばである。(pp.101-122『完全なる人間』アブラハム・H・マズロー)というのは、チクセントミハイの言う「フロー体験」そのものです。その人の本性が最大限に発揮される瞬間、至高経験というものを自己実現の軸に置きました。自分と世界が一体になるような感覚です。


次に、アドラー

①人生を通して原因に生きるのではなく、目的に生きるべきだと言いました。というのも、アドラーはフロイトの心理学が原因論で考えることを批判的に捉えました。なぜなら、過去にこんなことがあったから・今自分が置かれているのはこんな状況/環境のせいだから・あの人の責任だから、とさまざまな口実をもうけることは生産的ではないからです。私たちは、自分自身のライフスタイル(人生のあり方)をこの一瞬一瞬で決定しているのだとします。その決定の責任は自分自身にあるものとします。同時に、ライフスタイルは先天的に与えられたものではないので、いつでも変える決心を下すことができるということです。今後の人生をどう生きるか考えるうえで、すべての原因は影響しないとします。環境からの刺激への単なる自動的反応で人生を送ることよりも、自己決定的な人生を重視します。

②③自分との関係性において、良い点も欠点も含めたあるがままの自分を「受容」することを重視します。その上で、他者を無条件で「信頼」し、さらに他者に対して・共同体に対して「貢献」をしていくことを理想とします。自分には悪い部分もあるが、能力もあるのだとあるがままを受け止めることによって、環境に働きかけていくこともできる。その際、他者の課題(自分ではコントロールできない範囲)ではなく、みずからの課題に目を向けることが重要であるとします。「自分の居場所がある」と感じ、社会と調和して暮らせるのが理想の状態です。


最後に、マーティン・セリグマンのポジティブ心理学です。

①②③病的な精神疾患を取り扱っていた従来の心理学から、プラスの状態(より幸福な人生)を志向する心理学として出てきました。科学的な検証から、人間のポジティブな感情や人生のプラスの要素に目を向け、どのような要素が人間の幸福に寄与するのかを研究しています。幸福であることは、人間の活動において最初に目指されるべきものであり、そこから様々な課題に向き合うことで上手くいくとします。ポジティブな感情・エンゲージメント(対象に集中的に取り組むこと)・関係性や繋がり・意味や意義を感じること・達成感を得ること。これらの要素を重要であるとし、絶望から立ち上がるための心の柔軟性(レジリエンス)と、みずからの自然と湧き上がってくる「とっておきの強み」としての特性を育てていくこと。これを人生の方針とします。チクセントミハイのフロー状態は、最大限に強みが出てきている状態(自然と力を発揮できている状態)であると考えられます。


人の心を捉える上で、フロイトの考えた精神の構造というのは、より分析的に細かく考察のできるものです。社会と自分との関係性を考えるうえで、適応的な生活を志す上で参考になるものだと思います。

ロジャーズ・マズロー・アドラー・セリグマン・チクセントミハイは、適応的自己実現をめざす上で、思考の土台とすべき考え方です。人間を全体として捉えているという特徴があるように思います。


わたしたちが幸せに生きるために

エド・自我・超自我のシステムは、全体としてまるっとロジャーズの自己(self)という概念になります。

現実原則が前提としてあり、そこに投げ出された存在が私たちです。私たちは、「先天的な有機体」として、本能的欲求を持ちながら生まれてきているので、快楽原則のまま生きていたい。しかしながら、外界の環境に適応的に生きることが必要となります。みずからの欲求のみを追求することはできません。なので、現実世界との折り合いをつけながら、フロイトやマズローが考えた段階的な欲求を通過していくのが人間です。

その諸課題を通過していきながら、ロジャーズやマズローの考えでは、人間は自己実現へと向かっていきます。

また、人生において必要な態度は、アドラーによると「ライフスタイル」をみずから選んでいくことです。自己決定を繰り返していくのが人間だとされます。

セリグマンやチクセントミハイ、他にもさまざまな本が「自己実現」を具体的に知るためのノウハウを教えてくれています。

今まで一般的な心理学といわれるものの見地としては、人間は生体の中で情報処理をしているということです。目・耳・皮膚・鼻・口などの器官から、外界の情報を取り込んで(知覚過程)、脳からのトップダウン的な動き―高度な情報処理を行ないます(認知過程)。その際、脳の各部位で役割があり、神経細胞のネットワークで情報伝達が行なわれます。記憶もしまい込まれ、再生されて感情も生じます。そして、自分という自己意識を持ちながら世界を動き回り、私たちは主観的な体験を感覚質として得ているわけです。

その質的な話をマズローやセリグマンはしていて、自己実現や幸福といった概念として取り扱っています。

結論、今まで意識化されていなかった自分の内的過程、深い欲求に気づきながらも、外界に適応しながら生活していく努力をしていく。そのための学びを一生を通して得ていく必要があると考えます。


アクションプラン

・レギュラーの幸福感を得る。

樺沢紫苑さんは健康で穏やかな気持ちを感じられる状態を、セロトニン的幸福と呼んでいます。精神衛生がその閾値に達していないとき、身体は生理学上の病的な状態になっています。甚だしい抑うつ気分などを感じるのであれば病院に行くべきです。そして、孤独ではない状態をオキシトシン的幸福としており、これはセリグマンの「関係性」の項目に当たります。さらに、日々の生活の中で、さまざまな課題があると思います。夕食を作らなければいけない、タスクをこなさなければならない。外をランニングしたい、旅行に行きたいなど。このようなものを行ない、小さな達成感や楽しさを積み上げていくことをドーパミン的幸福と呼んでいます。これらに対して積極的な態度を保つことで、特に深く考えずとも健全な精神衛生を保っていき、日々の幸せを得ていくことができます。

・深いところで幸福感を得る。

より深い喜びを得ていくためには、「気づき」が必要となります。なので、言語的な作業をしなければなりません。今からお話しすることは、さきほどのドーパミン的幸福の中に入るかもしれませんが、質的には、「自己実現」や「幸福(一般的にたどり着くのが難しいイメージを持たれる言葉)」といった響きに一番近いものになると思います。

まず、課題としてあるのは何かというと、自分個人が生きていくにあたって社会と折り合いをつけていかなければならないという部分です。フロイトの精神分析において自我と超自我で対応しなければいけなかったものが、これです。これが自己実現のボトルネックとなります。

これを解決するために、「幸福の状況設定」という手段があります。これはなにかというと、自分を洞察した上で、外部状況も含めたみずからの幸福体験のようすを記述するアプローチです。単純に、前述のセロトニン的幸福で言うならば、・私は朝起きて散歩に出かけているときに朗らかな気分に目を向けることができる、と記述することができます。オキシトシン的幸福で言うならば、・休日に友人と隣町へとくり出すのが楽しい、と記述することができます。ドーパミン的幸福で言うならば、仕事上で今日中に対応しなければいけなかった案件をこなせてホッとした、と記述することができます。

これらを見ていただくと、「状況」に焦点を当てているのが分かると思います。つまり、外部の状況、課題について目を伏せている状態でなく、そこに適応・昇華(現実原則にしたがう形で快楽原則を解放すること)した状態でみずからの「幸福」を定義していくことができるんです。

そして、「深いところで幸福感を得る」とは、より複雑で、捉えるのが難しい感情を得ることを指します。人間の生物的な都合上、さきほどご紹介したようなセロトニン的幸福・オキシトシン的幸福・ドーパミン的幸福、あるいはセリグマンの「ポジティブな感情・エンゲージメント(対象に集中的に取り組むもの)・関係性や繋がり・達成感を得ること」を通じた幸福は得ることができます。

しかし、人はそれぞれ異なる性質を持ち、過去に異なる経験をしてきていることから、その欲する体験は異なってきます。ここが、マズローの欲求段階説においては、欠乏欲求ではなく「成長欲求」と呼ばれる部分です。セリグマンが幸福の構成要素だとする「意味や意義」を感じることも、ここに深く関連してきます。みずからの自己実現の状況設定を考えるために、私が提案したいアプローチは自己分析です。月並みですが、自己理解が最重要となります。フロイトの言う「無意識の意識化」をするべきです。

図1:自分史のテンプレート

まずは自分史を作ることが効果的です。自分自身を知ることができます。意識に上ってきていなかった感情やホンネも、書き出していくことで気づくことができます。

次に、自分史とこれからのことを照らし合わせながら、みずからの内発的動機として、自然と力を発揮でき心惹かれるもの(好きなもの/動詞―〇〇すること―・強み・夢中になれることなど)を見つけること。これは、例えば『ストレングス・ファインダー』やその他の自己分析ツールを活用したり、八木仁平さんの『やりたいことの見つけ方』(好きなこと・得意なこと・大事なことを自由回答の質問で特定するアプローチ)などを参考にするといいかもしれません。

趣味、推し、好きな場所、子供の頃ハマっていたもの、変わらずやり続けていること、作品、長い間取り組めたこと、体を動かすことで好きなもの、頭を働かすことで好きなもの、日々の楽しみ、自分ひとりだけの時間でよくしていること、何か活動をしているのに自分が回復するような感覚になるもの、珍しく興味を持てた分野、学ぶのが楽しい分野、毎日やらないといけない作業の中でこれだけは楽しみにしているという動作、やらなくてもいいけどやってしまうこと、気がつくと勝手にやってしまっていること、自然と上手にできること、特定の人と何かをしているときに充実した感覚になれる、などなど。

セリグマンの言うとっておきの強みの、もっと具体的な状況設定を考えていくことで私たちはより自己実現的な幸福を得ていくことができます。

社会に適応した「自己実現」といえば、その最たるものは「仕事」だと思います。社会に対して価値を提供する中で自分の強みを生かす。これ以上の自己実現はないと思われる方が多いでしょう。榎本英剛さんの『本当の仕事』という本の中で、精神的な豊かさは、存在意義を実感できているかどうかで決まると書かれています。そして、その活動や行為が仕事かどうかを決める基準は、収入の有無ではなく、それがその人の存在意義に沿ったものであるかどうかというところにある。さらに、自分の仕事を、そしてもっと言えば自分そのものを「存在意義」によって定義している限り、外的な変化によってそれが突然奪われることはありません、とのことです。

この存在意義とは、私たちの生まれ持った個性で感じる、純粋な好奇心や自然とやっていられる特性、内側から湧いてくる意欲のことです。

「純粋意欲」を追え、とも書いてありました。純粋意欲とは、なにか別の目的を達成するための手段としてそれをやろうとするのではなく、それをやること自体がすでに目的になっているような意欲のことだと言います。なぜそれをやりたいのかと言われても分からず、ただ自然とそこに関心が向くということです。

心の湧き水を辿れとも書いてありました。日常的に感じている小さな「これがやりたい」という気持ちを現実原則の中で叶えていき、地下水として流れている、ひとつの流れとしての純粋意欲をたどっていけと言います。そうして流れをつたっていくとその先には「存在意義」という源流があり、その源流が意味するものは「自分のもって生まれた可能性」であって、力であり根源的欲求である、ということです。存在意義というのは生まれてきた目的であり、生きる理由です。人生の目的は生きている一瞬一瞬であり、その時々に体感として意義を感じながら生きていきたい、と私は思っています。


結論、幸福の状況設定として、・私は家で得意なタイピングを活かしながらノートPCで文章を書いているのが好きだ、というものであったり、・私は男の子の家庭教師で感情への対応もしながら教えるのが得意だ、というものであったり、・座ることのできないケガをして数ヶ月経って治った結果、座れることに幸福感を覚える、というものであったり、(私の例です)

言語化することで適応的自己実現が果たされる項目が把握できます。このとき、フロイトが問題への対処のために「エド」「自我」「超自我」を用意した理由である、現実原則と快楽原則の間の葛藤、という課題にも対応できます。外界の状況設定も含めて、自分が自己実現できている状態を定義するということです。今までの経験も加味しながら、社会の困難さを状況設定に織り込んでおきます。

仕事が辛いのであれば、どのような工夫をすれば仕事の中の嫌いな部分よりも好きな部分を増やせるか、あるいは他のどのような職種・職場であれば自分は自分の本来の性質を活かせるのか考えます。それをまるっと状況設定に入れ込んで、自分が適応し集中できる状態を想定することで、適応的自己実現(社会に適応しながら自然と内側から湧いてくる意欲を満たせる状態)が果たせます。

人間付き合いが辛いのであれば、どのような工夫をしたり、どのような人間関係であればあるがままの自分を抑圧せず、ロジャーズの言う自己一致の状態であれるのか。それを考えます。状況設定の記述です。

また、現実原則に沿った内発的動機に行き着くには、試行回数が必要となります。具体と抽象の行き来が必要です。自分史を振り返り、とっておきの強みを知った後、※まずは現実原則に飛び込んで「適応的な自己実現」ができるかどうか試す。そして課題が見えるようであれば、自己分析に立ち返る。具体(現実)と抽象(理想)の行き来をすることで、適切な状況設定が見えてきます。

最後になりますが、自分の感情や感覚がどうしてこのようになっているかわからないときがあると思います。自然と涙が出てきたり、悲しい気持ちになったり、些細なことで大きく救われることがあったり。これは遺伝的な性質と身体・心の記憶によるものですが、私たちの精神的な豊かさは複雑な感性にあると考えています。科学でよく説明はできないものの、敏感に心の機微というものは働きます。単純に言葉では言い表せないものが多くあります。そこに、人間の特異性があり、価値・意味があるのではないかと思っています。絶望から立ち直る人間の精神とその体験には深い意義があります。

偉大な心理学者たちの肩に乗り、みずからの心の声を聞いて、現実原則に適応した幸福な人生を送っていきましょう。指針として持っておくべき最重要事項は、自然と内側から感じるものを信じることです。


最後まで読んでいただきありがとうございます!
すごく長かったと思います。本当にありがとうございます。🙇‍♂️

これからもトビタケの発信をどうぞよろしくお願いします!
どうか感想もよろしくお願いします❣
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