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記事一覧
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む17
前回の記事の続きです。この本はけっして読みやすい本ではありません。
28 空中楼閣 戦前の生活綴方教育運動に参加した教師たちが、東北地方を中心に検挙され、有罪判決を受けたり、不起訴になったとしても教育行政的に不利益な処分をさまざまにうけたりしています。この事件の期間中には、少なくない教師が警察の監房で亡くなったり、拘留中に病状が悪化して亡くなったりしています。村山俊太郎もこのときに得た病気のせい
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む16
前回の記事の続きです。
23 執筆活動と文集作成 国分は自分の書いた雑誌の原稿や単行本の要約と、その公表の意図についてまとめる作業をさせられることになります。そこには国分が児童の作品をのせた文集も含まれています。それらには「証第○○号」と赤い紙が貼られていました。
文集には砂田が引いたとみられる赤線がありました。国分が文集に児童全員のものを載せたいがために、ある児童のこれぞという作品でないも
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む14
前回の記事の続きです。
19『生活学校』編集グループ 20『生活学校』の罪状
国分は、雑誌・生活学校を購読していました。自身が購読するだけでなく、自分がつとめる学校の教師や近村の教師仲間にも読者になってもらっていました。雑誌購読のきっかけは編集を担当する戸塚廉からの購読依頼の手紙でした。版元は扶桑閣という出版社です。雑誌を出し始めたのは国分の尊敬する池袋・児童の村小学校の野村芳兵衛でした。
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む12
前回の記事の続きです。
15 北日本国語教育連盟 次に砂田は1935年の1月に創立された「北日本国語教育連盟」について取り調べていきます。今回も砂田は、既定路線に沿うように取り調べを行い、事実をでっちあげていきます。
「北方性教育文化運動を主唱した北日本国語教育連盟の活動分子たちは、プロレタリアートの独裁によって世界共産主義社会の実現を目ざすコミンテルン(国際共産党)の支部であるところの日本共
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む⑧
前回の記事に続きます。10章、11章は当時の文学論が書かれている部分なので、読み解くのは難しいですが、本書の核心的な部分なので丁寧に読んでいく必要があります。日本史の教科書や、社会科学関係の辞典を手元において読みました。
10、11プロレタリア・レアリズム(一)(二)
特高警察の砂田は、国分らが「プロレタリアのレアリズムを生活綴方の考え方に取り入れた」と、今回の取り調べでもあくまで既定路線を推
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む⑦
上記、前回記事の続きです。
7、8 このひとの素性(一)(二) 国分は自分を取り調べた砂田周蔵の生い立ちや思想の形成について、さまざまな資料をあたって調べ、記述しています。
砂田は、1907年に山形県西村山郡谷地町に生まれています。国分は北村山郡東根町に生まれています。地図で見ると、両町(今の東根市、河北町)は隣接しています。砂田は国分の4歳年上です。
砂田は尋常小学校または高等小学校
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む⑥
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む①
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む②
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む③
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む④
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む⑤
以上のように読書ノートをつけてきましたが、本書第六章、第七章「『東北農村について』(一)(二)」は、とりわけ重要に感じます。それは「なぜ東北地方の教師たちが多く検挙されたのか」という問い
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む⑤
前回の記事の続きです。
4 交友関係 国分の取り調べは続きます。次は、交友関係を砂田に聞かれます。友人である村山俊太郎のことだけでなく、斎藤秀一のことを聞かれます。国分は雑誌『生活学校』誌上で、斎藤の名前は知っていましたが、直接の交友関係はありませんでした。
この斎藤を調べ上げたのも砂田でした。砂田は斎藤が寄稿していた雑誌『生活学校』を通して、国分らが関わる「北方性生活運動」を知ることになり
国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む④
前回の記事の続きです。
3 最初の訊問調書
国分は2回目の「手記」に、生い立ちと思想傾向の推移を書き終えました。それをもとにした砂田の取り調べは本格的なものになります。しかしその取り調べは、あらかじめ敷いてあるレールの上を、思惑通りにつっぱしらせるものであることを、はやくも感じさせるものでした。
国分は、
・反国家的な思想などは持ち合わせていなかったこと
・「国体の変革」や「私有財産制度の