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国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む12

前回の記事の続きです。

15 北日本国語教育連盟

 次に砂田は1935年の1月に創立された「北日本国語教育連盟」について取り調べていきます。今回も砂田は、既定路線に沿うように取り調べを行い、事実をでっちあげていきます。

「北方性教育文化運動を主唱した北日本国語教育連盟の活動分子たちは、プロレタリアートの独裁によって世界共産主義社会の実現を目ざすコミンテルン(国際共産党)の支部であるところの日本共産党の戦略、なかんずく『三二年テーゼ』の方針を支持し、労働者階級の団結と闘争、その同盟軍であるべき農民との協同によって、金融資本家と結びついた天皇制地方勢力とを打倒し、ブルジョア民主主義革命を達成し、さらに社会主義革命への強行的転化をはかることを信条としていた」

と、このように断定するのでした。砂田は北日本国語教育連盟が結成されるまでのいきさつなどを訊きつつ、北方性教育運動がいいだした「生活意欲」「生活知性」についても取り調べを始めます。

16 「生活意欲」「生活知性」

 砂田は、北日本教育連盟の言い出した「生活意欲」「生活知性」ということばを以下ように定義しようとします。

「『生活意欲』という合いことばで、子どもたちを、資本主義経済のもとにかこいこまれた半封建的な東北型農業地帯の経済的矛盾、社会的矛盾にめざめるように導き、そこから脱出したいとの強烈な欲求をたかぶらせようとした。」

「『生活知性』という合いことばで、マルクス主義的な観点からする社会発展の法則への自覚をそそのかし、民主主義革命、つづいては社会主義革命のための実践と闘争における主動者たる労働者階級の同盟軍としての農民の自覚的な意識を知的に培養しようとした。」

 さらに連盟が「協働自治」という合いことばによりながら、集団的行動や団結の意義を分からせようとしたこと、綴方教育にプロレタリア・レアリズムの方法を適用し、唯物弁証法的な考え方を次第につちかっていくよう努めたこと、さらに生活綴方によるだけでは不可能なことを知ってより科学的な「生活主義教育」運動への接近をはかったこと・・・こういった方針をもつものとして断定しました。なにがなんでも治安維持法に違反するようにもっていく砂田の方法がはっきりとしてきます。

 今回も連盟がそういったはっきりとした考えをもっていなかったと国分が主張しても、砂田に受けれられることはありませんでした。

 ここで、『生活綴方事典』(日本作文の会編、1958年、百合出版)から、「生活知性」「生活意欲」の項を引いてみます。

生活意欲 
【意義】1936(昭和10年)ごろから、北方性教育運動のなかで用いられ、やがて一般的につかわれるようになったコトバ。「生活意欲性」などともいう。現実の生活のきびしさや圧迫にうちひしがれないで、あくまでも生きぬいていこうとする、生活態度、欲求というほどの意。これは社会的には、上からのいいなりになる封建的な服従と忍従に対する抵抗の精神をもふくんでいた。しかし実際には、子どもの生物的な野性的な生活的欲求に重きをおく自然発生的な面を多分にもっていたといわなければならない。そして生活綴方の仕事では、これを生活に対する積極的な向上の意志・欲求・態度を総合的にふくんだものに高めようと、たえず意図していた。そのためには、生活意欲をもつ作品を与えること、生活意欲をもって作品を書くこと、作品を通して、生活意欲を話し合うことなどが大切なものとされた。(滑川道夫)

『生活綴方事典』96ページ

生活知性
【意義】1936(昭和10年)ごろから、北方性教育運動のなかで用いられ、のちに一般的に通用するようになった特殊用語。東北のきびしい現実のなかで、その苦しさにくじかれることのない生活意欲を育てようと努力した教師たちは、のちに、このような自然発生的な意欲のみにたよっていては、現実生活を変革する方向を発見させることはできないと考えるようになった。それで強じんな生活意欲とともに、知性が必要なのだとし、それを「生活知性」とよびならわしたのである。生活とはなれない知性のいいである。つまり正しい知性は、本来ならば、学校教育全体においてやしなわれるべきはずなのに、そのころの学校教育全体が、生活からはなれた死んだ知識、天皇制教育の理念によごされた知識であったので、これにたよることはできない、ここから生活とはなれない科学的知識を子どもたちのものにしようとする念願が、「生活知性」という合ことばをつくったのである。(国分一太郎)

『生活綴方事典』96ページ

 現実の生活のきびしさや圧迫にうちひしがれないで、あくまでも生きぬいていこうとする生活態度や欲求が「生活意欲」であり、現実生活を変革する方向を発見させる知性・生活とはなれない科学的知識を「生活知性」と呼ぶ、ということが戦後発刊の生活綴方事典には書かれています。「生活知性」の項の執筆者は国分一太郎です。

検挙前の国分は、池袋にあった児童の村小学校の野村芳兵衛に心酔しており、

「生活に役だつような芸術・文学や科学からも学ばせなければならない。なまの生活から直接に学ぶだけではなく、文化から間接に学んで、なまの生活・現実に帰っていくようにもさせなければならない。この文化から間接に学ぶこと、しかも現実生活に役だつものを学ぶことを『生活の知性を育てる』と考えていたのだった。」
(147ページ)
と述べています。それは弁証法的唯物論だとか唯物史観だとかによる知識の教育だなどとは、けっして考えていなかったことを砂田に主張します。

 しかし砂田は受け入れません。

「考えちがいをしては困るよ、君。われわれは北日本国語教育連盟という団体が、こう考え、こう行動したなどということをとがめているのではないんだよ。そういう団体をつくって運動をした、何人かの首謀者たちのことを法律的にとがめなければならないとしているんだよ。だから、そのなかには、当然村山俊太郎もはいる。村山君はそういう仲間のひとりとして、この運動を組織したと、自分でもちゃんと陳述しているんだよ。君。いまさら、組織だ、役員だのと、こんなことを、しちめんどくさくいっても、どうなるものでもない(151ページ)

 こうして「生活意欲」「生活知性」をめぐる北方性教育運動の問題は、特高警察・砂田がすでに作成済みの村山俊太郎訊問調書の線にそって、プロレタリア・レアリズムの方法にもとづく非常に奥深い意識的工作と、調書に記載されていくのでした。

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