国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む⑧
前回の記事に続きます。10章、11章は当時の文学論が書かれている部分なので、読み解くのは難しいですが、本書の核心的な部分なので丁寧に読んでいく必要があります。日本史の教科書や、社会科学関係の辞典を手元において読みました。
10、11プロレタリア・レアリズム(一)(二)
特高警察の砂田は、国分らが「プロレタリアのレアリズムを生活綴方の考え方に取り入れた」と、今回の取り調べでもあくまで既定路線を推し進めようとします。
国分は当時の小説、文壇の潮流、考え方などを実際の小説を読んだり、雑誌を読んだりして、「文学好きの一面から」学んでいました。砂田は東京の目黒にある国分のアパートや山形県の東根町にある実家から、当時国分が読んでいた小説や雑誌を大量に押収していました。それらを取り調べ室に持ち込み、国分に手記を書くよう示します。
国分は丸一日かけて、当時のプロレタリア文学の流れについて書き上げます。しかし、今回も書き上げた手記にたいして砂田は難癖をつけてきます。砂田の描くような書き方ではなかったからです。
書物のなかでも砂田は、蔵原惟人(くらはら・これひと)の『芸術論』を積み重ねた本のなかから抜き出し、国分が赤線を引いて読んでいた箇所を読み上げさせ、その記述と生活綴方の考え方を結びつけようとたくらみます。
国分は自分の引いた赤線のあとをたどって、プロレタリア・レアリズムについてその文学上の立場を砂田に説明します。
「わが国には、いかなる労働者、農民、小市民あるいはその他の人びとがいて、いかなる生活をし、それはいかなる感情と思想と意思をもっているか、これを個別的、具体的に知り、また知らせるために、現実を正確に客観的に、ここでいう叙事詩的展開で描きだす芸術のことであります。つまり現代生活を記録する文学、そのときその記録が真実を描いていること、第二に描写が正確であること。これがこんにち必要なプロレタリア・レアリズムだというのであります。」
国分が、ここに線を引いたも納得できる記述です。生活綴方の本質は「レアリズム」にあると言われます。現代の作文教育の実践者が読んでも線を引くかもしれない箇所です。生活綴方の本質が「レアリズム」にあるということは、戦後に小川太郎が理論づけたことですが、それについては、以下の記事を参照してください。
「プロレタリア・レアリズムはそれまでのリアリズムとどこが違うのか」と砂田に問われた国分は蔵原の『芸術論』のページをめくりながら答えます。
「さっきあげた論文にもかいてあるように、それは、明確な階級的観点を獲得し、戦闘的プロレタリアの立場に立ち、プロレタリア芸術の眼をもって、この世界を描きます。つまり、その眼によって主題を決定し、現実のなかからプロレタリア解放に必然的なものをとりあげるのであります。」
そして国分は砂田とのやりとりの中で「プロレタリア・レアリズムは唯物弁証法的創作方法といってよいと思います」と回答します。その国分の発言を根拠に、砂田は「プロレタリアのレアリズムを生活綴方の考え方に取り入れた」と強引に結論づけようとします。国分はそれに反論しますが、砂田はまたも国分のほおを3回殴打します。国分はひるみません。
「わたくしは、ひるまなかった。ひるまなかったというより、心のなかにかつて一度も、そうとは考えていなかったことを、そう考えていたのだというのにしたがうことはできなかったのだ。教師の良心をいつわってはならない!」(100頁)
国分は文学好きとしてプロレタリア文学を「よろこんで鑑賞し」ていましたが、その理論を子どもたちに書きつづらせる綴方作品にもちこむようなことはしなかったと強く主張します。
「わたしくしたちは、レアリズムを大事にしました。しかし、それはプロレタリア・レアリズムなどという特定のものではありません。レアリズムが本来もっているように、先入観・固定観念・既成の道徳観などにはとらわれないで、事実を事実として、そのままにとらえるという考えかたによったのであります。(中略)それは、ひとくちにいえばものごとをありのままに見つめて、そこから、よろこびやたのしみ、かなしみやくやしさ、怒りや要求を、子どもなりに、そのまま吐露させるようにしようと考えたものです。プロレタリア階級解放の思想とか、唯物弁証法の思想とかを注入して、それをもとに考えるようにさせようなどとは、けっして思いませんでした。」(100ー101頁)
国分は自分の主張を、雑誌『北方教育』に掲載された佐々木昂の『レアリズム綴方教育論』を引き合いに出し、根拠づけようとします。が、つぎに砂田は教師と子どもの「人格的接触」を議論にもちこみます。砂田はこう問い詰めます。
「たといプロレタリア・レアリズムの書きかたで、というように教えなくても、教師の胸のなかにある思想は、ひとりでに子どもたちを感化していくことになる、北方性生活主義教育運動へのプロレタリア・レアリズムのとりいれは、このような姿を、当然とることになった。こうではないのか?」
砂田は村山俊太郎の訊問調書作成の際も、このような「強引なつめ」をしていったと思われます。国分自身がこう記述しています。
「このようなほしいままの規定・判断は、山形県警察部が調べた結果として、その骨子をかいた通報が、東北六県はもちろん北海道その他にも送られたので、その他の被験者にも適用されることとなったのだった。」(101頁)