国分一太郎『小学教師たちの有罪』を読む16
前回の記事の続きです。
23 執筆活動と文集作成
国分は自分の書いた雑誌の原稿や単行本の要約と、その公表の意図についてまとめる作業をさせられることになります。そこには国分が児童の作品をのせた文集も含まれています。それらには「証第○○号」と赤い紙が貼られていました。
文集には砂田が引いたとみられる赤線がありました。国分が文集に児童全員のものを載せたいがために、ある児童のこれぞという作品でないものをしかたなく掲載した箇所にまで赤線が引かれ、「反封建」と朱書きされていました。
そういった文集や雑誌原稿から国分が執筆した部分をいちいち切り離し、要約し、砂田がいう通りの「意図」を付け加えさせられました。その「意図」とは以下のようなものです。
「読者である教員大衆に、日本の農業と農村社会の資本主義社会における位置を考えさせることを意図し、また、その社会的矛盾から脱却することを意欲するべく示唆するのにつとめたのでありました。」
「貧窮農村に育つみじめな子どもたちが、その悲惨な生活現実を見つめ、そこからぬけでることを希望するような考え方をつくりあげていくようにさせるために、この現実重視の生活綴方の指導を採用するよう示唆したのでありました。」
「プロレタリア・レアリズムの考え方を身につけて、その実践にたちむかうことの大切さを宣伝したのでありました。」
国分は、このような意図は「こじつけ」であり、このように書きとめることは「自己をあざむくこと」(213p)と述べています。
国分は内心では、砂田の意図するような答えを書くことに、そのまましたがうことはできませんでした。
24 送検の日 25 検事調書 26 予審判事 27 判決
訊問調書づくりはひと段落し、国分は取調室へあまり呼び出されなくなりました。訊問調書のさいごに署名と拇印による捺印を終え、国分は砂田からこれからのことを聞かされます。それは、送検され検事に調べられるときも、予審判事に調べられるときも、以下のようにまっさきに述べるのがよいということでした。
「警察で砂田警部補に申しあげたとおりです。それにまちがいありません。」
このようにしないと、取調べは長引き、刑が重くなるようでした。国分はここのところこそ、今にして思えば、「裁判とか公判とかというものへの認識が不足していた点であった」と悔やんでいます。というのも、似たような件で検事や裁判所にたてついた北海道の場合があったり、また、被告としてただ一人そのことを主張した秋田の加藤周四郎は上告をし続け、勝訴(判決破毀の上、裁判のやり直し)をしているからです。この加藤周四郎のいきさつは、戸田金一著『真実の先生 北方教育の塊 加藤周四郎物語』(教育史料出版会、1994年)に詳しいです。
その後、国分は山形警察署から山形刑務所へ移送されます。そこで検事調書作成のための取調べを受けます。ここでも国分は刑事訴訟法や治安維持法といった法的な知識を持ち得なかったことを「弱点」であったと指摘しています。
取調べを担当したのは山本という検事で、警察で砂田にいったことにまちがいはないかと問われ、
「そのとおりです。砂田さんに申し上げたとおりであります」と国分はこたえます。こうして調書づくりは始まるのですが、警察署での取調べにくらべ、ひじょうに簡単なもので、たった二日で終わりました。そして起訴され、国分はとうとう被疑者から被告人となったのでした。
山形地方裁判所で担当した判事は、長尾信という人でした。村山俊太郎の予審も担当した人物でした。長尾判事の取調べは細かく、四ヶ月余りも続きます。この間の刑務所での生活を国分はつづっています。時局柄、貧しくなっていく刑務所の食事や看守との会話が記述されています。
こうして予審の取調べが終わり、山形地方裁判所の公判に付せられることになります。予審終結決定書は、日本紙の罫紙にタイプ印刷された7、8枚のもので、
それは、北方性生活主義綴方運動と雑誌『生活学校』編集グループを中心とする生活主義教育運動への参加および国分の教室における子どもたちへの教育活動・執筆活動のすべてが、コミンテルンと日本共産党の目的遂行に資する行為をしたと断定するものでした。
国分は同郷の村山俊太郎や新潟の寒川道夫らの予審終結決定書も全文引用しています。これらのものから、砂田警部補が山形で村山俊太郎を調べあげ、それにもとづいて事件の全体像をこしらえあげ、全国的な事件に拡大していったことが察せられると国分は重ねて指摘しています。
予審終結決定書をもとに公判が始まり、検事からの求刑は「懲役3年」でした。実際の判決は「懲役2年、執行猶予3年」でした。
判決の出た公判には砂田も来ていて、国分に近づいてきて、声をかけます。
「出たあとは、からだに気をつけてな」
国分は「はい」といって、頭を下げるだけでした。
ようやく家に帰れた国分を、母が涙をこぼしながら迎えます。母の髪には白髪がずいぶん増えていました。