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日記のような、びぼーろくのような(2023.05.17 京都大原野の初夏の香り)
京都の端っこの西京区大原野の春はたけなわをすでに通り越していた。
阪急洛西口駅から電動アシスト付き自転車で走る道はほんのひと月前の季節とは様相を変え緑の濃さは増し陽射しの力強さも増していた。
途中、ところどころで田植えの準備を始めていた。トラクターの邁進する田から掘り起こされる虫たちを目当てにサギとカラスが離れない。そんな姿をスマホに収める私をカラスは「あんた何してんの」とでも言いたげにジッと見
三竹士スピン番外:タケオオツクツクって聞いたことがありますか。
画像:下記から。
最近の話(同定は2019年)だが、竹にもセミが。セミとしては結構大きい、まだ限られている(日本で3か所確認)が、夕方6時半ころから1時間、「旋盤で金属を加工しているような音」を奏でる(?)という。(下を参照)※日本在来種ではない。
名前にあるように、生息域は竹林で、孟宗竹が主だが、真竹にも。竹は滑りやすいので、節につかまっているという。
タケオオツクツクの生息する竹林は限ら
三竹士スピン:満月下の波留
*時代考証は無視しています。
太秦からやってきた大道具組が瞬く間に竹林の中に湯舟を作った。現代のものとも違い、奈良時代のものとも違う。監督と脚本家の話し合いで設定されていた。
波留は斎王役とともに禊が必要だった。その禊の一つとして湯あみが行われる。そのための舞台が設定された。撮影は夜行われた。
警護役のタレントと若じぃが、撮影スタッフの指示に従って、構図上の位置を示され、スタンバイした。それ
光悦垣;伝統的な竹垣、あったなぁ・・
画像:下記から。
中学生の時、一部路地を通り抜けて登校しなければならなかった。路地といっても、家と家の間に設けられた細い通路だった。登校するときには、左手にかなり大きな庭園が少し離れて見えた。友の家だった。庭はよく手入れされており、子供心に、「ほーっ」とするため息が漏れていた。
<友の家側の空き地で、ペンシルキャップロケットを飛ばしたことがある。宇宙への扉が開こうとしていた。>※糸川のペンシル
南信で考えたこと(竹の旅の記録)
宮島のこの理事長との付き合いは長い。足掛けで25年の月日が過ぎる。
まだゼネコンにいた時、入社後二度目の京都赴任を営業職の立場で命じられた。赴任初日からいきなり四条河原町のマンション建設の地元対応の責任者を仰せつかり発注者であるデべとともに地元自治会長らへの挨拶に回って夕方営業所に戻った。事務所は高島屋の並びの南に少し下がった河原町沿いにあった。8階の事務所に入るとそこから見える東山の山並みは夕陽
日記のような、びぼーろくのような(2023.3.15 京都大原野の春のひろがり)
一昨日、京都は大原野にある放置竹林整備のNPO事務所まで出かけた。
盆地の京都市内は夏は暑く、冬は寒い。三年間京都市内で暮らしたが、旅行に来る場所であって、居を構える場所ではないと京都の皆さまには申し訳ないがそう思った。
この大原野は西京区大原野である。あの三千院のある大原は左京区大原、勘違いされる方が多い。私たちが事務所を置いているのは西京区大原野小塩町(にしぎょうくおおはらのおじおちょう)であ
心残りの食べ損ねたラーメン
ふと思い出すことが多くなってきたが、先が近づいて来たってことじゃないかと思ったりしている。先が近づいたと言っても今日明日のことじゃない、子どもの頃よりはずっとこの先の世界が近づいている、そんな話である。
子どもの頃の記憶は褪せて薄くなっていくが何かをきっかけにカラー写真のように鮮明に思い出すものである。
2月22日猫の日に京都大原野のNPO、『竹ネット』の事務所で話しているなか、これから出てくる