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光悦垣;伝統的な竹垣、あったなぁ・・
画像:下記から。
中学生の時、一部路地を通り抜けて登校しなければならなかった。路地といっても、家と家の間に設けられた細い通路だった。登校するときには、左手にかなり大きな庭園が少し離れて見えた。友の家だった。庭はよく手入れされており、子供心に、「ほーっ」とするため息が漏れていた。
<友の家側の空き地で、ペンシルキャップロケットを飛ばしたことがある。宇宙への扉が開こうとしていた。>※糸川のペンシルロケットよりも前。
その庭の端に、竹垣が作られていた。目隠しなのか、境に設置されていた。丸い竹を半分に割り、格子に組んだ竹の上に被せていた。優美な曲線だった。
*光悦会:「本阿弥光悦をしのんで発足した茶会。毎年11月に光悦寺で行われる。東京の大師会に並ぶ京都の代表的茶会。」とある。
川端康成が光悦会に招かれ、光悦垣の真ん前の「床几」に腰掛けて、たき火に温まりながら、閑談する。光悦垣の前にはハギが、後ろはモミジが清廉としている。
覚々斎の発句銘の茶杓を見て、「方時雨」を知り、詠んだ。
方しぐれ光悦垣のもみじかな
光悦寺から大河内山荘に向かう小路で、嵯峨の竹林が残っており、竹の色に酔いしれる。
本
・川端康成(1973年)『一草一花』毎日新聞社、189-190。