鬱とは
ここに書きますものは、あくまでも私個人の経験などから生まれた思いです。
誰かや何かを否定したり、責めたりする意図は全くありませんが、不快に思われる内容もあるかも知れませんので、読まれる方はご理解とご容赦をお願いいたします。
人それぞれ様々な事情や状況、考えや思いの中で生きておられるでしょうから、慎重な表現を必要とする問題ではあるのでしょうけれども、いつも通り私の書きやすいように書いておりますゆえ、あまり言葉を選んだり丁寧な表現ではないかもしれません。
文章も長くなりましたので、数日ごとにいくつかに分割して投稿します。
「鬱」って字だけ見ててもうつになりそうなオーラがありますよね。覇気ですかこれが、、、
私も10代の頃から、うつや、不安障害、強迫性障害、パニック障害、不眠などと言い出せばキリがないほどの精神的な症状に悩まされて人生を送ってきました。
ただ私は小さい頃から、アトピーの症状もありまして、その経験から体のことや体に入るもの、食べ物や薬(塗り薬も)などにはかなり神経質になり、また使用するにも吟味するようになっていましたし、何より体から症状として出ているメッセージを強引に抑えてしまうような薬の使い方に大変違和感があり、精神的な症状がどれだけ辛い時であっても精神科などでの所謂、薬物療法などは行わずに今も過ごしています。
ただし、その結果私は世間的にはもうすっかり世捨て人のような生活ですのでとても幸せな人生を送っているとはいえません。
もちろん人間社会との関係を何もかも断ち切れるわけでもありませんので、今でも毎日ストレスを感じてばかりです。
うつ病とは。
気分が落ち込んで、何をするにも憂鬱になってしまうような状態。なんてのがざっくりとした表現でしょうか。
まぁ、心ですよね、精神的に病んじゃってるってのが分かりやすいですよね。
私は精神的な状態に対して病気って言葉はあまり好みませんけれども、読んで字の如く「気」が病んでますよね。
「体」が病むと書いて、病体とはあまり言いませんよね。病気ですよね、やっぱり。
嫌な響きですが、やはり「病は気から」なんですかね。
今、一般的にうつ病と言われている症状の原因として大きなものはやはり人間関係や社会、生活環境などから起こるストレスではないでしょうか。
持続可能なストレス社会ですよね。
サステナブルですよね。(しつこい)
あとはやっぱりお金ですかね。(ダジャレうざいよ、、、意識してません、、、)
お金が十分にあればある程度の問題は片付きますよね。
すべてとは言えませんが大方はね。
肉体的な疲労からもあるでしょうから、心身のバランス、相互関係ですよね。
私は、音や人工的な光にも大変ストレスを感じたりしますが、ともかく何にストレスを感じるかは本当に人それぞれですし、これだけたくさんの人が密集して生活していては、私などからすればストレスを減らすという事はもはや不可能といっても良いでしょう。
パーソナルスペースと呼ばれるような人との距離感や不快に感じる範囲なども広いと感じますしストレスは増える一方です。
とはいえ同じ状況でストレスを感じない人はいますから、自分自身の性質がもっとも大きな要因でしょうか。
その性質は遺伝的、先天的なものなのか、あるいは後天的にこれまでの人生の経験からそうなってしまったのか、まぁどちらもあるでしょうね。
いずれにしても自分からは逃れられませんから仕方ないのですけれども、繊細なほうが生きづらい世の中にはなっているのかもしれません。
ただ、自分はもちろん誰が悪いわけでもありません。
人間も自然現象なのですから、常に環境に応じて適者生存ですよね。
ネガティブ思考になりたいの?でも言っていますが、人類はこれまでは多少ネガティブな方が生き残れた、だから私たちは遺伝的にネガティブにアンテナが向く傾向が強い進化をして来たのは確かでしょう。
それが今は鈍感なくらいの方が生き残れる。
陰極まって陽が生じているのですよ。
私たちが進化なんて呼んでいるものは、常に環境に適応する為の過渡期ですから、その過程で淘汰されていく存在が、今は繊細で神経質になりすぎた人たちなのかもしれません。
繊細で神経質であればある程、現状の社会適正からは遠ざかるでしょうし、周りの人からも面倒くさがられたりしますから、世の中との溝は深まってしまって孤独感も強まりますよね。
周りに理解者がいない事も多いでしょうから、自分を責めてしまったり、傷つけてしまったり。
何も悪くはないし、間違ってもいないんですけどね、性質の違いですから。
とはいえ人のことなんて絶対に分かりませんから。
自分のことすら理解してませんよ。
だからって否定されても、ただ肯定されても突っぱねたくなるんだから、そんな自分にも困ったものですよね。
分かってもらおうとしたり、理解者を探すことのほうが余程ストレスがかかるし、
「私のことなんて誰にも分かるわけない」って、もうそれが正解ですよ。
自分のことを他人が分かるはずなんてない、自分自身のことすらわからないのですから。
同じような経験をしていても、これまでの人生や経験、それを体験して感じている人間が違うのですから分かってもらえるなんてことがあるはずがありません。