「円環する時間」時間とはなんなんじゃー!?パートⅡ
時間について考えるシリーズ、パートⅡ行ってみたいと思います!
存在論で名を馳せたドイツのハイデガーの登場です🇩🇪!!
ドイツの哲学者ハイデガーは存在論と時間で有名だが時間を円環化している時間として表した。
ハイデガーは「存在」を「ある、いる、なる」と表した。「ある」は3次元に入れ込んだ他我化した自己の自我の事で「存在者」とも呼ぶ。
「いる」は4次元空間の主体である自己、「現存在」とも呼ぶ。
「なる」は恐らく5次元高次元存在。自己他者の交わった魂、霊。「なる」は「存在者、いる」をあらしめ(物質世界を創っている存在)、「現存在、いる」は「なる、存在者」の声を聴こう聴こうと耳を傾けている。
そして「存在」を考えることは「時間」というものを考える事なのだ。
関西ヌーソロジー研究会川瀬統心氏の動画がわかりやすいか。(11分ほど。)
ハイデガーの言葉は難しいが前回記事のベルクソンと同じことを言っている。現在は過去(持続)へと還っていき過去(持続)から現在は現出してくる。ぼくらがいる地点はその現出してきた瞬間場なのだ。3次元にいるぼくらからすると持続は過ぎ去った過去としか捉えられない。過去を持続と意識するには3次元に入れ込んだ自分を現存在の4次元に出さなければならない。
存在(霊的存在)が物質界をあらしめる時(現出)、時間は物質もともなって生まれでてくる。言葉が時間を直線にする。
モノの中の霊性は見えなくなっているがそれは、時間とともにおぎゃあと物質界に生まれでてくるのだ。
上の画像の縦のラインは3次元空間。丸、円は4次元、本来的時間=持続であり自己である。自分とは時間なのである・・・😳😳😳!!!
現在で生きている自分とは持続、記憶、精神、死、本来的な自己なのである〜💫💫💫💫💫
「なる、存在」をラカンは「現実界」と表しているが、ラカンは人間はここを決して認識出来ないとしていた。
ぼくはこの半年、この「なる、存在」とインド、ヴェータンダ哲学のブラフマンを同一視していいのかずっーと考えている🤔🧘♂🤔🧘♂
なかなか3次元にいるぼくらからすると難しい話が続くのでここで、赤毛のチコさんの記事を。
皆さんご存知!(?)オードリー春日が主役です!
「待つという行為と時間の感覚やコスパを結び付けないんだろうなと純粋に待つときは待つことしか考えていないからそれが5分だろうが3時間だろうが現れるまでただ待つだけなんだろうかとイライラソワソワした風もなく淡々と待つ春日さんの姿に驚き以上の恐怖というか畏怖を感じたけど」
バラエティ番組の話ではあるがかなり深い話である。この春日氏に横線時間は関係がない。この時、春日氏は「待つ行為」そのモノになっているのである。「現存在」から世界を見ている行為だ。
ここに反応出来るチコさんに感服。しかも、西洋哲学者の如く「純粋」と使ってるところが凄い。そうオードリー春日氏は純粋過去、純粋持続、記憶の世界にいたのだ。
シュタイナーは3次元の直線的時間を霊の死骸と言ったそうである。チコさんは時間は命と書いた。同じ事である。
人間は霊、モノは霊、この生きている空間は霊的空間と散々書いてきたが、時間とは命、自分たち、自己、霊なのである・’・・!!
またまた、
怪しさ満天🌟
になってきた😆💦💦💦
が、非常にわかりやすい例を思いついた!
職人さんは物を作る時、物を作る行為そのものになっているし、さらに言えば作る物自体になっているとも言える。持続側に主体側になって物を作っているのだ。
プロスポーツ選手は競技中、周りがスローモーションになっていた、世界が止まっていたなんて表現することがある。
これは集中力が極まって無限遠点を超えて持続側に意識が廻った状態だ。よく知られるゾーンである。
持続から現出する瞬間場をハイデガーの言う〈瞬視〉で捉えている。さらにハイデガーの言葉で言えば〈世界を世界する〉なんて状態なのである。
(ハイデガーの言葉はかっこいいけどほんとわかりにくい😆💦💦💦)
瞬視は思考で捉えることかと上のキャプションに書いたが3次元から4次元の主体に移って現出してくる瞬間場を捉えているということになる💫💫💫
さて、現在、持続(過去、記憶)の関係が見えて来た!次回は未来を考察します!!
パートIIIに続きます!!!💫💫💫
付録
意味のわからないヌーソロジー用語、哲学用語を次元ごとに整理。
ますますわからん!?😬💦💦💦💦
ヘッダー画像は算命学、zin−wantaoさんの画像を使わせていただきました💫☯💫
(↑運命と宿命の違い、ワンピースのログに例えて。)
パート1
パートIII
以上です!
ナマステ🐉✨