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俵万智著『かすみ草のおねえさん』を読んで ~その1(2004年6月17日著)~
読書の秋。
木にもたれて読書をする(写真)。
私は、SLE患者のモノ書き兼語り人とプロフィールに記しているが、そのベースに人の話を聴くことや読書がある。さまざまなジャンルの本を読んできたし、数年前からAdibleで耳から本を楽しむ喜びも味わっている。
秋の夜長は、読書にもってこいの季節でもある。
数回にわたり、20年以上前に書いた俵万智著『かすみ草のおねえさん』の読書感想文をお届けしたいと思う。
20年前以上前の私の状況
2003年の秋に難病のSLEにもかかわらず、自分勝手な生き方をしたことで難病のSLEが悪化。高校教員として海外で働いていたが、帰国した。酷いうつ状態になり、自責の念を抱えたまま2004年1月に教員を辞めた。
しかし、その年の春過ぎから少しずつ生きることに前向きになっていき、以下を記した頃は躁状態に近かったように思われる。よって、当時は活動的(多動)になり、よく読んで書いていた、という背景がある。
俵万智著『かすみ草のおねえさん』(文藝春秋、1994)の読書感想文/2024年6月17日記
昨日、お茶に誘われて裏のお宅にお邪魔すると、そこの奥さんが「これ、読んだことある? 」と俵万智著『かすみ草のおねえさん』というエッセイ集を見せてくれた。「読んだことはない」と言うと、「これ、のりちゃんをイメージして読んでいたのよ」と図書館で借りているその本を私に貸してくれた。
このエッセイには、俵万智さんが高校教師を辞めた後の5年間(27~31歳)のことが綴られていた。私自身の経験や思いと重なる部分が多く、少しずつ味わいながら読んだ。
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私と同じ29歳の時の「尾崎豊の詞、そして死」というタイトルのエッセイに思わず号泣してしまった。そして、久しぶりに尾崎のCDを聴いた。いろいろなことがよみがえってきて懐かしくもあり、切なくもあり、なんだか胸が熱くなる。私も彼女同様書き溜めたものがたくさんあるが「いつかこんな風にまとめられたら素敵だな~」と想像してみた。そして、短歌もつくりたくなった。
そうそう、このエッセイの中ではこんなことを彼女は書いていて、「なるほどな~」と思った。
「相性のいい表現手段」を見つけるためには、とにかくいろんなことにトライしてみるしかないと思う。「好き、嫌い」は自分の感覚で決まるものだが、「向き、不向き」は案外やってみないと自分では分からないものである。(中略)
自分にフィットする本業にめぐりあうまでには、人それぞれのプロセスがある。早くめぐりあうことにこしたことはないかもしれないが、その過程がまた、人生の栄養になっていくのだろう。
「本業以外で誇れる技術」とは、本業にめぐりあうまでの過程で得た財産のことを言うのかもしれない。
どれだけの人が本業に出合えているのだろうか? 私はまだ栄養を蓄えている段階だ。でも、急がずに進んでいきたい。
本業にめぐりあう
本を読んでから20年以上たち、私は本業にめぐり出合えたといえるだろうか。今の本業は「書くこと」といえる。地域の記者としてライターとしての名刺をもち、自身の会社でも書く仕事を請け負うようになっている。
好きな「書く」という行為は「相性のいい表現手段」であった。こうしてnoteに書くことも日々の喜びとなっている。そして、50歳になるまでの過程でさまざまな経験をしてきたことが、確かに「本業以外で誇れる技術」として今の自分の支えになっている。
「とにかくいろんなことにトライしてみる」というのは、難病のSLEになった後も続けてきた。まだ、本業と思える仕事に出合えていない人がたくさんいるのではないだろうか。
「このままでいいのだろうか…」と日々悩む人はたくさんいるはず。私も同じ。止まって休むことも大事だし、「とりあえずやってみる!」というというのも大事。
急がず、慌てず、あなたが今を生きることが本業への一歩になるのではないかと思う。