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表メッセージ

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もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取…
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#マタイによる福音書

神はあなたを知っている (マタイ10:16-33, 詩編139:1-24)

神はあなたを知っている (マタイ10:16-33, 詩編139:1-24)

◆迫害はあるのか

お開きする聖書箇所が、かなり長くなってしまいました。お詫び致します。聖書のひとつの言葉を、できるだけ周囲の記述の中で見つめたいと思いました。ごく一部だけを取り上げて、そこから自分の想像するままに意味を決めつけていきたくない、と思ったからです。
 
マタイ伝10章は、イエスが弟子たちを教育している場面のように見受けられます。いわゆる「十二使徒」を選出したことで有名ですが、初期の教

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休むヒント (エレミヤ17:19-27, マタイ11:28-30)

休むヒント (エレミヤ17:19-27, マタイ11:28-30)

◆休むヒント

『群像』という文芸誌を講談社が出しています。その編集部が、雑誌に連載したシリーズをまとめた、ある本が今年の4月に発行されました。『休むヒント。』といいます。「休む」ということをテーマに、依頼された作家や著名人が綴ったエッセイがまとめられています。
 
一人ひとり、自由に「休む」という言葉から思うことを書いています。さすが文筆家とあって、その体験談が生き生きと語られ、読み応えがありま

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そのドキドキをそのままに (マタイ28:1-10, ヨハネ20:1-10)

そのドキドキをそのままに (マタイ28:1-10, ヨハネ20:1-10)

◆復活祭から一番遠い時期に

今日は、二つの福音書から、復活の場面を通じて、命を与えられたいと願っています。この時期に復活というのは、何か違うのではないか、とお感じになる方もいらっしゃることでしょう。確かに復活というのは、春と相場が決まっています。春の祭りである過越祭のときに、イエスは十字架につけられ、復活しました。福音書の記述からするならば、それは間違いありません。いまの暦では3月から4月にかけ

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偽善者とは何か (マタイ23:13-15,25-28, 詩編36:2-3[新共同訳])

偽善者とは何か (マタイ23:13-15,25-28, 詩編36:2-3[新共同訳])

◆偽善者と禍

マタイによる福音書23章
13:律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、人々の前で天の国を閉ざしている。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。
14:律法学者とファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。だから、人一倍厳しい裁きを受けることになる。
15:律法学者

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平和を造る者 (マタイ5:9, イザヤ11:1-9)

平和を造る者 (マタイ5:9, イザヤ11:1-9)

◆沖縄

平和を造る人々は、幸いである
その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)
 
平和な世界を造ろう、と集まった人たちが、意見が合わず分裂して別々の会をつくる――笑えない話です。動機が悪いとは申しませんが、人間が思う平和と、それへ近づく道は、どうやらかなり食い違うことがあるようです。
 
「ローマの平和」は、圧倒的なローマ軍の軍事力によってつくられたと考えられました。「大東亜共栄圏」とい

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我らを試みに遭わせず悪より救いいだしたまえ (マタイ6:13, ルカ11:4)

我らを試みに遭わせず悪より救いいだしたまえ (マタイ6:13, ルカ11:4)

◆国と力と栄え

私たちを試みに遭わせず
悪からお救いください。(マタイ6:13)
 
今日はいよいよ「主の祈り」の最終回です。ところが、教会で礼拝の中で称える伝統的な「主の祈り」は、ここで終わりではありません。付け加えられた締め括りがあります。
 
 国と力と栄えとは
 限りなく汝のものなればなり
 
これは福音書の本文にはありません。ではどこでこの締め括りが付いたのか、というと、その文は、新約

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我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ (マタイ6:12, ルカ11:4)

我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ (マタイ6:12, ルカ11:4)

◆さばきとゆるし

 私たちの負い目をお赦しください
 私たちも自分に負い目のある人を
 赦しましたように。(マタイ6:12)
 
「さあ、主の祈りです」と礼拝のプログラムで司会者に促され、皆一斉に同じ祈りの言葉を口にします。もう言い慣れてしまって、何の感動も、何の思い入れもなく、唱えているだけかもしれません。
 
私もその「スタイル」は分かります。でも、やっぱり、引っかかってほしいと思います。と

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我らの日用の糧をきょうも与えたまえ (マタイ6:11, ルカ11:3)

我らの日用の糧をきょうも与えたまえ (マタイ6:11, ルカ11:3)

◆主の祈りの要

「主の祈り」と呼ばれるものは、ルカ伝にもありますが、教会ではおもに長いマタイ伝を軸に受け止めています。さらに、そこから教会で伝統的に整えられた形式の「主の祈り」があります。これを念頭に置きながら、私たちは「主の祈り」を少しずつ味わっています。
 
私たちに日ごとの糧を今日お与えください。(マタイ6:11)
 
これは、伝統的な「主の祈り」の中央部に当たると言えます。ユダヤの文学形

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みこころの天に成るごとく地にも成させたまえ (マタイ6:10)

みこころの天に成るごとく地にも成させたまえ (マタイ6:10)

◆マタイ伝を基準に

 御心が行われますように
 天におけるように地の上にも。(マタイ6:10)
 
祈りの内容としては三つ目となります。ここで初めて、マタイ独自の祈りが現れます。ルカには、該当する言葉が全くないのです。
 
福音書は、時間差を置いて書かれた、と研究者は見ています。主の祈りは、ルカよりもマタイのほうが明らかに長くなっています。普通、最初にルカの福音書ができて、その後にマタイができた

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み国を来たらせたまえ (マタイ6:10, ルカ11:2)

み国を来たらせたまえ (マタイ6:10, ルカ11:2)

◆国家ではなく

御国が来ますように。(マタイ6:10)
 
「国家」は幻想だ、と言う人がいます。「国家」というのは、どこにも存在していないのではないか、というのです。
 
古代ギリシアには、「都市国家」と呼ばれるものがありました。比較的小さな単位です。従って、アテネとスパルタがライバル同士であった、などという話も有名です。実にドイツでは、13世紀から19世紀まで、「ドイツ領邦国家」と呼ばれる、小

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願わくは,み名をあがめさせたまえ (マタイ6:9, ルカ11:2)

願わくは,み名をあがめさせたまえ (マタイ6:9, ルカ11:2)

◆有て在る者

死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の箇所で、神がモーセにどのように言われたか、読んだことがないのか。『私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。(マルコ12:26)
 
この「モーセの『柴』の箇所」とは、出エジプト記の3章の出来事を言います。イエスの時代、このようにして、聖書の特定の箇所については示すものだったわけですが、これで聖書を知る人に

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天にましますわれらの父よ (マタイ6:9, ルカ11:2)

天にましますわれらの父よ (マタイ6:9, ルカ11:2)

◆呼びかけ

「主の祈り」を、少しずつ受け止めてゆくことにしています。今日はその初めで、最初の行だけに注目します。
 
天におられる私たちの父よ(マタイ6:9)
 
父よ (ルカ11:2)
 
ルカ伝はとてもシンプルです。この一言に、マタイ伝の言いたかったことも凝縮されているのでしょうか。いまはマタイ伝のほうを検討することにします。
 
日本語だとこうなっていますが、原語は語の並ぶ順序が異なります

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主「の」祈り (マタイ6:5-9, ルカ11:1)

主「の」祈り (マタイ6:5-9, ルカ11:1)

◆主の祈り

イエスが直々に「祈り」について教えてくれたことがあります。これを教会では「主の祈り」と呼んでいます。来週から、その祈りの言葉の一つひとつを、ゆっくりと噛みしめて聴きたいと願います。今日は、「主の祈り」全般について、それを受け取るスタンスを確認してみようと考えています。
 
「主の祈り」は、マタイ伝6章とルカ伝11章にあります。イエスが教えた祈りであり、同じもののようにも見えますが、や

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祈りの道へ (マタイ6:5-8, 列王記上8:22-53)

祈りの道へ (マタイ6:5-8, 列王記上8:22-53)

◆無駄な祈りなのか

(これは架空の話です)旅客機が消息を絶った。どうやらあの人が、その便に乗っている。ああ、大変だ。そのとき、きっとひとは祈るでしょう。「どうか無事でありますように。」
 
続報が入る。飛行機は墜落したらしい。ああ、もう胸が引き裂かれそうだ。それでも、ひとは祈るでしょう。「どうか無事でありますように。」
 
1985年8月12日の日航機事故は、一機としては世界最大の航空機事故とな

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