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病気を遠ざける "自分軸" 。
興味深い記事を見つけた。
・人のからだをつくり、健康に生きていくもとになるものは、日々の生活にこそある
・病気になったということは、その日々の生活が、自然からはずれているためである
・病気を治しているのは、自分の力そのものの、自然治癒力である
上の文章は、理解しやすいし、その通りだと思う人も多いかもしれない。
では、こちらはどうであろうか。
外来で診察をしていると小児科にかかる患者さんは、いわゆる「風邪」の症状がいちばん多いのですが、それらはほぼウイルスによる感染症です。新型コロナを経験したことで理解された方も多いと思いますが、ウイルスに効く薬はありません。
医師が「風邪に効く」と言って処方する薬も、風邪自体に効いているのではなく、熱やせき、鼻水など、風邪にともなう諸症状をおさえるためのものなのです。そうして薬によって症状をおさえているうちに、結局は患者さん自身の自然治癒力が、風邪を治していくのです。
ここでの風邪という言葉を「インフルエンザ」や「新型コロナ」など、ほかの感染症に置き換えても同じことになります。つまり、医師が薬を出さなくても、自分の力が健全に働いていれば、ほとんどの場合、病気は治るのです。
もしかしたら、当たり前に知られていることなのかもしれない。
それでも自分はここまで詳しくは知らなかった。
最大の病気予防は、特別なものを食べたり、何かを行ったりすることではありません。毎日のくり返しの生活を、「なるべく自然なものにすることにより、からだ本来の働きを高めておくこと」に尽きるのです。
つまり、日常生活をどう過ごすかで、病気になるかならないか、もしくは病気になってしまっても健康な状態に戻せるかが決まります。
きっと、身体だけでなく心の健康も同じなのだろう。
最後の太字にさせて頂いた文章は耳が痛い。
自分は、良い意味で諦めていたつもりだったけれども、こちらを読んで、負の感情の方が強かったかもしれないことに気付いた。
何かの病気だと診断されても、必ずしもそうとは限らない。
それがもし心の病気であれば、まず、正しく診断することからして難しい。
治療が困難なのも当然だ。
以前、寛解された人に対して、"どのように治っていったのか" を尋ねてみたことがある。
その際はnoteにも書いたが、とてもデリカシーのない聞き方をしてしまった。
それでもちゃんと答えてくださった。
一度死ぬはずだったのが生きているとしたらそれは「おまけ」の人生。
そう考えるからこそ好きに生きる事が出来る。
何かをしてダメだったら死ねば良い。
オマケの人生、死にたくないと思えるような人生でもあるまいし。
そしてどうせ死ぬのなら誰かの役に立って死にたいなぁと欲を出したのが今の自分。
寛解でも鬱が治ったワケでも無く、好きに生きてたら鬱が無くなってるってだけのこと。
つまり、冒頭の記事に書いてあるように、"自然(と共)に暮らしていたら症状が無くなっていた" ということなのだろう。
自然な暮らしに近づけることは大切ですが、「絶対にこうしなければならない」というふうには考えないほうがいいでしょう。
食事や生活に関してだけではなく、仕事や教育についても同じです。なるべく広い視野、長い目でとらえ、自分のできる範囲で、無理にならないように実践することです。つまり、楽しめることであり、継続して行うことができるように工夫することが大切なのです。
自分がよくSNSなどを見させて頂いている、精神科医のお医者さん方が仰ることにもよく似ている。
「〜べき思考を手放す。」、「できることをできる範囲で。」…
ところで、こちらの記事で言われていて印象に残った、 "自分軸" とは何か。
私がこれまで実践してきた自給自足の生活とは、「自己軸を高める暮らし方をする」ということになります。自己軸を高めるとは、「自分で考えること」「自分で行動すること」「自分の力で問題と向き合うこと」「自分で責任をとること」などになります。
このように考えると、「まだまだ自分にできること、やりたいことがある」「より自然を豊かに感じる暮らしに、もっともっと近づきたい」という思いが、しだいに強くなりました。
まだまだ自分にはやりたいことがたくさんある。
きっとまだ、できることでもあると思う。
それなのに、前向きに諦めようなどと考えていた自分は、どこか矛盾している。
一体、自分の本心はどこにあるのか…
先日、精神科医の藤野智哉さんのラジオにコメントをした。
「期待せずに生きる」とのタイトルのお話。
自分は、自分に期待しすぎて困ることがよくあると。
「やりたいこと」を、「できる」と安易に考えてしまうのも "期待しすぎ" だろうか…。
もしかしたら、答えなど出さなくて良いことを考えてしまっているのかもしれない。
「諦める」、「治る」のどちらかでなくても良い。
きっと今、自分は白黒思考をしている。
暮らしにおいて何が正しいということはなく、答えなどありません。100人いれば100とおりの答えがあり、「こうするのが正しい」というものはないのです。私自身も衣食住から子育てのことまで、日常のなかで、「どうやって生きればいいのか」ということを、ただ確かめたくて実践してきたのです。
ですから、私の暮らしのまねをしてくださいというわけではありません。それぞれが、自分なりのやり方で、自然に沿った無理のない生活を考え、実践し、楽しく、健康に暮らしていただければと思います。
「他者軸」から「自分軸」へ
…自分勝手で好きに生きてる自分でも難しい。
そもそも、そうしているつもりで、本当はできていないのかもしれない。
本当にやりたいことってなんだろな…
もしかしたら思っているほど多くもないのかもしれない。
記事を読んで、ただ何となく今の気持ちを書いてみた。
今は、それが "やりたいこと" だったのだろう。
見出し画像は、地元の県木クスノキ。
最初は、引用させて頂いた記事を通して、「生きること」について、主に書くつもりだった。
だからこそ、力強く、何十年、もしくは何百年も生き続けているこちらの木の写真を選んだ。
帰省した時に撮ったものだ。
自分が子供の頃からずっとこちらに立っている。
実はすぐ下に川があって、その境目くらいに根本がある。
昔、川の整備をされた時、撤去されてしまうのではないか…と心配したけれども残して下さったようだ。
斜めに立っている上、電線にも寄りかかっている。
もちろん真下には川だけでなく道路もある。
台風なども多い地域だけれども、よく残して下さったものだ。
土台(根本)が斜めで不安定でも、真っ直ぐでなくとも、こうやってずっと自然のままでいられる…
考えてみれば、なかなか凄いことなのではないかと思う。
精神科医のゆるゆるラジオ。↓
以前書いた記事。↓