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編集所代表。書く人。編む人。「tuesday」共同主宰「HinT table」メンバー 元とびラー(6期) TOP画像:N.S.ハルシャ「ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ」(2013年)

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編集所代表。書く人。編む人。「tuesday」共同主宰「HinT table」メンバー 元とびラー(6期) TOP画像:N.S.ハルシャ「ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ」(2013年)

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    アートやアートプロジェクト、 アートコミュニケーションやらしきもの。 そんなものたちの感想や妄想や。

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    共同主宰・たかやまのアート・レポートなど *tabloidはメンバー個人が作成するマガジンです。 *マガジントップ画像:齊藤智史氏の“イシキ”より

最近の記事

世の中は困っている人でできている。

文学フリマで何気なく出合ってから、「〜本のまわりの困りごと〜 おてあげ」も第三号となった。もうすぐ次の文学フリマだから四号発刊も間近かもしれない(三号の巻末に二〇二四秋刊行予定の第四号特集は「おねがい」だと記載があった)。「おてあげ」の発行者は〝困っている人文編集者の会(こまへん)〟である。こまへんは社の異なる三人の書籍編集者によって構成されている。 KADOKAWA・麻田江里子さん、筑摩書房・柴田浩紀さん、晶文社・竹田純さんがそのメンバーである。私はおそらく最初の一冊を麻田

    • 本で出合った本たち。

      本から本を知る、本に教えてもらうというのはよくある話で、今回は岸本佐知子さんの『わからない』で紹介されていた本を二冊読みましたという話。 岸本佐知子さんのこの本は、豊崎由美さんが絶賛していたことで知り購入。期待を裏切らない猛烈な面白さで、寝る前に読むのが楽しみだった。そんな中で紹介されていた二冊の本が気になった。 一つは、小川洋子さんの『不時着する流星たち』(角川文庫)。この本には、小川さんが一〇のエピソードにインスパイアされ書いた一〇の短編が収められている。しかしながら

      • 踊らないインド映画「花嫁はどこへ?」

        (TOP画像は公式サイトから借用しました) 初めて公開当日に映画を見るという経験をした。が、ま、そのことにさしたる意味はない。 「花嫁はどこへ?」というインド映画。この映画はトロント国際映画祭でスタンディングオベーションを巻き起こし、世界最大の映画批評サイト「Rotten Tomatoes(ロッテントマト)」では、全ての批評家が肯定的なレビューを書いたことを意味する〝100%フレッシュ〟を獲得。米アカデミー賞国際長編映画賞のインド代表作品にもなっている。 実はインド映画は割

        • 侍の心は如何に!「侍タイムスリッパー」

          (トップ画像は、公式サイトの予告編からキャプチャーを拝借した) 時代を行き来するというのは、映像の世界ではよくある話である。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はその筆頭格といえるだろう。日本のテレビでも、要潤が主人公を演じた「タイムスクープハンター」や黒島結菜が戦国時代にタイムスリップしてしまう「アシガール」あたりはすぐに思い出すことができる。 「侍タイムスリッパー」もそのタイトル通り、侍が雷に打たれて京都の時代劇撮影所にタイムスリップしてしまう物語だ。雷が起因になるあた

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        記事

          あの祖父はこの祖父なのか。

          オルタナ旧市街さんの本たちを読んでいた。 『一般』 『ハーフ・フィクション』 『踊る幽霊』 『Lost and Found』 街をわたる夜風に、降り注ぐ月光に、雲間から覗く陽の光に、アスファルトに打ち付ける雨の跳ね返りの中に、何かが現れて消え去っていく。 私たちは気にもとめない。 「バス停、顔たち」(『一般』)に登場した徘徊する祖父は、『踊る幽霊』だったか、登場したパフェを頬張る祖父と同じ人物だろうか。オルタナ旧市街さんの眼差しがやさしい。 彼女はその名の通り、過ぎ去って

          あの祖父はこの祖父なのか。

          カレーが生み出す街と人との相互作用

          『つながるカレー コミュニケーションを「味わう」場所をつくる』 加藤文俊・木村健世・木村亜維子 著 読了 加藤先生の〝カリーキャラバン〟に二度お邪魔して(前回は迂闊にも告知を見逃してしまった)、この活動のルーツが知りたくなった。そこで『つながるカレー』を読んだ。墨東大学での活動が起点となって生まれていった街中でカレーをつくり、無償で振る舞うというプロジェクト。 やがてその手法を使って、街に出ていき、あるいは招待され「カレーキャラバン」として日本各地を巡るようになる。 この

          カレーが生み出す街と人との相互作用

          月は馬のごとく走る

          琉球大学人文社会学部在学中の豊永浩平さん(21)の 群像新人賞受賞作品「月ぬ走いや、馬ぬ走い」を「群像2024年6月号」で 読了。 タイトルが読めなかった。ルビは振ってあったが、それもすんなりとは頭に入ってこず、しばらくは字面をビジュアル的に捉えていた。 これは黄金言葉ともいわれる沖縄のことわざだそうだ。 「月ぬ走いや、馬ぬ走い」と読む。 月日は馬が走るがごとく瞬く間に過ぎていくという意味だとある。 この物語では、沖縄の戦後80年ほどの時間が、 いくつものレイヤーで描かれ

          月は馬のごとく走る

          〝めんどくさい〟が、おもしろい。

          ずいぶんと前の話になるが、巷で話題の?、気なるカフェに行ってきた。その名も「めんどくさいカフェ」。なにがめんどくさいかというと、自分が飲むコーヒーのために、焙煎からドリップまで、すべてを自分自身で行わなければならないことだ。「ブレンド!」と注文してスポーツ新聞を読んでいればコーヒーが出てくる喫茶店とは違うのだ。しかも無料ではない。 その日は、運動を控えろと繰り返し自治体からプッシュ通知がくる猛暑日。火を使って焙煎するなんてもっての外だ。が、そこは酔狂な好奇心が熱波に勝つ。

          〝めんどくさい〟が、おもしろい。

          夢と交差する視線。

          真鍋由伽子さん 個展『Observe every water droplet』 新宿に用があったので、その足で西荻窪で開催されている真鍋由伽子さんの個展にお邪魔した。ここまで来ると、私の中ではるばる感が満ちてくる。 会場は「ヨロコビtoギャラリー」。はじめて伺う。飲み屋街とは反対方向にのんびり歩く。西荻窪は豊かな街だなぁと思う。生活との距離感がとても良いように思う。暮らしたことはないので、本当のところはよくわからないが。 郵便ポストを目印に右折。ギャラリーがすぐに目に入る

          夢と交差する視線。

          また書いて食べた。カリーキャラバン

          また加藤文俊先生の「カリーキャラバン」にお邪魔した。 カレーを食べるためには、前回同様、一五〇文字の作文をその場で書かなければならない。 〝ならない〟と書いたが、実はこの書くという部分を私はけっこう楽しんでいる。なるべく一五〇文字ぴったりに書く。上手くハマると気持ちが良い。 そして今回、ちょっとした理由があって二枚書いた。 それから先生がまとめていた「わたしとカレー」の一号、二号も拝見した。こうして活字になると一五〇文字というのはけっこう短いということがわかる。書いてい

          また書いて食べた。カリーキャラバン

          今年も仁王像にくつろぎを。

          昨年、三好桃加さんの「仁王像たちのオフの日」展に中目黒で出合った。展示は最終日で作品は完売という状況だった。 今回はその2024年バージョンを、表参道に新しくできた「tHE GALLERY OMOTESANDO」の杮落として拝見した。 会期半ばといったタイミングだろうか。一点を残して完売となっていた。 仁王像たちは今年もくつろいでいた。スマホで音楽を聞いたり、狛犬と戯れたり、梅雨時だからだろうか、レインコートを着てたり。 三好さんは在廊されていたが、次々と鑑賞者が三好さ

          今年も仁王像にくつろぎを。

          ずり落ちたストッキング。

          公園でサッカーの練習をしていたに違いない。 肩より少し長い髪を後ろでまとめて、上下黒の練習着。ストッキングも黒。 ただ右足のストッキングだけ、くるぶしあたりまでずり落ちている。 少女の少しばかり汗ばんだこめかみに細い髪の毛がへばりついている。 父は「なにか飲む?」と少女に訊く。 頷く彼女。 進行方向を変え、左右に大木が繁る公園の道を自販機の方角に歩き始める。 少女の背丈は父の腰のあたり。 彼女は左手を父の背中に伸ばし、そのTシャツをぐっと掴んだ。 その握りこぶしに向かってTシ

          ずり落ちたストッキング。

          その思いが伝わる「私のリサ・ラーソン」展

          実はリサ・ラーソンをはっきりと意識したことはなかった。目つきの悪い?マイキーを、何かのキャラクターだろうといった思い込みをもって横目で眺めていたくらいだ。 なので、この展覧会は家族に誘われて向かったものだ。 が、展覧会として非常に良かった(この会場は、知り合いの家の目と鼻の先だった)。 入口には彼女の作であろう置物が目印として置かれている。階段を上がっていくと、すかさずスタッフに声をかけられた。展示構成の説明と、写真は一点だけなら撮ってよいと告げられる。 何が良かったかと

          その思いが伝わる「私のリサ・ラーソン」展

          しゃがむ少女。

          いつものように森を走る。西門から入ると、木立に日差しが遮られた森はひんやりとしている。腕にうっすらと浮かび始めた汗を葉擦れの音を奏でる風が乾かしていく。これ以上ないというほどのゆっくりとしたペースで、慣れたコースを流す。デイキャンプ場脇を抜けて、せせらぎのある方面へ。途中、橋をわたって芝生のある広場に向かって上っていく。いつもは犬の散歩グループや子どもたちの賑やかな声がするが、雨上がりということもあって、その日の森は静かだった。前日の雨が落ち葉の下に音を閉じ込めてしまったみた

          しゃがむ少女。

          やっと、つながるカレー

          これまでなんとなく視野に入っていた「カレーキャラバン」プロジェクト。 慶応SFCの加藤文俊先生が行っている活動だ。 街に出かけていき、そこで食材を手に入れカレーをつくる。 提供は無償。先生はそこで生まれるアクシデンタルな出合いやコミュニケーションに価値を置いている。その「カレーキャラバン」、よくよく見ると、加藤先生のソロ活動では「カリーキャラバン」となっている。「カレーキャラバン」は無期休業で、「カリーキャラバン」はニュー・シーズンという位置づけらしい。 その「カリーキャラバ

          やっと、つながるカレー

          道草を喰む小さな実践。

          いったいいつ以来だろう。体験型ワークショップに参加してきた。 コロナ禍前、とびラー仲間だったグループで展示するというので、そこに出かけていって、そのとき拝見した別の作家の方のお一人・水野渚さんの「Forage the Poetry:道草を喰う。詩の奏作ワークショップ」というもがそれだ。 どうもよくわからなかったが、ワークショップの開催場所となっているComorisという場にも惹かれて、申し込んだ。 わからないものに身を晒す。その感覚を忘れかけていたので、もう一度、そうした振

          道草を喰む小さな実践。