「情けは人の為ならず」という言葉を大切にしたい
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は、「情けは人の為ならず」について書いていきたいと思います。
目次は、以下の通りです。
「情けは人の為ならず」という言葉の意味
情けは人の為ならずという言葉の意味を調べてみると
とあります。
ざっくりいってしまえば、「人に親切にすることは、相手のためにも自分のためにもなる」ということですね。
さきほどの引用の中に合わせて書いてあった誤用も興味深いなと思いました。
「情けは人の為ならず→親切にするのはその人のためにならない」という使い方です。
意味が真逆に近くなってしまっています。
小学生の頃、この使い方をして「意味が違うよ」と教えてもらったのをよく覚えています。
少し古いですが、平成22年の文化庁が行った調査では、情けは人の為ならずの意味を人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならないと回答した人の割合は45.7%、正しい意味を回答した人は45.8%だったそうです。
普段、「為ならず」というあまり使わないような言葉遣いの影響もあり、このような結果になっているようですね。
情けは人の為ならずは、私が大切にしようと思っていることが込められている言葉の1つでもあるので、人に伝える際には、この辺りの意味の浸透具合も考慮していく必要がありそうです。
生活の中に考え方を取り入れる上で気を付けたいと私が思っていること
「情けは人の為ならず」の言葉を私が大切にしたいなと思っている理由は、【人に親切にすることへ踏み出す一歩を後押ししてくれる力があると感じるから】です。
そんな私が「情けは人の為ならず」を生活の中に取り入れる上で私が気を付けていることが一つあります。
それは、「人に絶対に親切にしなくてはならないというルールにしない」ということです。
私の性格もあるのですが、絶対のルールになった途端に守るのが義務みたいな感じがしてしまいます。
そして、義務みたいなことにしてしまっては、この言葉を大切にしたいと思っている理由から離れてしまう気がするのです。
そのため、「自分が行動を起こす時の一歩を踏み出す勇気をもらう」というスタンスで「情けは人の為ならず」を活用していきたいと考えています。
新戸部稲造さんの言葉からさらに考えてみる
「情けは人の為ならず」は新渡戸稲造さんの言葉の一部と言われています。
その全文は、
となっているようです。
続きの部分は、ざっくり言えば「人にした親切は忘れたとしても、人にしてもらった親切は忘れずにいよう」という意味が含まれていると捉えられます。
この部分も、私が「情けは人の為ならず」が好きな理由の一つでもあります。
当たり前と言えば当たり前のことなのですが、実践するのが難しいことでもあると思うのです。
日常生活では「自分がしたことに意識が向き、してもらったことには意識が向きににくくなる」という逆の思考になってしまうことが少なくないからです。
見えないところや気付かないところで、たくさんの人に支えられているということを忘れずに生活していけるようになりたいなと思います。
そのためにも、「情けは人の為ならず」を心の中にしっかりと留めておきたいなと考えています。
今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました😊
また明日の記事でお会いしましょう!
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