ヤーワキ

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最近の記事

アフリカの歴史の意味②

本当の歴史を取り返す。 それがアフリカ史研究の課題だし目的である。 この考えに触れて以降、アフリカ史や歴史学全体に対する考え方が変わったといっていい。 歴史を勉強するのは過去の事柄から現代にも役立つ何かを学ぶこと。 そんな風にしか考えてこなかったが、自らの先祖がその土地でどんな生活していたのか、そして、自分とはどんなアイデンティティがあるのかを知ることが歴史を学ぶ意味でもあるのだとアフリカ史を学んで思った。 ご存知の通り、アフリカは奴隷貿易や植民地支配、そして現在も

    • アフリカの歴史の意味①

      「歴史を勉強する意味って何なの?」 と理科教師である父親に聞いたことがある。 テスト勉強が面倒くさくてやりたくないからそれを正当化するために質問したわけではない。ただ何となく気になった。 「過去の出来事から今現在も役に立つことがたくさんあるから学ぶんだよ」 という父親の回答は、今考えてみると教科書通りの返事で、さすが教師といったところだ。 中学生くらいになると、社会科の中の歴史は暗記したらいい点数が取れるだけの教科というくらいにしか思わなくなっていた。 だから工業

      • 経験上最も緊張した陸路国境越え 後編

        タンザニアの旅は本当に大変だった。長時間心地よくないバスの椅子に座り続けるという苦行もさることながら、出発しないバスを待ち続けるのも大変だった。インターネット環境は皆無、炎天下のなか特にやることもない人間にとって、楽しいことは食事以外になかった。食事といっても散々食べてきたチップス(フライドポテト)を毎回頬張り、空腹を満たす作業である。その作業をするのが毎日の楽しみだった。 カセシャというド田舎で国境越えをしてザンビアに入った。入国審査を終えて、両替を済ませていざ近くの町で

        • 経験上最も緊張したタンザニア-ザンビア国境 前編

          アフリカでの移動は大変である。「激キツタンザニア移動」という記事でも書いたが、何時間もバスの中で待機してようやく出発ということもざらである。何より満員で走らせた方がいいという乗せる側の都合が最優先されるわけだ。下のリンクから読んでいただけるありがたいが、それがどのアフリカの国でも当たり前のことだと思い込んでいた。 ルワンダを出てウガンダを経てタンザニアのスンバワンガというザンビアに近い町に着いた。バスターミナルに隣接する安宿に宿泊することを決めて、寝ることにした。管理人さん

        アフリカの歴史の意味②

          市立札幌病院への道 後編

          こんなお願いはできればしたくなかった。しかし、この可能性があると頭ではわかっていたからお願いせざるを得ない状況だった。 帰国してから4日ほどたち、急激に高熱と倦怠感にうなされた。もちろん2019年2月の話である。コロナではない。 嫌な気はしていた。インフルエンザでもノロウイルスでもないと言われ、自分がどのようなところに直前までいたかも理解している。 「あぁ本格的にあの可能性を考えないといけないのだ」 そして、ノロウイルスの検査が陰性であったことを告げに来た医師に対して

          市立札幌病院への道 後編

          市立札幌病院への道 前編

          インドネシアで最後に泊まっていたゲストハウスのドミトリールームに一匹の蚊がいたのを覚えている。 2019年2月の中旬に無事帰国し、高専に行って挨拶したり、家族とこれまでの話をしたりしていた。 帰国から3,4日たったある日、突然の高熱と倦怠感に襲われる。もちろん食欲もないし、下痢もしていたと思う。 時期的に完全にインフルエンザだと思い、近くの病院に行く。しかし検査をしたが陰性であり、翌日また来るように言われる。 何だろうと焦りだした。 「可能性としては、ノロウイルスか

          市立札幌病院への道 前編

          マラリア対策と予防接種について

          薬物中毒のごとく、両腕にいくつもの予防接種の痕をつけて高専の寮の風呂に入っていった。 苫小牧市にある、特殊な予防接種もしてくれる病院は一つだでである。さくらファミリークリニックというところだけだ。もちろんインフルエンザとかの予防接種を受けるわけではないので、専門の病院に行かないといけない。 私が受けた予防接種は、A型肝炎、B型肝炎、黄熱、髄膜炎、腸チフス、狂犬病、ポリオ、破傷風、日本脳炎である。 その内、腸チフスはさっぽろ内科クリニックで、黄熱は新千歳空港検疫所で受けた

          マラリア対策と予防接種について

          激キツタンザニア陸路移動

          「こんな寒空の下、未来ある21歳の青年を待たせて、凍え死んだら道南バスはどう責任を取るのか!!!」 5分しか遅れていないバスに乗り込んでから、 「日本に帰ったらこんなことでもイライラするんだな」と冷静になって不思議な気持ちになっていた。 . . . . . . . . . ウガンダから入国後、ド田舎の町を泊まり歩き、 「英語っぽい言葉をしゃべる中国人ぽいひとが来た」 的な不思議な視線を送ってくるタンザニア人。スワヒリ語で話しながらこの空間の中で明ら

          激キツタンザニア陸路移動

          赤ちゃんもそりゃ泣くわ

          激キツタンザニア陸路移動は、タンザニア入国前のウガンダで始まっていた。 . . . . . . . ウガンダのマカサという町からタンザニアとの国境の町ムツクラまでのバスを探していた自分に案内されたのはただの乗用車だった。5人乗りくらいの。しかし乗車後数十分もすると、運転席と助手席に合わせて4人、後部座席に6人乗っているではないか。 . . . 一応お金を払っているから日本のそれとは違うが、一般人の車に乗っているということを考えるとヒッチハイクのような状

          赤ちゃんもそりゃ泣くわ

          家主と家政婦はよく不倫するものなのか

          ディスカッションの多い語学学校に通いながら、ルワンダ最初の2ヶ月を過ごしている。多くの場合ディスカッションのトピックになるのは、真面目な話題だ。 「ルワンダをはじめアフリカ諸国はいかにして発展していくべきか」や 「現代的な暮らしがいいか、伝統的な暮らしを重んじるべきか」など。 そして、政治的なものや植民地支配などの歴史的なときもある。詳しくは下のリンクから「アウェー会場でW杯」を見ていただけるとありがたい。 https://note.com/syogokarafuke

          家主と家政婦はよく不倫するものなのか

          アウェー会場でW杯

          私はルワンダで語学学校に通っているわけだが、そこではよくディスカッションをする。 しかし、まぁ変わった学校だと常々思う。正確にいうと、ほかの学校を知らないので変わっているかそうでないか判断はできないが、一人の日本人として参加していると戸惑うことも多々ある。 . . . . . . 毎週金曜はディスカッションの日ということで90分間与えられたトピックについて議論をする。10人以上集まって一斉に議論する場合と、数人のグループを作りディベートするときもある。 . . . .

          アウェー会場でW杯

          これだからルワンダ人は

          ルワンダに来て2ヶ月以上がたち、宿を変えて空港近くの現地のゲストハウスに住んでいる。 . . . . インターンシップも始まり、日が暮れる時間帯にキガリの中心部にあるバスターミナルでバスを待っていた。一時間に一本くらいしかない、空港方面に行くバス。そのバスの座席をゲットしようと多くの人間が列を作って待っている。もちろん私もその中の一人だ。 . . . . . 東日本大震災のときに、配給の水や食べ物をみんな一列に並んで待つ日本人の姿に多くの国の人間が驚いた。 しかし、我々

          これだからルワンダ人は

          アン・ハサウェイは目をこする

          調べてみると、サラテクトのリッチリッチという商品が日本で買える最も強い虫よけスプレーのようだ。それを携えてアフリカに向かおう。 . . . . . ご存じのように、アフリカではマラリアや黄熱などの蚊によって媒介される病気がいくつかある。黄熱に関しては、行くにあたり予防接種を受けないと入国できないので強制的に受けさせられる。 蚊に刺されないというのがすごく重要なことなので、強い虫よけスプレーを買って持っていく。 . . . . 最初の1ヶ月間の日本人ゲストハウスでの生

          アン・ハサウェイは目をこする

          お願いだから助けてください

          エンテべ国際空港の駐機場に止めてある小型飛行機に向かって歩いている。 ガチガチである。今目の前にある30人ほどしか乗せれない空飛ぶ金属の塊は私がこれまで乗った中で最も小さいサイズだ。 下にあるリンクを先に読んでいただけるとありがたい。 https://note.com/syogokarafukegao/n/n666201104311 「アフリカン4DXとは」という記事に私が体験してトラウマ化したことが書かれている。 . . . . . . . . 2020年1月6

          お願いだから助けてください

          アフリカン4DXとは

          「飛行機乗るとなんかワクワクするよね!」 同じ研究室の友達にこんなことを言われたことがある。呑気なものだ。毎回死ぬ覚悟で私は搭乗しているのに。 . . . . . . . . 2018年11月、ジンバブエでの滞在を終えてマラウイに移動しようとしていた。 ジンバブエからマラウイに行くにあたり陸路移動ではなく空路で行くと決めた。ずっと陸路移動を繰り返してきた私からすると、なぜか敗北感がある選択だった。もちろん旅の方法に負けなどない。 しかし、「私はバックパッカーである」

          アフリカン4DXとは

          ムランビジェノサイドメモリアルでの記憶

          私は今、数十体の遺体の前に立っている。 白骨化したそれらは今にも動き出しそうに寝かされているのである。 キガリからフイエのバスターミナルまで2時間ほど。そこからガケンケのバスターミナルまで1時間ほどかかる。ガケンケからバイクタクシー通称”モト”に乗ってムランビジェノサイドメモリアルに向かう。 かなりの田舎であることから、帰りの時間をモトの運転手に伝えて迎えに来てもらう。 着いたその広大な敷地には平屋が並ぶ。門をくぐって最初に見える建物は2階建てであるがそれ以外は細長い

          ムランビジェノサイドメモリアルでの記憶