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ムランビジェノサイドメモリアルでの記憶

私は今、数十体の遺体の前に立っている。

白骨化したそれらは今にも動き出しそうに寝かされているのである。







キガリからフイエのバスターミナルまで2時間ほど。そこからガケンケのバスターミナルまで1時間ほどかかる。ガケンケからバイクタクシー通称”モト”に乗ってムランビジェノサイドメモリアルに向かう。

かなりの田舎であることから、帰りの時間をモトの運転手に伝えて迎えに来てもらう。

着いたその広大な敷地には平屋が並ぶ。門をくぐって最初に見える建物は2階建てであるがそれ以外は細長い平屋である。

5月5日に初めて来たときは他に客はいなく、管理人をしていると思われる人をガイドとして独占できた。

挨拶もそこそこに敷地内をガイドしてくれた。彼曰く、ここは元々学校で、ジェノサイド期間中に多くのツチ族が逃げてきたらしい。教会や役人がここに逃げれば安全だといったからである。しかし、その情報はフツ族側が作り上げた罠で、その学校で多くのツチ族が犠牲になったという。ルワンダのカトリック教会もジェノサイドを支援したとされている。

そんな説明を受けながら、

「ここの穴は死体を埋めるために掘ったものだよ」とか

「ここにある文房具は殺された子どものもの」というように一つひとつ丁寧に教えてくれた。


いくつかの平屋を回りながらそこに展示されているものの説明を受ける。

そして次にどのようなものが展示されている場所に案内されるのかわからなかったが、少し低くなっているところに降りていった。

その平屋の入り口に立つまで何が展示されているかわからなかった。いや、入り口に立ってなお、何が置かれているか明確には認識できていなかったと思う。しかし、ガイドのおっさんの顔がより暗くなったことを確認した。








私は今、数十体の遺体の前に立っている。

白骨化したそれらは今にも動き出しそうに寝かされているのである。

ある者は眩しそうに顔を手で覆い、

ある者は立ち上がろうと手を伸ばし、

ある者は狭いベッドで窮屈そうに、

ある者は赤ん坊を抱いて、


平屋に入った瞬間の異臭とともに目の前に現れたのは木のフレームだけでできたベッドに寝かされた遺体だ。

込み上げてくるものがある。わからない。なぜかわからないが。

この目の前に広がる圧倒的に冷たく、悲惨な、しかしある意味生き生きとした表情をもつそれぞれの遺体に、この場に自分を寄せ付けない力を感じる。


目などとっくに失ったはずの顔が私を睨む。

生を渇望し、しかし現実に失望したような目だ。

見ないでくれ、私を見ないでくれ








2018年5月5日の日記は4行のみで終わって、ムランビに行ったということのみ書かれている。あの風景を言葉に表すことがどうしてもできなかった。いやここに書かれている表現も正しい保証はない。

言葉などで表す限界をゆうに超えていると言わざるを得ない。何万回、何千回他人からムランビの感想を聞こうが理解することはできないだろう。

皆さんが少しでもルワンダという国やジェノサイドに興味を持ち、考えてくれることを願っています。

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