激キツタンザニア陸路移動
「こんな寒空の下、未来ある21歳の青年を待たせて、凍え死んだら道南バスはどう責任を取るのか!!!」
5分しか遅れていないバスに乗り込んでから、
「日本に帰ったらこんなことでもイライラするんだな」と冷静になって不思議な気持ちになっていた。
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ウガンダから入国後、ド田舎の町を泊まり歩き、
「英語っぽい言葉をしゃべる中国人ぽいひとが来た」
的な不思議な視線を送ってくるタンザニア人。スワヒリ語で話しながらこの空間の中で明らかな異物である私を見ている。
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ケモンド‐カハマ‐タボラ‐イニョンゲ‐スンバワンガという5泊6日で何とかタンザニアを無事抜けることができた。本当にタンザニアという国は大きい。
この間ずっとバス移動をしていたわけだが、毎回大きな街を移動するたびにバスの出発を待つ。
日本には、タイムテーブルという素晴らしいシステムがあり、出発時刻と到着時刻からどこに何時に行けるかわかるわけだ。
しかし、そのシステムはタンザニアの田舎には少なくともない。
タンザニアには、ミニバンであろうと大型バスであろうと満席にならないと出発しないという大原則が存在する。
もちろん旅する前に知っていたが、これほどまで苦労するとは思っていなかった。
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タボラからイニョンゲに移動しようとしていた日、ダラダラ朝起きて、9時くらいにバスターミナルに行った。イニョンゲ行きのバスは会社は2社あり、料金は同じ。どちらを選ぼうとあまり変わりはない。しかし、少し大きい方のバスの前には優しそうなお兄さん、それより小さい方のバスの前にはいかつめの黒人男性が立っていた。
特にどちらに話しかけられたわけでもないし、それ以外の情報もないので私はビビって優しそうなお兄さんがチケットを配っている大きめのバスを選んでしまった。
バスに乗り込み、家族ずれ一組が私より先に乗っていることを確認した。お母さんらしき女性と子どもが3人。よくある光景である。しかし、30人以上は乗れるであろうバスに私含めて5人しかいない。
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1時間経過。
全くもって乗客が増えない。心底暇である。時々ものを売りに来る売り子からお菓子を買って食べる。
2時間経過。
通りかかるガキんちょにじろじろ見られる。アフリカに来て半年以上経っている。もう慣れた。どちらかといえば有名人になった気分だ。
3時間経過。
全く動き出す気配なし。1時間に一人くるか来ないかというレベル。満席には程遠い。売り子からチップス(フライドポテト)を買って食べる。
4時間経過。
様々なものをぶら下げた売り子が車内に入ってきては出ていく。どんなものが売られているかまとめてみる。食べ物はオレンジ、バナナ、チップス、食パン、アンダーシ(大きな甘くないドーナツ)、トウモロコシ、豆。飲み物は水や激甘の炭酸。そのほか、イヤホンやUSBなど小物の電化製品的なやつ。時々使えそうもない太陽光パネルもぶら下げている。
5時間経過。
午後2時である。ついに動き出す。
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簡単に言って、このような移動を繰り返していた。時には、暇すぎてノートにいかに暇という字をきれいに書けるかということに一人挑戦したときもあった。
隣にあった厳つめの黒人の方のバスはこのバスの1時間前くらいに出発している。
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