これだからルワンダ人は
ルワンダに来て2ヶ月以上がたち、宿を変えて空港近くの現地のゲストハウスに住んでいる。
.
.
.
.
インターンシップも始まり、日が暮れる時間帯にキガリの中心部にあるバスターミナルでバスを待っていた。一時間に一本くらいしかない、空港方面に行くバス。そのバスの座席をゲットしようと多くの人間が列を作って待っている。もちろん私もその中の一人だ。
.
.
.
.
.
東日本大震災のときに、配給の水や食べ物をみんな一列に並んで待つ日本人の姿に多くの国の人間が驚いた。
しかし、我々からするとごく当たり前のことで、どちらかと言えば自己中心的な行動をとり、そのあとに誰からも信用されずにコミュニティの外に追い出されることの方が怖いことである。
.
.
.
.
そんな国で育った者として、海外を旅するとアワアワしてしまうことがよくある。
例えば、ラオスからベトナムに陸路国境越えをするときのこと。数少ない出国審査の窓口の前には大勢の人だかりができる。皆一列に並ぶというようなことはなく、我先に出国してやろうとやっけになっている。
そのような状況下においては、少し図々しく前に出て自分の審査を終わらせないと一生出国することが出来ない。
しかし、日本という集団行動を重んじる国に生まれてしまったからには、やはり皆を押しのけて自分だけ先にしてもらおうなどと考えることはできない。そのため、早く来た者が先に権利を得るという形で列を作るのだ。それが世界中でも共通の認識であると信じていたがそうではないようだ。
だからこそ多くの日本人バックパッカーは最初戸惑う。そのようなシチュエーションが途上国を中心に多くあるからだ。
しかし、ルワンダ人はしっかり一列に並ぶのだなと感心しながらその空港方面のバスを待っていた。
.
.
.
.
.
.
一時間近く乗るそのバスでは何としてでも座りたい。多くのこの列に並んでいるルワンダ人も思っていることだろう。
(ここくらいにいれば確実に座れるかな)とか
(ここはもしかしたらずっと立つ羽目になるかもしれない)とか
毎日いろいろと考えていた。
.
.
.
.
.
.
その日は微妙な位置にいることを悟っていた。ずっと立つ羽目になるかもしれない。
.
.
.
.
.
.
.
近づいてくるバスに多くの人が視線を向ける。列の先頭に立っている人の前にバスの前側のドアが止まり、少し間隔をあけて並んでいた人々の列が引き締まるように狭くなる。
僕の前に並んでいた女性も前に詰めたので私も詰めようと足を踏み出したときに、斜め後ろからひょろ長い青年が私の肩にタックルしたかと思うと私の前に割り込んだ来た。
何ということだ。せっかく数十分も列に並び待っていたのに。
(なんやねんこいつ!)
文句を言ってやろうと思ったがあまりうまく言葉が出てこず、前を譲るということに状況的になってしまった。
(クソ野郎)
バスに乗りながら心の中で毒づいていた。
(これだからルワンダ人は)
.
.
.
.
.
.
しかし、まぁまだ座れないと決まったわけではない。空席の具合によっては全然あり得る。俺にタックルした青年に続いてバスに乗り込む。あたりを見渡し、やはりほとんど空いていないことに気づく。しかしどこか空いていないか探していると、バス中央付近の通路側の一席空いていることを確認する。しかし、順番的にはその青年が座ることになった。そして、満席となり吊り革しか残っていないことを確認した。
.
.
.
.
(何ということだ、クソガキが!)
(俺にタックルしてきたやつが最後の一席に座ったではないか)
(信じられない、気に食わない)
(どんな面してやがる、人から奪った席に座ることがそれほどまでに気持ちがいいのか)
(全くもって理解できない)
(これだからルワンダ人は)
.
.
.
.
まぁとにかく、ありとあらゆる言葉を心の中で彼に浴びせかけていた。罵詈雑言である。そして、何食わぬ顔で座っているその青年の顔を睨みつけて、いら立ちを伝えたかった。
まだ動き出さない車内で一人しかめっ面になる東洋人。
.
.
.
.
.
.
.
遅ればせながら、また僕より後ろに並んでいた人間がぞくぞくと車内に流れ込んでくる。その中に高齢の女性も混じっていた。
その高齢の女性はバスの奥に進み自分の立ち位置を探していた。そのとき、一人の男性が彼女に席を譲った。
一瞬「え!!」っと思ったが、すぐに怒りは消えて、自分の顔は平和な表情になった。
(なんだよあいつ、割り込んできたくせに、譲りやがって)
(クソガキのくせして)
(これだからルワンダ人は)
(憎めない)