大人目線の「インクルーシブ」それは、その子の気持ちを拾えてるの?


こんばんは。久しぶりに割と真っ暗じゃない投稿を。ここ最近話題になってる、日本の「インクルーシブ教育・保育」への取り組みの遅れ。

そもそも、分離教育・保育は、障害があるこどもたちが対象でした。

でも、インクルーシブ教育・保育って、障害の有無だけじゃなくて、特別な教育的ニーズを必要とするこどもも含めた全てのこどもたちに向けた教育・保育じゃなかったっけ?

あれ?障害の有無だけに囚われてません?
って思っている部分も。

特別な教育的ニーズをもつこどもたち…
(あくまで、今の私が考えられたことだけです。)

・身体障害(視覚(弱視含む)・聴覚(難聴含む)・肢体不自由・内部障害・医療的ケアが必要等)、知的障害、病弱・身体虚弱、発達障害、情緒障害など、
以前から、いわゆる特別支援教育の対象になっていたこどもたち

・他国にルーツを持つこどもたち

指導や関わりの具体例:
コミュニケーションの面や他文化への配慮を含めた指導や関わりなど

・HSPや感覚過敏がある、又はAPD(聴覚情報処理障害)があるこどもたち

指導や関わりの具体例:繊細さによる心の負担や感覚過敏のよる易刺激性、APDによる聴覚的な情報処理の苦手さに配慮した指導や関わりなど

・生育歴や家庭環境に難しさを抱えている
こどもたち(言葉が難しすぎるので敢えて割愛します。同じ状況に置かれていてもこどもたち一人ひとりの想いはそれぞれ異なるので私は敢えて詳しいことは書きません。ただ、なんらかのSOSを行動や体調で表出していることもあると思います。)

指導や関わりの具体例:
そのこどもたちそれぞれを多角的に捉えて関わること、多職種での連携など

(指導や関わりの具体例が大雑把過ぎで申し訳ないです。ただのインクルーシブ教育・保育ヲタクで、教育関係者ではないので…)


インクルーシブ教育・保育の向かう先は、
決して障害の有無だけじゃないはず。

だからこそ、知識が大人の目線以外にも目を向けてほしいです。


そしてね、「その子の気持ちを拾えてるの?」っていう敢えて強めなタイトルにしてしまいましたが(教育関係者でも無いのにすみません)

それは、自らの体験からです。

私が在籍していた、情緒特別支援学級の教室は、揺るがない私の居場所になってくれました。

以前の記事に

「私は中学時代、情緒特別支援学級に在籍していました」
と書きました。

理由は色々とあるのですが、通常学級から籍を移したのは、

紛れもない私の強い意志です。

(※)ここからの流れや気持ちの中で元養育者とのやり取りもあるのですが、フラッシュバックの引き金になりそうなので、割愛させていただきます。また、事務的な部分には、一部加工があります。
勿論、学級の体制や成績評価などの重要な部分、私自身の想いは事実として書いています。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

中学校入学後、

周りの同級生と馴染めない。話がわからない、暗黙の了解がわからなくてトラブルに。校則やそれ以外の決まりが多すぎて覚えられない、適応しきれない。不定愁訴を起こし過ぎて授業どころじゃない。(不定愁訴の原因は学校内でのストレスだけでは無かったです)衝動性が強過ぎて、パニックになるとその場から脱走。集会が怖い。

私は数え切れない困りごとに直面しました。

これじゃあ、むり。身体も心も続かない。
周りの同級生の目が怖い。授業も集会も私は受けられない。


「苦手だし嫌になることも沢山あるけど、
教室っていう場所で勉強はしたいし、
高校にも行きたい。誰かと話したいけど、
このクラス(通常学級)は色んな刺激が強すぎる。」

「もし、少しでも教室に居やすくなるなら、
教えてもらった〇〇中学校の情緒特別支援学級に転校(転籍)してみたい。」

当時、感じていた言葉にならない思いを、
大人の私が思い出して言語化したら
この2つの言葉になりました。

その中で、こどものこころの不調の診療に当たっている病院をたまたま受診することになって、身体表現性障害の診断を受けました。
(その病院に繋がったことは、今思い返すとラッキーが重なりました)

身体表現性障害の診断にも後押しされて、
私は、情緒特別支援学級がある学校に転校を決めました。(当時の居住地の学区の中学校に情緒特別支援学級が無かったんです、実は…。そして当時、心理検査(多分WISC)を受けたけど、ASDの診断は出なかったらしい…)

身体表現性障害の医師の診断書を持って、
教育委員会に転校と情緒特別支援学級への転籍の判定?をお願いし、受理通知をいただいて、無事、情緒特別支援学級に転籍しました。

転籍を決めた理由と、転籍までの流れはこんな感じです。

転籍後、その中学校は、特別支援学級も学年別に教室が別れていました。(学校自体が
割と大規模校だったのかも。)
当時、私は1年生だったので、1年生の教室で授業を受け始めます。先生方は教科担任制でした。
(特別支援学級担当の先生方の人数に限りはあったので、恐らく免許外申請をされて、
複数の教科を一人の先生で教えることも多かったのですが…)

授業時数も通常学級在籍時より、少し減りました。

転校先の中学校の通常学級の子たちとは
出題される問題は違うし、回数は少ないけど、定期試験もあって、通知表も数字による段階評価です。

定時制や通信制も含めて高校進学を
見据えた勉強する学級でした。

(つい最近、多くの情緒特別支援学級で通知表の数字による段階評価が殆どなされていないのを知って、「え?そうなの!」ってなりました。)

通知表についてはほんとに難しいと思うんですが、私が在籍していた学級のこどもたちはは、知的障害を有していない発達障害の子や
行動障害などの情緒障害の子、身体虚弱にも当てはまりそうな子が多くて、勉強自体は、通常学級の生徒と同じ内容でも大丈夫だけど、毎日学校に登校すること、落ち着いて授業を受けることが難しいという状態でした。

多分、個別学習ではなくて教科担任制の授業、かつ扱う授業内容は殆ど同じ(時数が少ないから所々端折るけど)という点から段階評価ができた部分もあったのかな…

ちょっと話が逸れましたね。


特別支援学級での授業は肩の力を抜いて受けられました。先生との距離が近いこと、大声で怒鳴る先生がいないから困ったことも伝えやすい。

誰かがパニックになってもクールダウンできる場所もありました。

一学級の人数が少ないので、授業自体も落ち着いて受けられる。時々騒がしくなっても、クラスの人数が少ないからしれています。

人数が少ない分、話せる友だちも自分のペースで出来ました。

良い点ばかり書きましたが、勿論、悩みもありました。

授業内容を端折ることもあったので、高校受験の勉強が大変。

障害診断の有無に関わらず、全員多感な時期のこどもたちなのでどうしても、いじめはなくても人間関係のトラブルはありました。

何度も転びながらも、
私は卒業までの時間を、情緒特別支援学級で過ごしました。


大人になった今、あの時を振り返ってみると、

中学校時代の私は「ここ(情緒特別支援学級)にいていいんだな、ここは私の居場所になってくれてるな」と思えてたんだな、
と感じました。

周りの通常学級の同級生との目には見えないけど圧倒的な違い、何が私とは違う彼らと
上手くコミュニケーションを取れないこと。中学校・通常学級という環境に適応出来なくて途方に暮れていたこと。

でも、同じクラスの子たちと話していく中で、

「そうやって、悩んでたのは私だけじゃなかったんだな」

って思えました。

自分が関係してるかの有無に関わらず、周りで人間関係のトラブルが連発することも珍しくなかったし、これでもかというくらい泣いたこともありました。

でも、「ありのままの私でも認めてくれる友だちとか先生がいるんだな」

って思えました。

そんな人や場所と繋がれて、ほんとに良かった、って大人になった今も思います。

当時は、今以上に気持ちを言葉にすることが苦手だったので、こうやって文章にして言語的に自覚することは難しかったのですが、

ほんのり温かい気持ちとして、心強い経験として、情緒特別支援学級での日々はあの時の私の心に刻まれていました。

だからこそ、私にとっては特別支援学級という学びの場が必要でした。


なので、

分離教育・保育<インクルーシブ教育・保育とは一概には言えないと私は思います。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


出来るのであれば、

こども自身の意志で学ぶ場所を決められるように、配慮してほしい、と私は思います。

勿論、年齢や障害の程度でみんながみんな、全て叶うことではないと思うし、保護者の希望もあると思います。

だからこそ、インクルーシブ教育・保育という概念が大切だということもわかります。


あと、むしろ、自分の意志で決めた学ぶ場所でも「ここで勉強するのは、なんか違うかも」と後々、本人が思うことだってあると思います。

学ぶ場所に関して、柔軟性を持った制度が
あるのが一番なのかな、と思います。

(例:「特別支援学級に在籍してるけど、なんか違うかも、通常学級に転籍して加えて通級による指導で学びたいな」→「(時間はかかるけど)OK」みたいな感じが理想)

勿論、理想なのでそれを当たり前に望んで当然のように要望として押し付けること自体はいいことではないと思います。

学校も先生方にも限界はあって、
制度が柔軟性を持つようになっても、
学ぶ場所の切り替えに時間はかかると思います。

でも、「時間はかかるけど、できる!」というだけでも希望になりうるのではと思います。


色んな意見はあるし、私の意見は一当事者としての意見に過ぎないです。
むしろ、授業の内容面や、成績評価の面、
高校進学に対する先生方からのサポート面で、環境的に凄く恵まれていたからこそ言えることなのかもしれません。


でも、情緒特別支援学級がちゃんと私の居場所になってくれた場所だったからこそ、

私は特別支援学級という学びの場は、なくなってほしくはないです。

どんなに合理的配慮をしていただいても、
周りの同級生と同じ場で学ぶことは、
私にとってはしんどかったと思います。

そう思ってる人が自分だけじゃないのも、そこで出逢った子たちとの関わりで感じました。

教室が違ったからこそ、学べたこともある。

特別支援学級という学びの場が必要なこどもたちがいる。

それを知ってほしいなと思います。


そして、私は情緒特別支援学級での日々から、高校進学後、「障害がある人と関わる仕事をしたい」と思うようになりました。
大人になるに連れ、また様々な経験を重ね、環境が変わる中で、やってみたい職業や分野、取得したいと思う資格は変わっても、

体調が悪くて毎日しんどい今でも、
「障害や病気がある方に、当事者に関わる家族に対してどんな関わりをしていけるのか、どんなことが私たちに出来るのか、
厳しい現実ではあるけど、可能な限り向き合いたい」
その想いは超絶強いです。

最後は完全に私情なんですけどね(笑)

色んな想いを持つ人がいるからこそ、その想いにも目を向けて下さると嬉しいです。

稚拙な文章ですが、最後までお読み下さってありがとうございました☺


追記:
私の経験を元に書いていますので、ここでは特別支援学級という学びの場がメインで出てきています。学びの場は多様です。多様であるべきです。

この記事は私の経験が元なので、特別支援学級の視点が殆どであることをお許し下さい。


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