
Photo by
kind_fairy629
悲しむことを肯定しよう
悲しいことが起こったとき、悲しめていますか?
わたしは「悲しんだらいけない」という思いが心の奥底にあって、悲しみ切る、ということがなかなか難しく感じています。
二年ほど前の読書ノートと読み返していました。
『対象喪失』という人の悲しみについて詳しく説明されている本です。
この本にこんなことが書いてあります。
対象に対する思慕の情は永遠に残り、対象と二度と会うことのできない苦痛は残る。
それをどうすることもできないのが人間の限界であり、現実である。
大切なことは、その悲しみや思慕の情を、自然な心によって、いつも体験し、悲しむことのできる能力である。
対象というのは愛する存在で会ったり、社会的立場であったり、自分自身であったり。
自分自身を支えているもののこと。
失った対象を断念することはできるが、それは悲哀を感じなくなるという意味ではない。
この文章を読んで、悲しんでいいんだ、って思えた。
わたしは両親との関わりのなかで「わたしに悲しむ価値・権利はない、わたしの感情はいらない」と受け取ってしまうことが多かった。
22歳になってから「あ、悲しむ権利がないって無意識で思ってるな」って感知できるようになった。
それで悲しみが消えるわけではないけれど、不思議と悲しみがやわらぐというか、悲しみが大きな雫で包み込まれるような感覚になる。
わたしには悲しみを感じる権利がある。
悲しみを表現する権利がある。
悲しいことが起こったら気持ちを押さえつけてなかったことにしようとするのではなく、感じて、深ぼって、共感して、癒して、訴えて、現実に反映させていく。