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「子育てが苦しい」と思うすべての親に読んでほしい話-子育ての難しさは、平等じゃない

最近、子育てに関する学術的な本と、トラウマ理論などの学術的な本を平行して読みながら、癒しに関する学びを深めています。

自分自身が経験として痛いほどに感じていることがあって。

それは、世の中に出回っている子育て本が、親自身がトラウマ*を抱えていることを前提とした上で、「その状態の中で、じゃあどうやって子どもと向き合って、しっかりとした愛着を築いていけばいいのか」ということを書いていないということです。

*ここでいうトラウマとは、それが親である自分が、大人になってから経験したもの(例えば、パートナーからのDVや精神的な暴力など)。そして、幼少期の親との関係性の中で育まれた "複雑性PTSD" と呼ばれるものの両方をさしています。

世の中にでまわっている一般的な子育て本や、インターネットなどで見つけることのできる子育てに関係した情報の多くは、「子どもとしっかり寄り添ってあげましょう」という杓子定規な、耳障りのいい言葉しか言ってはくれません。

それは、しっかりとした愛着を幼少期に築けていたり、PTSDと言われるようなレベルでのトラウマを抱えていない人にとっては、それだけで十分に役に立つ情報なのかもしれません。

もちろん、前提として、子どもとしっかり寄り添ってあげることが、子どもの自己肯定感だけではなくて、子どもの脳の発達や、自律神経系の安定、そして「漠然とした安心感」を養うために重要なことは、言わずもがなです。

けれど、自分自身がトラウマを抱え、そのフラッシュバックに苦しめられてしまっているような人。もしくは、幼少期の親との関係の中で、複雑性PTSDといわれるような愛着障害や、自律神経系の乱れが日常化してしまっている人にとっては、その情報だけでは圧倒的に足りないのです。

わたし自身、何度「そんなことは分かってんねん。それができひんから、困ってるねん」と、憤りや悲しみ、どん詰まりの絶望感を味わったのか、数えきれません。

この記事では、今までに自分が体験したことや、さまざまな世界中のトラウマや愛着に関する研究結果に基づく学術書などを読んで学んだことを絡めて、「トラウマを抱えている親にとっての子育て」について、書いていこうと思います。


トラウマを抱えている親が、子育てを「難しい」と感じる理由

なんらかの形でのトラウマを抱えている親が、子育てをすることを「難しい」と感じるのには、理由があると思っています。

そして、多くの場合、この「難しさ」は、同じように子育てをしている他のママ友や、世間一般の人には、なかなか理解してもらうことも、寄り添ってもらうことも、共感してもらうこともできません。

そのことが、余計にトラウマを抱えている親にとって「孤独感」や「自分が(親として、もしくは人として)おかしいのかな?」という絶望感に追い立てていってしまいます。


子ども自身がフラッシュバックの原因となる

どのようなトラウマを抱えているのかによって、状況は十人十色だとは思います。

しかし、トラウマを抱えている親、特に(元)パートナーとの関係性の中でふかいトラウマを負った親にとって、一番の苦しみと葛藤の種になるのは、「子ども自身が、自分のトラウマのフラッシュバックの原因となってしまう」ということがあると思います。

たとえば、既に離婚が成立していて、トラウマを植え付けたそもそもの原因のパートナーとの縁がもう切れていたとしても。身体は、当時の恐怖や不安を記憶しています。それがPTSDとして日常生活の中で表面化することもあれば、そうでないこともあるかと思います。

しかし、子どもとの日常の生活の中で、子ども自身が(その子の年齢相応な形で)癇癪を起こしたり、怒鳴ったり、叩いてきたり、叫んだり、暴れたりするようなとき。身体は自動的に、もう終わったはずの恐怖や不安を再生しはじめます。それがフラッシュバックの引き金となり、パニックを起こしてしまう。

目の前にいるのは、まだ小さくて、感情や思考をうまく制御できない子どもであることが "頭(思考)" ではわかっていても、パニックに陥った "自分の身体" は、いうことを聞いてくれません。なぜなら、パニックを起こしているときの身体の反応は、動物としての生存のための一番基本的かつ強力な本能が引き起こしている反応だからです。


恐怖や強いストレスを感じたときに身体の中で起こること(パニックの解説)

人が恐怖や強いストレスを感じたとき、自動的に身体(もっと正確に言うと自律神経系)は、「戦う」もしくは「逃げる」のどちらかの反応を試みます。

子どもとの関係の中で言うならば、子どもに対してキレる、怒鳴る、物に当たったり、最悪の場合は子どもに手をあげてしまうなどの反応をするのが「戦う」の反応です。

「そんなことをしてはいけない」という、親として、そして大人としての自分の思考が強く作動してくれる場合、今度は「逃げる」ことを試みようとするかもしれません。これは、子どもから離れて自分の部屋やトイレに逃げ込んで、鍵をかけて耳をふさごうとすることかもしれないし、「もう無理!」と叫んで、自分の気持ちが落ち着くまで、家を出ようとすることかもしれません。

でも、子どもがまだ小さいとき。そして、自分が「逃げる」反応をしてしまったときに、子どもの癇癪とやさしく寄り添い、安心安全を提供してくれるような信頼できる大人がまわりにいない場合、「逃げる」という手段もとることはできないと、あなたの親として、大人としての思考が働くかもしれません。

強いストレスや恐怖を目の前にしたときに「戦う」ことも「逃げる」こともできない場合、動物として自分の生命を守るために人が本能的(つまり無意識)にとる最終手段は「凍りつく」というものです。

「凍りつく」の典型的な例は、気を失ったり、急激な眠気に襲われて起きていることができなくなったり。身体も思考も固まって、ぼーっとしてしまって動くことも考えることもできなくなってしまうというような反応になります。

「凍りつく」という対処法は、生き物としての人間の脳が発達してきたさまざまな段階の中でも、一番古い脳(=爬虫類脳とも呼ばれるそうです)が起こす生存本能からくる反応です。

この反応を何度も日常的に繰り返す(繰り返さないといけない)状況が続くと、次第に人は「乖離かいり」といわれる精神状態に入っていきます。自分の身体の感覚や感情がわからなくなっていってしまうといった状態のことで、生存本能としては機能していますが、精神的な健全さでいうと、あまり健康的な状態ではありません。

また、「乖離」だけに限らず、「凍りつく」レベルでの恐怖の体験を何度もすることで、うつ状態に陥ってしまうこともあるのではないか。個人的な経験から、そんな風に感じています。


子どもにとって良い親となろうとすることが、自分のトラウマを深めてしまうことになるというジレンマ

トラウマを抱えている人にとって、子育てが難しい一番の理由は、「日常生活が、トラウマを引き起こしたり、再現させるような、強いストレスを誘発しつづける」状態になってしまうことだと思います。

これは、「子ども自身がフラッシュバックの原因となる」ことに由来しています。

特にこの状況をむずかしくさせているのは、子どもが悪いわけではないということです。

子どもは、ただ自分の発達段階におけるその時々での "子どもらしい" 反応をしているに過ぎません。ある意味、子どもが癇癪をおこしたり、泣き叫んだりするのは、とても普通なことであり、止めることもできなければ、回避することもできない(むしろ、する必要もない)ことなのです。

しかし、トラウマを抱えている親にとっては、子どもが "子どもらしい" 年相応の反応をすることが、フラッシュバックの原因となってしまって、とてつもない苦痛やストレスを感じてしまうことになってしまいます。


そのとき、親は、なんとかして子どもの癇癪を(強制的に)止めようとする方向に走っていこうとしてしまいます。もしくは、「こういうときこそ、子どもと向き合って、寄り添ってあげないといけない。それが子どもの健全な愛着を築いていく」とわかっている親は、自分の身体の反応を(力技で)押し込めて感じないようにして、子どもにとっての良い親であろうとします。

しかし、それは今度は親自身の生存本能である「戦う」もしくは「逃げる」の反応を奪ってしまうことになるので、「凍りつく」反応をする以外に手段がありません。そして結局、「乖離」の状態になるしか、子どもと接する手段を見出せなくなってしまうのです。

けれども、「乖離」の状態や「凍りつく」の状態に入ってしまっているとき、心身ともにフリーズしているので、子どもと健全で自然な愛着関係を築いていけるのかというと、それもまたできないのです。なぜなら、「凍りつく」モードに入ってしまっているとき(正確にいうならば、「戦う」もしくは「逃げる」モードに入っているときも)、人は「他者と安心してつながり合う」モードを完全にシャットダウンしてしまっている状態だからです。


世の子育て本が、トラウマを抱えている親にとって役に立たない理由

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