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希死念慮へのカウンセリング|絶望を理解して、ひたすら聴き続ける

質問箱にいただいた質問は、質問箱で変な行送りがあって、全文を読むことができなかったので、こちらで加筆修正してお届けします。

生きる理由がない人に、先生はどのようなカウンセリングをしていますか?

経済的困窮、失業による社会的孤立、被虐待経験とその後遺症、発達障害、LGBTQ、精神疾患など、死にたい理由は多々あります。

それらがあると生き地獄ですが、治療に通うなどして、死にたい要因を減らそうとしている時間は、実際には必要です。

もし死にたい要因が一つもなくなってしまうと、「生きる理由がない」に辿り着きます。 私は生きる理由がないと生きられないタイプです。
また、どこかで止められない自殺のタイプにも言及しておられましたが、私のようなタイプが、止めることが難しい自殺ですか?

高間しのぶの質問箱より

※今回の記事はラジオでも視聴できます。テキストを見ながらどうぞ▼

※この記事は、Twitterの質問箱に来た質問を深掘りして回答したものです。

■絶望を理解する

心理職が、自殺をくい止められるか?というと、そんなたいそうなことはできません。これが本音ですね。「死なないでほしい」と思って話を聴いてはいますが、「私にはくい止められる」と思って、話を聴いているわけではありません。

くい止めたいとは、普通に思いますが、くい止められると思うのは、人間のこころに対して不遜(ふそん)な思いがあるかもしれません。これは哲学の問題でしょうか。

心理職にできることは、相手の絶望を聴き続けることです。絶望を理解しようとし続けることです。死にたい気持ちを理解し続けることです。

この緊張の糸が続いている限り、相談者の方は死から一歩外に出ていることができるかもしれません。相談者もつらいですが、カウンセラーも気を抜けません。

この緊張の糸を張っておくことがカウンセラーの重大な役目になります。これによって死が後退していってくれるのを待っているのです。

死を後退させるのは相談者の気持ちひとつです。カウンセラーがその気持ちを後退させることはできません。キーは、彼らが楽になれば死は後退する、という原則です。

■希死念慮と医療

しかし、いくら聴いても、いくら理解しても、後退していかない希死念慮もあります。そのときは医療につなげることも必要です。入院と薬という手があります。これをリファーといいますが、リファーには重要なことがあります。

その最大の注意とは、リファーする場合、相談者は「カウンセラーに見捨てられたと思う」かもしれないということです。相談者の見捨てられ感も理解しながら、リファーする必要があるでしょう。

ここが分かっていないと、医療につなげている最中に、見捨てられ感に乗っ取られて糸が切れてしまう可能性もあるでしょう。

医療機関では、自殺未遂したことのある人は受け付けないところもあります。それはそれで、自分たちの限界を表現しているわけなので、誠実な機関と言えます。

しかし、こういう表明をカウンセラーがしていない場合は、それなりの覚悟をしているところでしょう。彼らの絶望の淵まで降りていく覚悟があります、そこまで一緒に行きます、という表明が暗黙のうちになされているのですね。

表明してもしなくても、どちらを選んでも、それはカウンセラーの誠実ということでしょうか。

ただ多くの重篤な人々は、すでに医療にかかっている場合があります。そして医療ではどうしようもないのでカウンセリングの門をたたく人も少なくありません。「医者からの紹介状はないのですが…」と秘密裡に訪問される方も多いです。

そんなときカウンセラーはしっかりと相談者を見立てて、自分で責任を持ってやれそうと思えるなら、そんな社会からこぼれていく人々を受け入れる覚悟も必要でしょう。というか、そういう厳しい受け入れ状況下でしか、カウンセラーが生き残る道はなさそうに思います。これは20年前から、そんな感じです。

医療から落ちこぼれる人々と一緒に歩けるか、ということですね。カウンセラーに問われているのは、そういう世界です。だからカウンセラーの方々、自分の心身の健康には十分に気をつけましょう。

■止められない自死

もし死にたい要因が一つもなくなってしまうと、「生きる理由がない」に辿り着きます。

この質問は、回復後の問題ですね。回復しているのですから、ここはもうカウンセラーの守備範囲を超えたものになります。この哲学的意味あいをカウンセリングで進めていくのかは、相談者、カウンセラー双方の力量でもあるでしょう。

ここで注意してほしいのは、生きる理由がない=死にたい、ではないということ。60代に入ってくると、普通に、生きる理由がなくなってきますよ。

エリクソンによると老年期は、これまでの人生を「統合」していくとしていますが、現実はそんなに華々しく(はなばなしく)希望に満ちたものではありません。統合していく、なんて一大事業じゃないですか。死ぬ間際に、誰がそんな苦労をしたいのか?なんて思います笑。

ということで、生きる理由がなくなって死を選ぶ人はかなり少数なのかもしれません。そういう人がいないとは言いませんが、人は執着とともに生きているわけなので、生きる理由がなくなったと思ったとしても、何かにしがみついて生きているでしょう。

執着が本当になくなったら、それはそれ以上生きていても退屈ですので、あの世へ還る(かえる)人も(稀に)いるでしょうし、そのまま寿命尽きるまで生きのびる人もいます。ということは、退屈になって自死を選ぶことについては止められないし、止める権利もないということでしょうか。

■まとめ

  • 自殺を止められるカウンセリングは存在せず、絶望を理解しながら聴き続けるカウンセリングは在ります。それによって、死が後退していってくれる場合が少なくありません。

  • 希死念慮が引かない場合は、医療につなげます。というか、戻します。もともと医療を諦めてカウンセリングに来た人が多いので、医療に戻すわけです。しかしリファーはするのですが、カウンセリングは継続しましょう。医療に戻すのは、一時休息的な意味合いがあります。

  • すべての問題が解決して、生きているのが退屈だから死ぬ人も、稀にいるでしょう。

■他の助けを求めるのもいいでしょう

あなたの死にたい衝動が消えない場合は、自分の絶望感を十分に話せる臨床心理士などの専門家の門を叩くとよいでしょう。もし、いまのカウンセラーがいまいちと感じるのなら、別のカウンセラーを探しましょう。あなたにとって良いカウンセラーはあなたの一生の財産になります。あなたのカウンセリングがうまくいきますように。

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