「錬金術師たちは金の探索中に、さらに価値のあるものを数多く発見した」ショーペンハウアー
今回は、金とお金にまつわるあらゆる話。
楽しく読めて、ためになるものを書きたいと思う。今回は特に長いけれど。気になる部分だけを読んでくれてもいいような、小ネタ式にするつもり。
紀元前6000年頃:メソポタミア文明の物語の中に、金が登場していた。「アヌンナキは金を採掘するために別の星から地球にきた」。
AIのふりきった解答、嫌いじゃない。笑
「別の星からきた生物」はこんな見た目だと。この女性会社員の昼休みの手さげのようなものに、採った金を入れていたと。
ロマンを壊す気はないが。これ系の言い伝えは他でもある。日本なら「天孫降臨」か。
天空神アヌなどに関して確実に言えることは、信仰と文字の読み書きが存在したということだ。金はあったが宇宙人はいなかったとは言いきれないね。
紀元前2600年頃:古代エジプトの地図に金鉱が描かれていた。
「金は土よりたくさんある」というパワー・ワードが、解読されたヒエログリフの中にある。古代エジプト人は、紀元前3600年頃には金を製錬していた。千年間とり続けてもまだあったら、そういう表現もしたくなるよなと。
金を表す文字「ネブ」は、首飾りと台座をあわせたようなデザイン。
象形文字やシンボルを覚えて、遺跡の中に探して、見つけると。予想以上にテンションが上がる。笑
紀元前600年頃:リディア(現在のトルコの一部)で世界初の金貨がつくられた。
棒状の金や銀を取引のたびにカットするのは、効率が悪いと。商取引の栄えていた場所で、生まれるべくして生まれたという感じだ。
紀元前546年:リディア王国がペルシャ帝国に統一された。ペルシャ人も金貨を採用し出した。
これが古代ギリシャ・ローマの貨幣制度につながり。アレクサンドロス大王の東方遠征により、西アジア地域にも広まったわけだ。
言語と同じだ。言語も金も人間と一緒に動く。
8世紀後半~9世紀前半:西ヨーロッパを統一したフランク王国は、造幣権を国家の独占とした。
東方の金貨に対する対策として。飢饉時の穀物価格高騰に対する購買力強化のため。この時に定められた金銀貨の比価は、中世ヨーロッパの貨幣制度の基本となった。
さすがカール1世。センスが違う。
英国の神学者を宮廷にまねくなど、古典文明の復興につとめた。カールのこのような行動(とそれ以降の風潮)は、カロリング・ルネサンスと呼ばれることがある。オットー・ルネサンスが起こり。「ルネサンス」が起こる。
線とは、点と点と点が線になっているのだ。
1128年~1312年:テンプル騎士団が金融業者のようになった。
数人ではじまり数百人規模になった、テンプル騎士団。ヨーロッパ各地からの上納金と寄付金で、金持ち軍隊になったが。それだけにとどまらず。
修道院に貴重品を預けるという習慣は、元々あった。人々には、テンプル騎士団が、それに武力を足したもののように感じられたのだろう。より安心と。重い貨幣を運ぶ手間や危険を避けたい巡礼者も、彼らを頼った。預金・送金に加え、手形と貨幣の交換・両替・貸つけ・相続関連まで手がけるようになった。
最期はお決まりの火あぶりだ。古今東西、権力者は出すぎた杭を打ちがち。団長は死に際、日本でいうところの「末代まで祟ってやる」と言い残した。
1252年~1523年:フィレンツェ共和国でフローレン金貨が発行された。
その品質の良さから、ヨーロッパ中で使用または模範とされるようになった。複数のフィレンツェの銀行が、ヨーロッパ各地に支店をもつ大企業だったこともあり。
「フローレン金貨」「フィオリーノ金貨」(イタリア語)と検索すると。英国の銀貨やオーストリアの金貨など、さまざまなコインが出てくるのはそのためだ。
ヨーロッパ全体が経済不況におちいると、いくつもの銀行が消えていったが。フィレンツェは文化面で大成長をとげたため、その勢力も保たれた。ルネサンスの中心となり、ダ・ヴィンチやミケランジェロが生まれた。メディチ銀行を運営していたメディチ家は台頭した。メディチが多くの芸術家らを支援したことと、無関係ではない。
1370年~1420年:ヨーロッパで鉱業が盛んに。鉱山は空になったなどと言われたくらい。
貨幣鋳造の関係者に、チートをする輩が複数いた。盗削(削ったコインの端を盗む)は、ただの窃盗とは訳が違う。貨幣の価値や信頼を低下させ、深刻な社会問題をまねきかねない。
対抗策としてコインのふちにギザギザを入れることを提案したのが、ニュートンだった。彼は後に、英造幣局長に就任した。部下をスパイとして街中に放ち、情報収集。偽造組織を摘発(シンジケートのトップも)。自ら犯罪者へのインタビューも行った。
正義感と言うには、多少違和感があるような……。
「ニュートンの過度な競争心は、発見の先取得権を争う時に醜いまでに表に出てきて、ライバルたちに陰湿なふるまいをした」という解説を読んだことがあるのを思い出した。
紙のお金の話は、この辺りで出てくる。エジプトと中国を除外して話すのなら。
紙幣に先立ち。古代エジプトでは、倉庫への穀物の預かり証(パピルス製)が通貨がわりに使用されていたことが、記録されている。
世界初の紙幣は、中国の交子もしくは交鈔だ(とらえ方による)。後発の交鈔でも1260年には生まれていた。
経済規模が拡大していくにつれ、金を決済手段とする利便性は低下していった。金は紙幣より、単純に重量だけを考えても、流通に不都合である。テンプル騎士団がしていたように、貴金属との交換を保証された債務証書(手形)におきかわっていった。これが紙幣の源と言える。
ロンドンで。民間銀行が発行した金銀の預り証である Goldsmith's note が、通貨として流通していたが。国家による承認を受けたものとしては、ストックホルム銀行が発行した銀行券が最初だ。
1661年:ヨーロッパではじめて、現在の紙幣に近いものが国から発行される。追って、英仏でも。
この頃すでに、株式投資も存在した。世界初の正式な株式は、英国で設立された合資会社「ロシア会社」のもとで発行された。
ニュートンは株式投資も実践していた。当時の英国で大人気の投資先、南海会社。注目を集める前に、ここの株を購入していたのだが。ある時、大暴落してしまった。
「私は天体の動きは計算できるが、人々の狂った行動は計算できない」アイザック・ニュートン
繰り返しになるが。言語と同じで人間と一緒に動くものだから。
奴隷商売を(も)していた会社だから。いつかは、ね。自分におきかえて考えてみなよって話で。禁忌の人体錬成だろ。
1717年:英国が金本位制を導入。通貨が金と固定レートで連動するようになった。
金本位制は、金を通貨の価値基準とする制度で。各国の中央銀行が発行した紙幣と同額の金を保有し、いつでも相互に交換することを保証するもの。
兌換紙幣という呼び名は、金本位制が確立したからこそ、あるものだ。特定の銀行に金の準備が足りなければ信用不安が起き、それは紙クズになる。
1816年:産業革命により、お金の生産方法に劇的な変化が。以前よりずっと効率的に、お金がつくれるようになった。
1848年:カリフォルニア・ゴールドラッシュ。新しく金が発見された土地へ、一攫千金をねらう採掘者らが殺到したこと。
エル・ドラード。スペイン語で「黄金の人」。
16世紀までアンデス地方に存在したある地域で、金が豊富に採掘されていた。このことを聞きつけた人たちの間で、話に尾ひれがつき。大航海時代に、黄金郷エル・ドラードは探し求められた。
私が思うに。
札束や金貨以外の貨幣だったならば、人はこんなにも盛り上がっていない。自国通貨かどうか・強い通貨かどうかという話でもなく。
金銀財宝・光り輝くお宝には、ロマンがある。私たちを根源的に魅力するーーそんな力がゴールドにはある。単純に、見てみたい!と。
余談だが。
「カルーセル・エルドラド」は、としまえんのメリーゴーランドだった。ライプツィヒのフーゴー・ハーゼが製作。移動遊園地としてヨーロッパ各地を巡業した後、アメリカのコニー・アイランドに譲渡され、日本へやってきた。貴重な文化財なのだ。
これをどこにも渡したくない気持ちと、金塊にひかれる気持ちは、どことなく似ている。(主観)
宝島は夢島なのさ。
1870年〜1900年:中国以外の世界各国が金本位制を採用。
1914年:金本位制を採用する国が減った。第一次世界大戦の戦費をまかなうため、複数の国が通貨をインフレさせたりして。
1929年以降:世界恐慌以降、金本位制の廃止は加速した。多くの国の紙幣は、兌換紙幣から、金銀との交換ができない不換紙幣となった。管理通貨制度への移行。
1944年:第二次世界大戦の終戦間近。金本位制はブレトンウッズ協定におきかえられた。世界銀行が設立された。
世界銀行は国際開発金融機関の1つ。貧困のない世界をつくることが目標。
ブレトンウッズ体制とは。米国を中心につくられた為替相場安定のメカニズムで。1944年にNH州ブレトンウッズのホテルに集まった、連合国の代表らによって決められた。
第二次大戦の遠因でもあった、為替相場切り下げ競争の再発を防ぎ。戦後の復興に欠かせない、貿易の円滑な発展のための決済システムをつくる。という目的。
基本的には、金本位制への回帰だったが。以前と異なるのは、各国通貨と米ドルの交換比率を固定し・ドルだけが金と交換比率を固定するという点だった。つまり、ドルを間にはさんだ金本位制。
金本位制では、各国間の決済が原則的に金で行われていたのに対し。「金ドル本位制」では、それがドルで行われるようになった。ということ。
いっそのこと、ドル本位制にすればよかったのに。と言いたくなるが。国際通貨は使用者が共通の価値を認める「物質」でないとーーという固定観念が、どうしてもあったため。
金の量は増えないがドルの量は増える。増えない金を担保に米ドルが増発されるという矛盾が、必ず発生する。それ以前の問題と言うか。各国の要請に応じてドルを金と交換することが、いずれできなくなるに決まっている。
実際にそうなった。
1971年~1973年:ブレトンウッズ協定の放棄をニクソン大統領が発表。ドルと金の連動は、いきなり終了した。ニクソン・ショックやドル・ショックと呼ばれた。
2010年:世界銀行総裁が、変動為替レートに対抗するために、金本位制への復帰を提唱したりした。
金とお金と日本についても書いていく。
古代:米や塩や布をお金のかわりとして使用していた。
中国では、貝がお金がわりに使われていたことがある。ご贔屓さんは、お金をたんまり払ってくれる人という感じになる。俗説だとも言われているが。財 貴 貯 貧 買 販 貸 償……こうも貝で表されると、やはり金金金金さんな気がする。
7世紀後半:国内初の金属のお金ができた。中国を参考にしたものだった。
この貨幣が実際に流通したのか、まじない用の銭にとどまっていたのか。定かになっていない。
708年(和銅元年):現在の埼玉県秩父市で発見された自然銅が、朝廷に献上された。銅製の和同開珎が鋳造された。
和銅発見は貨幣発行の口実だったーーという説もある。
たしかに。銅が見つかった記念に/帝が大層お喜びになって改元?やりすぎな気もする。正式に貨幣を流通させたいというのありきで、それが叶うのなら何製でもよかったのだが、銅という新素材で盛り上げよう的な?元号にしてしまえば、銅を知らない人は1人もいなくなる。ありそう。
708年~963年:12種類の銭貨がつくられた。皇朝十二銭と総称されている。全て銅製。
銅不足と財政難で、新しく発行されるたびに質が落ちていき。人々は銭貨を信用しなくなった。米や絹をお金がわりにするスタイルに戻った。
16世紀:精錬技術が発達。戦国武将や商人が金や銀を使うようになった。武田信玄や豊臣秀吉が、金の保有量の多さで支配力を高めた。
やめな〜。
1601年:天下統一を果たした徳川家康は、貨幣の統一も行った。
重さや品質(含有量)をそろえ。大判・小判・一分金・丁銀・豆板銀の金銀貨を発行。金座(金貨をつくる機関)と銀座(銀貨をつくる機関)も設置。
江戸幕府が金貨に4進法はとったのは、甲斐の仕組みを参考にしてのこと。
1636年(寛永13年):家光が銅銭の寛永通宝を発行し、金銀銅の銭が確立された。
両替商の発達。
両替商は大阪で生まれた。大阪には、両替商を取締る両替商がいた(十人両替)。四天王のような感じか笑。今日の銀行に似た職業であったことを考えると、メガバンクと呼びたいところである。
物によって、金貨で・銀貨で・銅貨で支払うのが常と、わかれていた。また、関東の金づかい/関西の銀づかいと呼ばれたように、地域差もあった。相場もひんぱんに変わっていたため、交換と計算のプロが必要とされた。
日本人は昔から数字が得意だ。本題ではないため、解説なさってくれている方の動画をお借りする。
両替商は後々、お金の預かり・貸しつけ・送金も担うようになった。特に有名だった両替商は鴻池さん・三井さん・住友さん。
江戸時代にすでに為替はあった。
江戸が、「天下の台所」大阪から商品をとりよせる時。その代金を届けることには、盗難などのリスクがつきものだった。
江戸商人が両替商に代金を渡す → 為替手形(支払いを依頼した証書)を発行してもらう → 大阪商人が手形を受けとる → 指定の両替商へもっていき代金を受けとる。ということが行われていた。
為替とは、現金のかわりに手形や小切手や証書などで決済する方法だ。異国間で為替が行われる場合は通貨の交換をともない、外国為替となる。
江戸時代のこれは、完全に「為替」だ。
明治時代:新政府が政府紙幣を発行した。新しいお金の単位「円」もつくった。米国にならい、全国に153の銀行を設立(※後ほど解説する)。外国から機械を購入し、効率的に貨幣をつくるようになった。大阪に造幣局を設置。
英国にも日本にも、けしからん輩はいて。偽札が出まわった。ドイツの印刷会社に紙幣製造を依頼することで、(模倣できない)精巧な紙幣を得た。
紙幣が大量に発行されれば、その価値が下落する。政府は紙幣の発行数を調節。通貨価値の安定をはかる必要があり、統一したお金を発行できる中央銀行として、日本銀行を設立。紙幣の発行は日銀だけが行うこととなった。
1882年:日本銀行が業務を開始。
後ほど解説するとしていた部分だが。日銀の公式動画を観てみたら大変レベルが高かったため、こちらを貼ることにする。さすが「本人による解説」だ。
米国の中央銀行についての、基本的な話。
アメリカ合衆国の中央銀行(国の通貨と金融政策を管理する機関)の制度を、連邦準
備制度 = Federal Reserve System = Fed/FRS という。
Fed/FRS は中央銀行の制度そのもので。意思決定をしている組織が連邦準備制度理事会 = FRB だ。
連邦準備制度理事会 Federal Reserve Board の略が FRB で、連邦準備銀行 Federal Reserve Bank の略も FRB だ。
パウさんの典型的なミームを貼っておく。
米国の金融政策の1つである、公開市場操作。国債買いオペなどを通じて、金融機関の資金需給を調節する。この方針を決定する委員会を連邦公開市場委員会 = FOMC という。
FRB(理事会)は、7人の理事によって構成されている。議長は大統領が指名する。
FRB(銀行)は、12の地区に12の銀行がある。地区連銀とも呼ばれる。FOMC によって定められた金融政策を実施する、という共同責任を負っている。
FOMC(連邦公開市場委員会)は、7人の理事・ニューヨーク地区連銀総裁・ニューヨーク以外の地区連銀総裁4人の、12人で構成されている。
FOMC は約6週間ごとに年8回、定期的に開催される他、必要に応じて随時開催される。声明文は、FOMC 開催最終日の午後2:15頃(米東部標準時間で)に公表される。議事要旨は3週間後に公表される。
上にあげたようなミームがネットに飛び交ったり、悲鳴がこだましたり、狂喜乱舞する人らが観測されたりする。
ニューヨーク連邦準備銀行の金庫には、米国政府・外国政府・公式国際機関などから集められた、約497,000本の金の延べ棒が保管されている。総重量は約6,190トン。
これは2020年のデーター。過去には、金貨で12,000トン以上が保管されていたこともあるそう。
マンハッタンの金融街の中心部、地下深く。金塊でも金貨でも。人類史上最大の金の集積地が、そこにある。
純度と重量が異なるため、各金塊は代替不可能な固有のものである。そう、FRBは考えていて。それぞれを注意深く管理していると。
特定の金塊をFRBに渡せば、どんなに時を経ても、同一の金塊を正確にとり出すことができる。
金庫室の金の多くは、第二次世界大戦中~戦後に運ばれてきたものだという。多くの国々が金を安全に保管したいと思ったことが、うかがえる。
この特別金庫は一般公開されている。
まさかの、人様の金塊見学ツアーが存在する。(個人や民間企業がここに預けることはできないため、人様というのは違うかもしれないが)
ツアーの終わりには、おみやげももらえるらしい。細断された紙幣の入った小袋。
元素記号、金 Au・銀 Ag・銅 Cu の由来は、ラテン語だ。Aurum(金、光り輝くもの)・Argentum(銀、輝く、明るい)・Cuprum(銅)。
金は最も密度の高い金属の1つである。熱や電気の伝導性にすぐれ。やわらかく加工しやすい。変色や腐食しない。
金1gから二畳分以上の金箔ができ、3,000mの金線にできる。のびまくり。
純度はカラットで測定される。たとえば18K(カラット)の金の内訳は、75%の金と25%の他の金属だ。
宝飾品に最適だが。24Kだと傷がつく/変形する可能性がある。前述したように、やわらかいため。18Kや14Kが適している。
特に女性にとって、小ぶりでも存在感があり・デザインによっていろんなニュアンスが楽しめ・時を経ても劣化しないゴールドのアクセサリーは、とてもありがたいもの。
金や貴金属の重さを表す単位として、「トロイオンス」が使われる。1トロイオンスは31.1035グラム。
1オンス金貨や1/2オンス金貨が、世界各地で発行されている。人気と知名度と信頼が高い「世界三大金貨」は、カンガルー金貨・ウィーン金貨・メイプルリーフ金貨。
1988年~2012年に発行されていたマン島の金貨、キャット・コイン。
怪談話より怖い、ハイパー・インフレーションの話をする。
ベネズエラ
2016年にベネズエラで非常事態宣言が出された時、すでに800%になっていたインフレ率は、2018年に80,000%(推定)になった。
ボリバル/ボリバル・フエルテ/ボリバル・ソベラノ/ボリバル・デジタルと、政府が繰り返し行ったデノミのせいで。100円だった商品が1000円にーーなどの計算も、まともにできやしない。
この時にベネズエラの女性が、生理用品を1パック買おうとしたら。これら以上のお金が必要だったはず。
当然だが、ベネズエラ国民は自国通貨を信用していない。ドルなどの外貨を主に利用することで、現在は一応、ハイパー・インフレからは脱せているが。依然として、高いインフレ状態にある。
ハンガリー
世界でベネズエラだけに起こった特異現象なら、高みの見物をきめこんでいてもいいだろうが。そうではない。
史上最悪のハイパー・インフレは、第二次世界大戦直後のハンガリーで起こった。1945年に1ペンゲーだったものが、翌年には40兆ペンゲーになった。
落ち着いたお姉さんの顔を枠にあてはめている場合じゃない。これをはめこんだらいい。もう、現実がホラー映画なんよ。
ジンバブエ
1980年にイギリスから独立し。ジンバブエ政府は、慎重に経済政策をしていこうと決意した。だが、その決意は長続きしなかった。
1997年に、政府の浪費が経済に問題をひき起こしはじめ。やがて、財政状況を維持できなくなり。通貨危機が起こった。自国通貨に対する数々の取り付け騒ぎにより、為替レートは下落。輸入価格が急騰。ハイパー・インフレへ。
ジンバブエ中央銀行は、さまざまな方法を試み続けたが。ほとんど成功せず。自国通貨を放棄。外貨を使うようにしてからは、おさまりが見えた。
ユーゴスラビア
1992年~1994年のユーゴスラビアの最高月間インフレ率は、313,000,000%だった。数年間にデノミは7回あった。
ダメだ。カジュアルに書けなくなってきた。せつない。ユーゴスラビアの人でもどこの人でも、私たちよりこんなに価値が低いわけがない。
スラブ語 jug(南)と slavija(スラブ人の土地)で、ユーゴスラビアだ。
子どもの頃。幼稚園で、自作のお金で買い物ごっこをする日があったのを思い出した。お店とお客を交互にやってみましょう、という感じだった。1つ、記憶に残っていることがある。
お花屋さんの子が、自分がつくったチューリップ?(紙製)にだけ、高値をつけ出した。私がつくったということに付加価値があると、そういうことだったのだろうか。かわいいな笑。そのことから、お花屋さんだけ商売がハチャメチャになった。
「お金の供給に自然な制約がなく、裁量的な紙幣基準によって支配されている時に、それはやってくる」
20世紀。東ヨーロッパと中央アジアで17 回・ラテンアメリカで5回・西ヨーロッパで4回・東南アジアで1回・アフリカで 1回の、ハイパー・インフレが発生したようだ。(私のリサーチに間違いがあったら、申し訳ない)
戦争や軽率な財政政策と同時に、起こりはするが。その根底にあるのは、経済成長に支えられていない通貨供給の急激な増加だ。
地道な努力が大切だ。
日本の貨幣から感じられるメッセージ性を、いくつか見てみよう。
農業・水産業・工業に加え、裏面の木の芽で林業を表している。国を支える大切な基盤だ。
それだけでもダメだが。
先述したカール大帝(行政 法律 教育 軍事 宗教 文化 の改革にたずさわり、安定した社会を築き、ヨーロッパの父と称された)の統治下でさえ。イスラーム勢力が地中海をおさえ、遠隔地貿易が行われなくなると。貨幣経済はおとろえた。より農業生産を基盤とすることに。そうすると、ヨーロッパに何が起こったか。封建社会がはじまったのだ。
表面には、女性の社会進出の立役者を。裏面には、女性には建物よりも花がよいだろうと、かきつばたを。
「奇跡の14ヶ月」「日本文学の頂点」樋口一葉。彼女の生涯に関しては、解説なさってくれている方の動画をお借りする。
「千金を買う市あれど、一文字を買う店なし」という言葉がある。
ありとあらゆるモノが売っている世の中で、お金さえあれば手に入らないものはないと、そんな錯覚におちいりそうになるが。文字を売っている店はない。「文字を覚える」には、自力で地道に学ぶしかないと。
みなまで解説するのは、好みではないのだが。よりよい社会をつくるにはーーとおきかえて考えられる、という話をしている。だから、先にハイパー・インフレについて書いたのだし、フランク王国のところでなくここで封建社会について書いた。
クレオパトラの生きた頃とは違い、リアルに美貌は金で買えるようになった今、この格言は重みを増した。
世界トップクラスのモデル Anok Yai さんは言う。「Aさんは私を醜いと言う。Bさんは私を男だと。Cさんはゴージャスだと。そんなものだよ。他人に決めてもらっている限りは、一生ね」
人類最高峰に「美しいことが得意な人」でも、生物学を学び医師を目指していたのに。一般人が美だけで足りるわけがない。
彼女はピュレグミときのこの山がお気に入り。日本のお菓子を食べ比べしてくれて、ありがとう。
主旨ズレしているつもりはない。美容の話を用いて、経済や我々の発展の話をしている。
因果関係を考え「これはもはや、国益を損なう」と語る幹也先生。森全体を見れるお方で、論理的思考と人間らしい感情のバランスがよい。韓国と日本に関する考察も、大変クリティカルだ。
私は、美だけを追求するな・ステ振りが悪いと言っている。私の考えは、美などデフォ(当たり前にそなえていろ)というのに近い。
男性が男らしさからおりたがっているとも、私には思えない(米国のいきすぎなマッチョイズムは別。あれはいきすぎ)。自分なりの男らしさがあるんだと、正しくはそう言いたいのだろうと感じている。いいね。
最後は、クリムトについて書く。
画家と音楽家がまだ出てきてないからな。
グスタフ・クリムトは、金を用いた装飾的技法で有名な、ウィーンの画家だ。これから紹介するクリムトの作品には、金箔と銀のスクリーンシートが使用されている。
ウィーンの分離派会館に展示されている『Beethovenfries』。
シラーの頌歌とベートーヴェンの第九交響曲にもとづく作品で。3つの部分にわかれている。「幸福へのあこがれ」「敵対する勢力」「歓喜の歌」。
ドイツで最も重要な古典劇作家とされるシラーは、敬虔なカトリック教徒で・陸軍士官学校に入り医学を学び・歴史哲学の教授にもなった。シラーの作品は、そのような人生経験を経て、つくられたものだ。
この間、ドイツ人の知人が言っていた。「俺たちはな、寒い土地でやることが何もないから、演劇をはじめたんだよ」吹いた。
性的なモチーフ(精子など)が描かれていることを問題視する人たちもいる。不貞などを暗喩している部分も批判されることがある。
ゴルゴーン3姉妹にはメドゥーサがいる。 彼女(メデューサは人間だよ)はペルセウスに首をはねられる。
アレクサンドロス大王の壁画。彼の鎧の胸元にあるのはメデューサの首だ。
これをそうとらえたか、と。大変おもしろい発想だ。『ヒストリエ』は実によく練られた物語だ。
『Life is a Struggle ーThe Golden Knightー』(人生は戦いなり。黄金の騎士)
クリムトのこの馬とブーケパロスは、関係ない。私が勝手にリンクさせているだけ。
これは、ソリドゥス金貨(中世のドルとして東ローマ帝国で流通していた)のブーケパロス・バージョン。
ひとつの塊になったかのように抱きあう、黄金色の男女。『接吻』。
私の母親がこの作品を好きだと言っている。「幸せな気持ちになれるから」と。
クリムトの父親は金細工師だった。ある専門家は言う。彼は、金で、家族の永続的な絆を強調したのだと。ちゃんと伝わっているようだよ、クリムト……。
〆はこの歌で。タイトルだけで無理やりもってきたのではない。私の好きな曲だ。
2024年ラスト回、過去一長かったかもしれない。いつも読んでくれる人へ。よいお年を。次の1年も、あなたが幸でありますように。