病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈18〉
ペストがオランの町を立ち去り、保健隊の仕事も解散して元のような日々が戻ってきたある日、リウーは街中でグランと再会した。そこで彼は、今までの原稿は燃やしてしまったけれど、記憶を元にあの物語の仕事をまた再開させたのだというように、医師へ打ち明けた。それと共に、元の妻に手紙を書いたこと、そして自分はそのことですっかり満足したのだということも、彼はリウーに明かした。
しかしグランの、元妻ジャーヌに宛てた手紙は、彼自身は「書いた」とはいうものの、はたして出すことまではできたのだったろうか。以前にリウーと会話する中で、「彼女は今どこでどうしているのだろう」というようなことも言っていたのだったが。彼がようやく手紙を書き上げたとしても、もしも相手に届かないままだったとしたら、グランとジャーヌはやはりまだ、「別れ別れのまま」であり続けてしまっているのではないだろうか。
ともあれ、たしかにここでグランもまた、新しい道へと踏み出してはいる。例の物語の仕事において、彼はこれまでのくどくどしい形容詞を一切削ったというのだった。グランは、必要な言葉を捜し求めるために、まずは不必要な言葉を取り除くことからはじめた。おそらく彼の仕事は、「物語としては」完成しないだろう。しかしいつか、彼の新しい言葉によって書かれた手紙がジャーヌの元に届けられることは、せめて叶えられるようになるのかもしれない。
一方で、この一連のグランの人生物語を聞かされていたリウーはどうであっただろうか。
彼もまたペストの日々の間ずっと、遠く離れた療養所にいる妻と「別れ別れ」の生活を送っていたのだった。そしてリウーもグラン同様、どうやら妻との間では「的確な言葉」を使い損ねてきた傾向にあるようだ。
療養に向かう妻を送り出すとき、涙ぐむ彼女にリウーは、優しく声をかけてはいたのだったが、字面だけでみると何だかちょっとそれは、表面的なものという印象を受ける側面もあった。電報のやり取りにしたところで、その通信手段の性質上、どうしたって文面は型通りのものにならざるをえない。また、クリスマスの頃にはランベールの勧めで、彼の開発してきた連絡ルートを通じ、初めて妻に手紙を出したのだったが、しかしそれを「書くのに恐ろしく骨が折れ」、「ある言葉づかいなど、忘れてしまって」さえいたという。「言葉の資力を、事情の必要に適応させる」ことがうまくできずにいたという意味では、どうやらリウーもグランとあまり変わりがないようだ。
グランの場合はそれでも、内心に溢れる思いを何とか形にして、相手に届ける機会は残されている。しかしリウーの方では、結果としてそのチャンスも失われることとなってしまった。妻を送り出すとき、互いに「やり直す」ことを誓い合い、そしてペスト収束の際にはあらためて、彼自身そのことを思い起こしたのだったが、しかしその「やり直し」の機会はついに、相手の死によってもはや叶わぬものとなった。彼らはこれからもずっと、「別れ別れ」のままでいなければならない。リウーはそのことで、ある意味で「永遠の流刑者」ともなってしまったのだ。
〈つづく〉