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病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈25〉

 保健隊の仕事に従事しながらも、実はランベールは相変わらず、オラン脱出の手立てを探っていた。例のコタールの密輸仲間たちとは、断続的にコンタクトを取ることはできていたのだったが、しかし肝心の脱出の時期は、相変わらず先延ばしにされていた。
 そんなある日ランベールは、オトン判事から「あまり密輸関係の連中とは交際すべきでない」との忠告があったと、リウーにその言伝てを聞かされる。しかしなぜかそれに付け加えてリウーは、「であれば、脱出を決行するならむしろ早い方がいいだろう」と、逆にランベールをけしかけ急かすかのように助言するのだった。
「…「どうして、あなたは僕を行かせないようになさらないんです?そうする手段はおありなのに」
 リウーはいつものしぐさで頭を振り、そして、これはランベールの問題であり、ランベールは幸福のほうを選んだわけで、リウーとしてはそれに反対する論拠はない、といった。彼は、この問題において、何が善であるとも何が悪であるとも、自分には判断しかねるという気がしているのである。
「どうして、僕に早くしろなんていわれるんですか、そんな具合なのに」
「おそらく、自分も何かしてみたいからでしょうね、幸福というもののために」…」(※1)

 それからほどなく、ランベールがオランを脱出する企ての、その決行の日取りがついに決まった。彼は、手引役である若いイスパニア人兄弟の家に泊まり込み、その日まではそこに待機しているよう指示された。
 その家でランベールは、兄弟の母親である老婆から身の回りの世話を受けながら、決行のその時が来るのを待った。そんなあるとき、パリに残してきた彼の恋人について、老婆との間で何気ない会話を持つことになった。
 「お相手はきっと、キレイで優しいひとなんでしょうね」と婆さんは尋ね、それにランベールが肯くと、「だからなんでしょうね」と婆さんの方は、なぜだか奇妙な具合に納得の表情を浮かべるのだった。しかし一方ランベールは逆にその内心において、はたして自分はただそれだけのことを望んでいるのではない、というような気がしてくるのだった。
 婆さんはさらに、「あなたは神様を信じてはいないのでしょう?」と聞いてくる。ランベールが「そうだ」と答えると、婆さんはまたしても「だからなのだ」と頷く。そして、「とにかくあなたはその恋人のところへいくことだ、でないとあなたに一体何か残るものがあるのか」とランベールに向かって断言するのだった。
 それから数日、ランベールは隠れ家で無為の時間を過ごしながら一人考え込んでいた。その後、脱出作戦の日取りが決まり、手引きの兄弟から準備をしておくように告げられて、老婆から「うれしいでしょう?」と水を向けられても、ランベールは生返事でそれに応え、頭では別なことを考えていたのだった。
 このようなランベールの様子を見ると、どうやらこの老婆との対話あたりが、彼がオラン脱出を翻意するきっかけになったのではないか、というように後々思われてくる。ランベール自身言うところの、「自分だけが幸福であろうとするのは恥ずかしい気がする」という、オラン残留を決意したその理由は、このときすでに固まっていたのではないのだろうか。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 カミュ「ペスト」宮崎嶺雄訳

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